12
「それじゃあ、あたしは店の準備してくるから」
「はーい。これが片付いたら来るからね」
「潰れるまで呑んでくれるなら今回はちょっとぐらい負けてあげるわ」
「じゃあ考えとこっかなぁ」
スカリの少しニヤケた返事を聞きながらメーナは階段へと消え、足音だけを響かせた。
そして足音も遠のくと部屋には台の上で蹲る真壁と椅子でスマホを片手に座るスカリだけが残され、だただ何の音もない沈黙が時の経過を待つ。
「光里と初めて会ったのは真夏日でした」
すると何の前触れも無く真壁の声が沈黙を掻き分け始めた。スカリは顔を上げ特に何かを言う訳でも無く静かに耳を傾けた。
「その日は何もすることが無くて、でも外に出てみたら酷く暑くて。結局俺は公園でダラダラとしてた」
何だか聞き覚えのある話だ、そんな事を思いながらも取り敢えず話を聞き続けるスカリ。やはりその話は吉川が話した真壁との出会いだった。視点は違えどその筋書きは記憶に新しい物語と同じ。とは言え真壁の方を見ながら聞いたと遮れないスカリはしっかりと話を聞いていた。
途中、真壁が上げた顔は穏やかなもので一時でも今の状況を忘れられているようだった。
「そしてただ楽しく話してるだけだったんですけど、ふと気が付いたら……彼女の笑顔から目が離せなくなってて――俺はあの瞬間。彼女の何気ない笑顔を見たあの瞬間に――」
その瞬間を思い出しているのだろう、真壁は幸せに満ちた笑みを浮かべた。
「光里を愛してしまった」
真壁のその表情を見ながらスカリは、吉川を重ね合わせていた。同じ場所の同じ状況――片方が密かに落ちゆく傍らでもう一人も落ちてゆく。もしかしたら二人は同時に恋をしたのかもしれない。実は仲良く手を繋いで恋へ落ちていったのかも。互いの恋に落ちる笑顔を見てお互いに。
そんな事を考えながらスカリは愛色に染まった真壁の顔へ多少ながら憧憬を帯びた視線を向けていた。そして思わず光里の事を口にしようとしたが、直前でそれは止める事にした。
「君は――その時から組にいたわけ?」
「はい。俺は昔から何も無かったんです。片親で母親の顔は知らないし、父親はろくでもないクソ野郎でした。何回も殴られたし、ご飯も自分で何とかしないといけなかったし。中学までは行きましたけど……あれで行ったって言っていいかは分からないですけど。その後はただ生きて、街をぶらついて、友達なんて呼べる程じゃない奴らとつるんで。色んなもん売ったりしてたら、いつの間にか来るとこまで来たって感じですね。正直、その日食えたら別に良かったんですよ。夢も頭も心も生きる理由でさえ、何も無かったんです」
そんな昔の自分を真壁は鼻を鳴らす様に嘲笑した。
「でも彼女と――光里と出会って全てが変わりました。彼女は俺に全てをくれたんです。あれからは毎日が楽しくて、生まれて初めて明日が待ち遠しくなりました。今の俺にとって光里が全てなんです」
そう語る真壁の表情は、まるで初めて降り注ぐ陽光を浴びどこまでも続く大空を見上げた草花のように溌溂とそして煌々としていた。それは彼にとっての吉川光里という存在を言葉以上に語り。またスカリが思い出していた彼女の表情とも重なり合っていた。
「愛だねぇ~」
スカリは恋愛映画を楽しむ乙女のような声を上げた。
「彼女は穢れの無いどこまでも透き通った――俺とは違う人間だと思ってた。でもあんな……」
「人には秘密がある。誰にでもある。君にだってそうでしょ?」
その言葉は真壁にとっては尖鋭で静かに刺していくものだった。
「君は会社員で普通の恋人。でも本当は? 裏社会の人間で――もっとある?」
真壁は先程までの表情から一変した顔を俯かせ片手で覆った。
「……俺は普通のまともな恋人になりたかった。彼女にふさわしい理想の相手に」
「自分は秘密があるのに、相手には無いって? もしあったとして――いや、あった。それで君はショックを受けてる。裏切られた気分? でもそれは君がしようとしたことだよ。不覚にも全く同じ事をね。自分は良くて相手は駄目って自分勝手ってやつじゃ?」
「いや、俺は……」
「今回は不意を突かれたかもしれないけど――誰にでも秘密はあるし、それがいつ露見するかは分からない。それは覚えておいた方がいい」
僅かな間を空け、スカリは人差し指を彼へ何か言いた気に向けた。
「相手の嘘を寛容に聞くコツは――」
そこでスカリは言葉を途切れさせた。少しの間、沈黙が代わりに間を繋ぐ。
「分からないけど……誰にでも秘密はある。それを肝に銘じ、常に覚悟しておくこと……なのかも」
自信満々な切り出しとは打って変わりそれはふわっとしたものだった。
「俺は自分の嘘を打ち明けようとしてた。なのに光里の秘密には……。確かに、自分勝手だな」
「でもまぁ秘密が動き出した今はとりあえずちゃーんと互いに話し合うしかないね」
そう言ってスカリはスマホへ視線を落とし、真壁は腕の中に顔を埋めた。
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