─短編小説─「トー横」
織田 由紀夫
─短編小説─「トー横」
1
気が付くと私は、ここに居た。
ひどく頭が痛い。
太陽も無いのに、燃える様に熱い。
月も無いのに、凍える様に寒い。
私は、今何処に居るのだろう。
辺りを見渡しても、何も見つからない。
ただ、うっすらと一面に
モスグリーンが広がっているだけだ。
例えるなら、留置場の様な色彩だった。
私は、昔見た映画を思い出した。
看守と囚人が仲良くなる映画だ。
私の記憶が正しければ
確か、あれはハッピーエンドだった筈だ。
でも、今の私はバッドっぽい。
感覚的に、冷たい感じがするから。
主観的に、哀しい感じがするから。
とりあえず
私は
出口の無いこの空間を彷徨う事にした。
直感で北の方角に向かおうと決めた。
コンパスは無かったけど
私は自分の直感を信じた。
2
どれ程歩いただろうか。
私は足の付け根が痛くなる程歩いた。
普段はメトロしか乗らないし
運動もしてなかったから、軽く息も上がってる。
喉が乾いた。
水が欲しい。
でも、水道のようなものは見当たらなかった。
蛇口をひねるだけで、いつも簡単に飲めていた筈の水が、今では飲む事さえも難しい。
ふと、誰かの話し声が聞こえた。
私の右手前方14時の方向に
人が二人立って居た。
何やら話しをしている。
あの二人からは、私は見えないらしい
これには、さすがに私もひいた。
─えっ?嘘でしょ?
ねぇ?オジサン私の事見えないの?─
「ねぇ?ねぇってば!」
私は強く叫んだが、二人の耳には届いて居なかった。
「しっかし、最近の娘はパパ活なんて言ったらスグに付いてくるもんだよな」
「だから言ったじゃないですか?金さえ渡せば女なんてイチコロっすよ」
二人は会社の同僚だろうか?
互いにシックなスーツを着ていた。
少し加齢臭混じりの
ムっとする様な汗臭い匂いが流れて来た。
私はこの空間には風がある事を知った。
─風があるって事は空気があるって事だよね─
小学生の時に、
理科を習った先生の顔が浮かんで来た。
─空気があって風があるって事は、水もあるよね?
水があるって事は
生物が居るって事だよね?─
私は混乱する頭で、私なりに必死になって
考えた。
私にはあの二人が見えるのに
何であの二人には、私が見えないのか。
ここは地球では無いのか。
仮にそうだとしたら、私とオジサン達の関係において整合性がとれない。
また、頭が痛くなって来た。
その場にしゃがみこむ様に私は体を休めた。
その時、私の左手首に無数の傷があった。
世間一般で言われる、リストカットの傷だとスグにわかった。
それでも私の記憶は蘇らなかった。
気が付くと、二人は消えていた。
3
私は無性にお腹が空いてきた。
そう言えば、この空間に来てから何も口にしていない。
私は私なりの仮説を立てた。
さっきのオジサン二人に
私が見えないと言う事は
もしかして私が死んでると言う事なのではないかと。
それなら、リストカットの傷も合点がいく。
─そういえば学校ではイジメられてたっけ─
イジメられている事は誰にも言えなかった。
パパにもママにも。
お兄ちゃんにも。
皆が心配するから。
私は消えてなくなりたい気持ちから
みんなに心配して欲しくてリストカットを始めたんだ。
よく、Xで自傷画像をあげてる人が居るけど
私には気持ちがよく分かった。
みんな、本当は寂しいんだよ
みんな、本当は心配されたいんだよ。
どこからか、車の音が聞こえる。
─何だろう?─
黒塗りの大きなSUVみたいなクルマだった。
ドアを開けると、そこにはお兄ちゃんが居た。
白い風呂敷に包まれた木箱を持っていた。
後ろで、パパとママも泣いていた。
ママは赤ん坊を抱えていた。
誰の子だろう?
一瞬、考えたが分かった。
私にはその子が誰の子なのか、分かった。
4
四人を乗せた黒塗りの車が視界から消えると同時に、私は深い眠りについていた。
私は今までの記憶を思い出すかの様な
鮮明な夢を見た。
今日は2万円追加するから、
生でしようと言う
誘惑に負けてセックスをした。
お小遣い稼ぎで始めたパパ活の延長で
体を許す事が私には何回もあった。
まわりの子達はどうか知らないけど
私は、体の関係に発展する事が多かった。
単純にお金が欲しい気持ちもあったけど
やっぱり寂しかった。
見ず知らずの、パパと同じくらいの歳の人に抱かれる時、私の孤独は唯一安らいだ。
─子供出来たら、どうするんですか?─
男は悪びれる様子も無く言った。
「大丈夫大丈夫。もし堕ろす事になったとしても、ちゃんとお金は出すから」
私はその日、追加分と合計して5万円を貰った。
5
そこから先は簡単だった。
チープなドラマみたいな記憶の展開が
私を待っていた。
私はあの日、生でセックスをして
知らない男との間に子供が出来た。
新しい命が出来た喜びと共に
いいえもしない不安に教われた。
誰にも相談出来ず
あの日の男に中絶費を渡された。
手術の同意書には
あの日の男に書いて貰った。
でも、私は産む事にした。
まだ、学生である自分が
育てていける筈も無いのは分かっていた。
年齢的にも出産出来る歳なのかどうかは、
怖くてグーグル先生には聞けなかった。
ちゃんと、お付き合いを重ねた彼氏との子でも無いのに
私は産む選択を選んだ。
産まれて来る子は女の子だと
クリニックの先生に言われた
私は産む決断を、あの日の男に伝えた。
返って来た返事は予想通りだった。
─手術費は必ず出す。でも、これからの養育費は出せない。親権は君に譲るけど、今後俺には関わらないで欲しい─
月9ドラマでも、こんな最低男は居ない。
私は怒りを通り越して、とりあえず、お金を貰った。
この子には
私の様に育って欲しくない
そして、私の様な
寂しさ紛れとお金欲しさの欲に流される事の無い
芯のある子に育って欲しかった
トー横の若い子達の奇行が
ネットニュースでも、よく話題になるけど
みんな、本当は自分が此処に居るって証明が欲しいんだと思う。
眠らない街の一角で、朝まで騒ぎ通す。
そこにあるのは、興奮と刺激が入り交じった
危険な香りのする夜だ。
一歩間違えたら殺されるか、死ぬか。
私は生まれ変わったら、トー横で
友達を作りたいと思った。
6
出産にはリスクが伴うのは聞いていた。
もう、ママとパパには隠し通せなかった。
お兄ちゃんは、理由はどうあれ妹が出来る事を素直に喜んでいた。
お兄ちゃんが、私のして来た事を責める事なく無条件で認めてくれたのは、本当に嬉しかった。
でも、現実はそう甘くなかった。
元々、体が弱い私がこの歳で出産となると
かなりリスキーな手術になると説明された。
最悪な結果としては、私が死んでこの子をとるか
私が生きて、この子が生まれるか。
家族会議は毎日、深夜まで及んだ。
でも、私の答えは一つだった。
7
私は深い眠りから目を覚ました。
私は死んだのだ。
あの子の命と引き換えに。
一度でいいから、トー横に行ってみたかった。
本当に友達と呼べる人に出逢えたかもしれない。
本当に悩みを打ち明けられる人にも出逢えたかもしれない。
でも、もう遅い。
そして、モスグリーンの霧の先に
微かに、微かにだが
ネオンライトが見えた。
そこから先は別れ道になっていた。
青が広がる樹海の世界か
赤が広がるトー横の世界か
きっと、私の魂は成仏出来ずに
さまよっていたのだろう。
仏教の世界で言えば三途の川なのだろうか。
私の魂は贅沢だった。
そして、神様にお願いした。
最後のワガママを聞いて欲しいと。
半分の魂は
あの子を守ってあげれなかった罪として
樹海に向かいたい
半分の魂は
自分が今居る世界を変えたいから
トー横に向かいたい
と。
神様は、言いはなった。
─魂は半分ずつにする。
その代わり、生まれてくる子供の親として、もう一度人生をやり直しなさい。
君の人生、君の自由だ。
最後に
これだけは一つ覚えていて欲しい。
一生に一度しか無い人生だ。
悔いの無いように、
自分の命を生ききって下さい
樹海へ向かうのも、トー横に向かうのも、それからでも遅くない。
あなたは一人の親なのだから─
その瞬間、私は時空間を飛び回り
別れ道の世界を抜け出だした。
そこには、赤ん坊を抱いている私が居た。
赤ん坊は無邪気だった。
私は泣いていた。
わんわん泣いていた私を慰めるかの様に、赤ん坊は笑っていた。
そこには光の世界が広がっていた。
─短編小説─「トー横」 織田 由紀夫 @yukio-oda
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