第5話 妹と猫

 

「…………チチチチ、チ」

 

 仕事帰り、公園で猫を誘き寄せようと花鈴は舌を打ち鳴らしていた。時刻は午後八時過ぎ。空はすっかりと暗い。猫は動かず、警戒心からか花鈴を黙って見つめていた。

 

「むむむ……」

 

 釣れない。

 人に慣れていないのか。だが、逃げ出す気配は見えない。

 

「んー、君はお腹が空いてるの?」

 

 蹲み込んだ状態で花鈴はコテンと小首を傾げる。カメラに撮られていたのなら、きっと絵になる光景だ。

 

「お菓子はあるけど……猫にあげるのはなぁ」

 

 諦めて立ち上がる。

 

「また会えるかな?」

 

 諦めて帰ろうとして花鈴は猫に背を向ける。

 

「にゃー」

 

 ただ、それを引き止める様に猫が鳴く。いつのまにか足元にトラネコが擦り寄っていた。

 

「可愛いなぁ〜」

 

 頬が緩み、頭を撫でようと花鈴はまた膝を曲げる。

 

「にゃ〜」

 

 猫は背を向けて歩き出す。

 少し歩いた先で振り返り、また鳴く。付いてこいと言いたげに。

 

「家に帰らないとなんだけど」

「にゃ〜!」

 

 猫は花鈴の足元に戻ってきてソックスを引っ張る。

 

「わ、分かったって」

 

 トラネコの愛らしさと必死さに、花鈴は後ろを付いていく。クネクネと細い道や開けた道を出たり入ったり。

 気がつけば。

 

「あれ? 家の前だ」

 

 トラネコは鳴く。

 自慢をする様に。目を細めて。

 

「ありがとね。なんに対してのお礼か分からないけど」

「にゃー」

 

 気にするな、と言う様に。

 しかしトラネコは帰るつもりはないのか。花鈴の目の前に居たままで。

 

「ウチには有田さんが居るしなぁ」

 

 花鈴はトラネコを抱きかかえる。今度は逃げる気配がない。大人しく抱かれたトラネコは胸の中で前を見据える。

 

「────ただいま〜」

 

 玄関の扉を右手で開ければ、賢太郎が出迎える。

 

「おかえり、って。なんだその猫?」

「拾った」

「……野良猫か。大丈夫か? 噛まれてないか?」

「うん、全然。そうだ、明日って暇?」

「オイ。何飼う事決定してるみたいな言い方してるんだ」

「……わわっ!」

 

 賢太郎と話しているとトラネコはバタバタと暴れ、花鈴の胸から飛び出して家の中を迷いなく進んでいく。

 

「あ、ちょっ……待て!」

 

 賢太郎が追いかける。

 入って行ったのはリビングだ。有田さんの入っている水槽の前でトラネコは座る。

 

「にゃ〜」

『……誰だ、私の眠りを妨げるのは』

 

 悪ふざけか、有田さんは半目を開いてトラネコを見やった。

 

『……は?』

 

 驚きから、有田さんは瞠目した。

 

「賢太郎〜、ダメー?」

「いや、お前が躾けするなら何も言わんけど」

 

 賢太郎と花鈴がリビングに入る。

 

「ヤッタ。て事で、明日病院に宜しく」

 

 野良猫であるのなら、病気の可能性も考えられる。

 

『……そうだな、それが良い』

 

 有田さんは事情を何とか噛み砕こうとしているのか、歯切れ悪く言葉を吐く。

 

「有田さん、俺は花鈴の飯用意するから。花鈴は着替えてこい。有田さんは猫に様子見ててくれ」

 

 リビングに鮪とトラネコが残される。

 

「にゃ〜、にゃにゃ」

『害意は無い、か。いや、私を食おうとは』

「にゃー」

 

 猫は「んな訳ない」とやれやれといった風に首を横に振った。

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