18

 お店を出ると丁度、土砂降りの中を走って来た車が二人の前で停車した。それは先程、連絡をする前に呼んでいた個人タクシーだった。

 ドアが開くとスカリは真っ先に乗り込みその後に吉川も続く。二人が乗り込むとタクシーはすぐに出発し、雨のカーテンを掻き分けながら目的地へと向かった。


「ここでいいか?」

「ありがと源さん。はい、お釣りは取っといて」


 ポケットから取り出したお札を運転手に渡し、スカリはドアを開けようとしたが。


「ほら。持ってけ。土砂降りだぞ」


 前から差し出された二本のビニール傘に手を止め開ける前にそれを受け取った。


「ありがと」

「ありがとうございます」


 二人はお礼を言いタクシーを降りた。

 視界が悪くなるほど降り頻る雨の中、二人が訪れたのは埠頭。でも入口は封鎖され今はもう使われていなさそうだ。


「ここに彼が?」

「正確には彼のスマホがね。取り敢えず行ってみようか」

「はい」


 閉じた門に施錠は無く、二人は中へと足を進めて行く。既にびしょ濡れな足元でまずは入口から真っすぐ正面にある建物へ。だがそこは人も物もなく、ただの抜け殻で誰かの姿は疎か真壁の姿すらなかった。


「よし君……」


 その落胆した声はすぐに雨音に掻き消されてしまった。


「こっち。詳細が届いた」


 スマホを片手にスカリは引き返し建物から出ると、海の方へ足を進めた。


「もしかしたら捨てられてるだけ――」

「よし君!」


 過度な期待をさせないように、そんなスカリの言葉を遮り吉川は雨音すら押し退ける声を上げた。同時に傘を投げ捨て走り出す。それは丁度、角を曲がった時の事だった。


「ちょっ!」


 突然の行動にその場で声を上げ片手を伸ばすスカリ。その視線先には、濡れるのも構わず走る吉川の背中――そしてその向こうには真壁の姿があった。傘も差さずに地べたに膝を着き、正面を微かに見上げている。

 そして真壁の視線先、茂った木の陰から一丁の銃が顔を見せた。銃口は真壁を見下ろし睨み合う。

 数歩遅れスカリは傘を投げ捨てながら駆け出した。一歩目を踏み出す間に既にびしょ濡れとなりながらもスカリは足元の水溜まりを弾けさせていく。

 すると絶え間ない雨とは相反し乾いた音が鳴り響いた。篠突く雨の中を稲光のように駆け抜け――真壁は正面から無抵抗のまま地面の水へと飛び込んでいった。


「……うそ」


 遅れて真壁の元へ辿り着いた吉川は傍らへ飛び込むように座った。そしてうつ伏せの真壁を返しながら顔を合わせる。


「よし君! よし君!」


 胸から流れ出す鮮血はそのまま雨粒に攫われ、溜水へと流れていった。だが紅く染まった溜まりはすぐに薄まってはどこかへ流れゆく。


「……光里。なん……でここ」


 耳を立てなければ雨音に掻き消されてしまいそうな程にか細いその声は、倍以上の咳き込む音に遮られた。咳と共に吐血し、それは服を染め雨粒に色を持たせた。


「大丈夫!? よし君!」


 憂いを含んだ瞳に見つめられながら雨の中を抵抗するようにそっと――真壁は弱々しい手を吉川へと伸ばした。


「私はここにいるよ」


 その手を取り自分の頬へ寄せる吉川は優しく語り掛けた。


「あぁ? なんだお前らは?」


 そんな二人を奢った声が遮る。吉川とスカリは同時にその声の方へ視線をやった。

 そこに立っていたのは派手な柄シャツの銃を握る男――裏打組の若頭補佐、原山俊也。それに加えその後ろには六人の弟分の姿も。全員が黒い傘を差していた。


「裏打組の連中?」


 スカリの言葉に原山は眉を顰めた。


「あぁ? それがどーしたってんだ?」

「じゃあ、昨日そこの彼が使おうとした銃の細工もあんた達の仕業って訳ね」

「よく知ってんじゃねーか。何もんだ?」


 その問い掛けに弟分の一人が原山へと近づき、何かを耳打ちした。


「トシのアニキ。例の奴らかもしれやせん」

「なるほど。お前らか」

「よし君! よし君!」


 その時――突然、吉川の切羽詰まった声が響き渡った。彼女はぐったりとした真壁の体を揺らし必死に声を掛けている。何度も、何度も。必死に。

 するとそんな吉川に応えるように真壁の双眸が微かに開いた。そして鉛でもくっついてるかのような重々しい手を再び吉川へと伸ばした。でもそれは途中で一滴の雨粒に撃ち落されるように――だが吉川の手が体へ落ちる前にそれを受け止めた。そして持ち上げ、自分の頬へと導く。


「ごめん……ね。君は……幸せ――」


 だが言葉を言い切る事は叶わず、その前に真壁の手は滑り落ちた。同時に閉じた双眸と共に顔は彼女の手から零れた。


「っ! よし君! よし君!」


 目を瞠り声を上げるも真壁は瞼をピクリとも動かさない。ただ吉川の腕の中で重力に引かれるがままの真壁はまるで人形のように揺られているだけだった。


「よし君……」


 絞り出すような震えた声と共に吉川はもう応えない真壁を抱き寄せた。そして徐々に体は上下に揺れ始め――彼女は感情を口から溢れさせた。雨音をも押し除けながら彼女はただ悲感にその身を任せ続ける。


「ったく喧しい女だ」


 一方で苛立ちを帯びた原山の視線は無情に吉川を突き刺した。


「細工した理由は? 組長を取るのが目的じゃなかったの?」


 その視線から吉川を守るようにスカリは話の続きを質問した。


たまは狙っちゃねぇ。もしその場でやられちまえばコイツの処分が出来て手間が省ける。運良く生き延びれば俺らが捕えてその首を踏み台に友好関係でも築けりゃ上出来だ」

「でも彼はあんた達の組の人間でしょ?」

「何言ってやがんだ? コイツは組を抜け自分の意思で襲った。その証拠に逃げ出した場合は首を献上するって寸法よ。この役立たずも最後は多少使えたって事だ。雑用分ぐらいか?」


 原山の言葉に弟分は小さく笑い声を上げた。


「まっ、冥土の土産話はこれぐらいでいいだろ。お前らもついでに処分しちまうか」


 そう言うと二人の弟分が原山の隣に並び小柄な短機関銃を構えた。

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