第14話 レジーナ、泣く

「もうやめにしないか……我が娘よ」


 強い絶望に打ちのめされた王女を前にして、タルケンが口を開く。ざまな醜態をさらし続けた娘の姿を見て、いたたまれない気持ちになる。


「これで分かっただろう……ザガート殿はお前を本気で相手になどしていない。彼がその気になれば、お前など開始から十秒足らずでチリも残らず消し飛ばされていたのだからな」


 子供のわがままをたしなめる大人の口調で、無駄な戦いをやめるようくぎを刺した。


 国王からすれば、最初から結果の読めていた戦いだ。大魔王アザトホースと互角に渡り合えるかもしれない世界最強の男が、ゴブリンすらまともに斬った事の無い少女になど負けるはずが無かったのだから。

 せめて厳しい現実を教えてやる事で、おてんばで気の強い娘が、これにりて反省してくれたら……そう願わずにいられない。


「ううっ……うっ……うわぁぁぁぁああああああん」


 レジーナが内股で地面にへたり込み、わんわんと声に出して泣く。騎士の誇りをかなぐり捨てて、イタズラして親にしかられた子供のようになる。

 二十二歳の体の大きな女性が大声で泣く姿はあわれみすら感じさせた。


「私だって……私だって、毎日遊んで暮らしてた訳じゃない。私なりにこの国を守りたいと必死に頑張って……体を鍛えて、剣の腕を磨いたんだ。グスッ……それなのに……それなのに、どうして勝てないんだぁ……」


 自分は一生懸命やったのに、と泣きごとを漏らす。

 世間知らずのお嬢様だったが、彼女なりに精一杯強くなろうと努力した。その努力を……これまで積み重ねてきたもの全てを一瞬にして否定された気になり、今までやってきた事全部ムダだったんじゃないかという思いに駆られて、激しい無力感に打ちのめされた。

 自分にとっての存在理由であった騎士の誇りをズタズタにけがされて、王女はただ泣く事しか出来ない。


「………」


 目の前で泣く王女の姿を見て、ザガートが困ったような顔をしながら頭を手でボリボリとく。

 少しやり過ぎた、大人げない事をした……そんな後悔の念が湧き上がる。

 彼としては、王女の鼻っ柱をへし折ってやるかぐらいの軽い気持ちだった。まさか本気で泣き出すなどとは思っていなかった。

 圧倒的な力の差があるのを良い事に、かよわい女の心を深く傷付けたかもしれないと自分の軽率な行動を深くじた。


「悪かった……公衆の面前で恥をかかせた事については謝る」


 謝罪の言葉を口にして、なだめるように王女の頭を優しくでた。


「ううっ……馬鹿、やめろぉ」


 レジーナが泣きべそをかきながら男の手をサッと払いのける。敵であるはずの魔王に情けを掛けられた事への不快感をあらわにする。

 グスッグスッと音を立てて鼻水をすすり、男の方を恨めしそうにジト目で見ながら、ムスッとした子供のようにふてくされた。


 いつまでも泣きまない王女に、ザガートはどう接するべきか頭の中で考えた。決闘の申し出を受けた身として、この事態を収拾する責任を負わなければならないと思い立つ。


(……仕方あるまい)


 どうすれば泣き止むか考えたすえに、魔王はついに一つの行動に出る。

 地べたに座る王女の背中に手を回し、グイッと自分の方に引き寄せて、両腕で抱き締めたまま彼女のくちびるにキスした。


「……ッ!!」


 突然ファーストキスを奪われた事にレジーナが困惑した。あまりの予想外すぎる展開に咄嗟とっさの判断が出来ず、相手のなすがままにさせる。


 一連の光景を見ていた観衆がにわかにざわつく。ルシルは思わず「ああっ」と叫んだ後、愛する人が自分以外の女に手を出した嫉妬しっとで涙目になり、タルケンも娘の唇が奪われた事にアワワと声に出して慌てふためく。大臣も全く想定外の方向に話が進んだ事にポカンと口を開けた。


 そんな観衆のざわめきも、王女の耳には入らない。


(何だこれは……何だこれは……何なんだ、これはッ!!)


 王女は混乱した。脳内がグチャグチャにき回されて、正常な思考が働かない。

 今がどんな状況なのか、何が起こっているのか、それを考えようとすれば、すぐ頭が真っ白になる。


 互いの唇がねっとりと触れ合う感触、たくましい腕に抱かれて、鎧しでも伝わる相手の体温、心臓の鼓動……全てが初めての体験だった。

 興奮した男の生暖かい鼻息がフンフンと顔に掛かり、かすかにくすぐったい。

 あまりにも衝撃的すぎる体験に、王女は夢を見ているんじゃないかと錯覚した。


 なかばパニックにおちいりながら、相手の好きにやらせていたが……。


「ぶっ、無礼者ッ!! いきなり何をする!」


 ハッと正気に立ち返り、慌てて男を両手で突き飛ばす。互いの体が離れると、ハァハァと呼吸を荒くしながら、自分の唇を腕でゴシゴシとぬぐった。


「すまない……お前を泣き止ませるには、こうするより他に方法が思い付かなかった。美しい顔に涙は似合わないからな」


 ザガートが恥ずかしそうに顔をそむけながら、いきなりキスした事をびる。


「ばっ……馬鹿っ!」


 容姿についてめられて、王女が顔を真っ赤にした。気恥ずかしさのあまりても立ってもいられず、城の廊下に向かって逃げるように駆け出す。そのまま決闘の場から出ていき、いつまでっても戻って来なかった。


「……」


 王女が去った後、場内がシーーンと静まり返る。

 その場にいた誰もが、どう反応すれば良いか分からず、呆気あっけに取られて棒立ちになる。

 あまりに急展開すぎる流れに付いていけなくなり、はとが豆鉄砲を喰らったような顔をした。


「……ほれ、何をボサッと突っ立っとる! 勝負はこれでしまいじゃ! 分かったら、いつまでもこんな所におらんで、夕飯のたくでも始めんかっ!!」


 タルケンが両手をパンパン叩きながら、大きな声で命じる。勝負の見届け人としてこの場を取り仕切り、事態の収拾をはかろうとした。


「はっ!」


 国王の命を受けて、兵士や使用人が足早に城内に散っていく。決闘を見物するために中断していたそれぞれの仕事を再開する。


 勝負は無論ザガートが勝ったので彼を受け入れる方向に空気が固まり、大臣はバツが悪そうに何も言わずそそくさと退散する。

 タルケンは娘が働いた無礼を何度も謝り、ザガートはそんな彼に「謝罪は必要無い」と紳士的に接するが、ルシルは一人むくれた顔をしていた。


  ◇    ◇    ◇


 その日の晩……王女の寝室にて。


「……」


 貴族令嬢のドレスに着替えたレジーナがベッドに腰掛けたまま、窓から見える外の景色を、ものげな顔で眺める。そうしながら今日の出来事を回想する。


(……クソッ! あの男は一体何なんだ! やる事なす事、何もかもメチャクチャだ! どうかしてる! 非常識だ! 規格外だ! こっちの常識など、まるで通用しない!!)


 ザガートとのやり取りを思い起こして、彼の破天荒ぶりに腹を立てた。


(こっ……事もあろうに、私の唇を……)


 いきなりキスされた事を思い出して、顔を真っ赤にする。自分の唇を指でつーっとなぞると、唇が触れ合った感触が頭の中によみがえり、心臓がドキドキ高鳴る。全身の血流が激しくなり、胸がきゅうっと締め付けられる思いがした。


 彼女にとって、それはとても刺激的な体験だった。

 秘密の花園に土足で踏み入れられた事への怒りがあったのに、その反面、力ずくで奪い取ろうとする男のワイルドさに心をかれたのだ。


 今まで誰も触ろうとさえしなかった高嶺の花を、男は空気を読まずにんでいった。それを心の何処かで喜んでいる自分がいた。

 いけない事をした罪悪感にも似る。乙女の純潔をけがされたはずなのに、その事を嬉しいと感じている。

 彼女は知ってしまった。禁じられた遊びをする快感を。エデンのそのにある、禁断の果実を食する事を。

 恋する女のよろこびを――――。




 ……王女が物思いにふけていると、ドアをノックして大臣が部屋へと入ってくる。


「ギド、こんな時間に呼び出して済まない。実は魔王の処遇について話が……」


 レジーナが早速さっそく話を切り出そうとした瞬間……。


「魔王ザガートヲ……殺セ」


 大臣がグッと顔を近付けて、ドスの利いた声で命じる。

 グワッと見開かれた瞳は不気味に赤い光を放ち、口は耳元まで裂けて、歯はギザギザしている。蛇のように長い舌をチロチロ動かしながら、ニヤリと邪悪に口元をゆがませた。声にはエコーが掛かっている。

 明らかに昼間の彼とは様子が違う。


「ハイ……オオセノママニ」


 ギドの言葉を聞いた途端、王女の目がうつろになり、気の抜けた声で返事する。

 大臣から鋭利なナイフを手渡されると、フラフラとゾンビのような足取りで部屋から出ていく。正気を失っているのが一目で分かる。


「……コレデ奴モ、オシマイダ」


 王女の後ろ姿を見て、計略の成功を確信したギドがククッと声に出して笑う。


 ……ランプのあかりに照らされて、部屋の壁に映し出された大臣の影は、コウモリの羽が生えた悪魔デーモンの形をしていた。

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