第44話 星見の山脈 5

 時間は現在に戻り、


「何してるの?」


 倒した魔物に刃物を突き立てて作業しているエヴァンに、アリアは尋ねた。

 戦闘直後。アリアは相変わらず下着姿のまま。いまさら恥ずかしがっても仕方ないのだが、なんとなく落ち着かなくて腕で体を隠している。


「……血を抜いている。肉と皮を確保するためだ」


 要するに食料だ。


「ファングゴートは見ての通り肉食だが、その身は食用になる」

「……美味しいの?」

「不味くはない」


 肉食獣の肉は美味しくなくて食用には適さないという知識はアリアにもあったが、どうやら牙山羊は食べられるらしい。――山羊だから?


「手伝おうか?」

「……必要ない」

「……そう」


 仕方ないので、アリアはエヴァンが作業しているところを眺めている。

 少し寒い。アリアは鳥肌が立った腕をさする。

 エヴァンが小さく息を吐いた。


「アリア」

「は、はい!」

「お前は先に戻って、火の番をしていろ」

「……。うん」


 言われた通りにするため背を向けたアリアに、エヴァンは言葉を付け加える。


「火は絶やすなよ。もう一度火起ひおこしをするのは面倒だ」




 川辺に戻ったアリアは、毛布をかぶって焚き火の前に腰掛けた。

 薪が燃え尽きて火が消えることのないように、あらかじめエヴァンが集めていた木の枝を定期的に火に放り込む。

 山の向こうに沈みかけている赤い太陽が見える。辺りもだんだんと暗くなってきた。じきに日が暮れるだろう。

 何もすることがないアリアはずっと火を眺めていた。パチパチ、パチパチ。薪が弾ける音が心地いい。


 そうしていると、ふと一陣の風が通りすぎ、真っ赤な花びらが数枚、アリアの頭上を通り過ぎていった。


「……待たせたな」


 戻ってきたエヴァンは、大きな肉を縄で縛って担いでいた。


「すごいお肉だね」


 大きな魔物だったから当たり前だが、改めて捌いた肉を見ると、やはりすごい量だ。


「ああ……」

「食べ切れるの?」

「いや。余った肉は干して保存食にする」


 これでも、あの大きな魔物のごく一部だろう。

 持ちきれない分は捨てていくしかないとエヴァンは言った。なんだか勿体無い気もしたけど、使い道がないのだから仕方がない。


 その後。エヴァンは肉を切り取り、焚き火で焼き始めた。

 持参していた鉄製のくしで刺し、火で丸焼きにする。

 炙られたことで牙山羊の肉からポタリと油が垂れ落ちる。その匂いに、アリアは急に空腹を思い出した。

 程よい加減で焼き上げた肉に、エヴァンは香草と何かのスパイスらしき粉をかける。


 ごくり。思わず喉を鳴らした。

 すると、エヴァンは完成した串の一本をアリアに手渡した。


「……え?」

「お前の分だ」

「いいの?」

「当然だ。お前が狩った獲物でもある」


 エヴァンと二人で狩った獲物。そう考えると、なんだか嬉しくなった。

 アリアの口には少し大きなお肉。油の滴る、香ばしくて熱々のそれを一口かじった。柔らかい。香草やスパイスのおかげで臭みもなく、食欲をそそる。噛むとじわりと口の中に溶けて広がる。


「おいしい〜!」

「……そうか」


 エヴァンも口元を隠していた布を外して、串肉を食う。

 その素顔は、思っていたよりも普通だった。年の頃は四十歳くらいだろうか。歳相応ではあるけど、なかなかにかっこいいと思う。


「……なんだか、お父さんみたい……」


 その小さな声が聞こえたのか、エヴァンはじろりとアリアのほうを見た。


「あ、いや、その……お父さんとは、なんだか気まずい関係というか、そんなに仲良くはなかったんだけどね……。て、何言ってるんだろう私」


 思わずつぶやいた独り言を聞かれてしまったことで動転して、変なことを言い始めてしまう。

 本当の父親には避けられていた気がしているアリアだが、なんだかエヴァンには理想の父親みたいなイメージを持ってしまったらしい。


 そんなアリアの様子を見て、エヴァンは大きく息を吐いた。ため息だった。


「……飯も食ったし、あとは一人でなんとかできるな?」

「え……?」


 黒いコートをひるがえしながら、エヴァンは立ち上がった。

 日が暮れ、野烏の声が響く。


「火はこのままにしておこう。それから、その毛布はお前にやる。……明日の朝までは、ここで仲間たちが来るのを待っているといいだろう」

「エヴァンはどうするの?」

「目的を果たしに行く」


 荷物をまとめて背負い袋を担ぎ、エヴァンは言った。


「……穢れ狩りの時間だ」




 エヴァンが背を向けたので、アリアは慌てて立ち上がって服を着た。

 スカートのベルトを締め、服の上から革鎧をまとう。服はまだ少し湿っているが、あとは着ていればそのうち乾くだろう。

 それからアリアは荷物を急いでまとめると、歩き去っていく男の背を小走りで追いかけた。


「待って!」

「……ついて来るな」


 突っぱねられたアリアは「うっ」とたじろぐが、穢れの怪異が出ると聞いたら、ここでのんびりと待っているわけにはいかない。


 それに、なんだか気になるのだ。優しいけど、どこか危うい雰囲気をまとったエヴァン。彼のことを見ていると、なぜだか放っておけない気持ちになる。


「私も行くよ」

「必要ない。お前はそこで休んでいろ」


 暗い瞳で睨みつけられて、またも怯んでしまったアリアは、ごくりと喉を鳴らしながら、胆力を持って言い返す。


「穢れの怪異を倒しに行くんでしょう?」

「――そうだ」

「じゃあ、私だって――」


 そこでアリアは、いったん言葉を切った。

 胸に手を当てて、みずからの心を確認する。

 そうして形になった想いを、言葉にする。


「相手が穢れの怪異なら……私にも戦う理由があるから」


 しばし――。

 アリアとエヴァンは睨み合った。

 薄闇の中で冷酷に光る男の瞳と、澄んだ少女の瞳。二つの視線が交差する。

 沈黙の中、野烏の羽音が響く。


「……そうか」


 やがて、男が先に視線をらして背を向けた。


足手纏あしでまといになるのはいい。……だが、邪魔だけはするな」


 その言葉を聞いて、アリアは少しだけ笑みを浮かべた。


「努力するよ」

「約束しろ」

「……うん。足手まといにもならないから」


 ふたたび歩き出したエヴァンの背をアリアは追った。

 その歩みは、先ほどまでより少しだけゆっくりになっていた。




 谷底の森の中。ある場所を境に、明らかに生態系が違って見えた。

 すでに辺りは暗く、木々の枝葉の隙間からは月が垣間見えている。

 その枝葉は捻れるように不自然に曲がりくねっていて、彩度が低く灰色がかった色合いは生物の骨のようにも見えた。


「なに、ここ……」


 アリアの小さなつぶやきを、しっかりと聞き取ったエヴァンが答える。


「この辺りは穢れに汚染された地域だ。……怪物が出るとしたら、おそらくこの中心部の付近だろう」


 一度言葉を切ったエヴァンは立ち止まり、アリアのほうへと振り返った。


「ここにいる生物は多少なりとも穢れの影響を受ける。長居しすぎると魔物ダムドになるぞ」

「大丈夫。私はナガルで暮らしてるから、いまさらだもん」


 言いながら、薄い胸を張るアリアに、エヴァンはため息をついた。


「……そんなことで威張るな」


 改めて二人は谷底の森を進む。

 異様に牙が鋭くて角の生えた蝙蝠こうもりが木々の間を飛び、甲高い声で鳴く。

 川の近くにある森の中なのに、地面はしっかりと乾いていて、土は砂のようだった。

 やがて前方に沼のようなものが見えた。黒い沼。色もそうだが、こんな地面の乾いた場所に沼や池があるのは不自然に感じる。

 エヴァンが立ち止まった。


「……いるな」


 神経を集中させていたアリアは、エヴァンの言葉を理解してすぐに腰の剣の柄に手を当てた。


 直後、目の前の沼がうずいた。


 黒く粘性を持った影だ。それが粘土のように形を作り、実体を得る。

 とっさに剣を構えたアリアは、驚きに目を見開く。


「これは……!」


 形容するのであれば、シルエットは巨大な狼だ。

 しかし逆立った体毛やたてがみに当たる部分は、まるで骨が剥き出しになったかのように太く硬く尖っていた。

 全身を覆うその暗灰色の骨は、無数のつのが集まった坩堝るつぼといった様相ようそうである。


「穢れの怪異!」


 アリアの言葉をエヴァンが肯定する。


「そうだ。来るぞ……!」


 穢れの怪異が吠える。獅子の咆哮に金属音を混ぜたような奇妙な声で。

 そして、ガチンと牙を打ち鳴らし、アリアたちへと襲い掛かった。

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