第29話 岩屑に埋もれし信仰の迷宮――アル・グレイル遺跡 2
アリアたちの侵入に気づいたゴブリンの群れが、いっせいに振り返る。
「ニンゲン!」
「敵襲ダァ!!」
騒ぎ立てる小鬼たちが体勢を立て直すよりも速く、ルイスの槍が群れの中の一匹を貫いた。
「私たちも行こう」
「はい!」
アリアとシスティナも、それぞれ武器を構えて前進する。
群がるゴブリンは土と泥に、それから糞尿にまみれていて、汚くて臭い。それに我慢しながら、アリアは剣を振りかぶる。
「ギャギッ!」
ゴブリンが振るう棍棒を盾で弾き、アリアの剣がゴブリンの胴体を斬り裂く。
まがいなりにも人の形をした魔族の肉を斬る感触が手に伝わるのは嫌な気分だったが、そうは言っていられない。ここで手を緩めれば、すぐに囲まれて袋叩きにされてしまうだろうからだ。
アリアは油断なく剣を構え直しながら、ちらりとルイスのほうを見た。彼は相変わらず、目にも止まらぬ槍さばきで目の前のゴブリンたちを瞬く間に蹴散らしていく。
そんな彼の背後、死角から隙を突こうと忍び寄る一匹のゴブリンがいた。
「ルイス!」
アリアはすぐさま駆け寄り、ルイスの背後に迫ったゴブリンに剣を突き刺す。
ずぶり、という嫌な手応え。直後に刃が骨にぶつかる硬い感触がして、それにアリアは顔をしかめながら、足を使って剣を引き抜く。
ルイスが横目でちらりと背後に目を向けた。
「助かった。さすがだな、アリア。頼もしい限りだ」
「ルイスもね」
安堵したのも束の間、遺跡の奥からベタベタと走る無数の足音が聞こえてくる。
「新手です!」
システィナが声をかけると、すぐにルイスとアリアは背中合わせになって武器を構えた。
「当初の予定通り、背後は任せるぞ」
「うん」
遺跡の奥から続々と現れるゴブリン。その数はすでに二十近いだろうか。先ほどのように飛び込んで行ったら、すぐに囲まれてしまうだろう。
だが、背後にはルイスがいる。おそらくアリアよりも実力が上の槍使いだ。アリア一人で前衛をしていたときに比べれば、安心感が大きく違う。
それに、
「アウラよ。万象たるマナよ、我が敵を射抜け……
システィナの持つ結晶の杖から二条の光の矢が飛翔し、ゴブリンの群れに直撃。炸裂し、青の爆風が妖魔たちを巻き込んで吹き飛ばす。
システィナの魔術の援護だ。広範囲・多数を攻撃できる彼女が後ろにいるのが頼もしい。
「いまだ!」アリアが走る。
散り散りに吹き飛んだゴブリンたちが体勢を立て直す前に。
それに合わせてルイスもゴブリンたちへと突進。弱った敵に容赦なくトドメを刺していく。
「まったく」ルイスが槍を使って向かってくるゴブリンを仕留めながら、ため息まじりに漏らした。「ゴブリンは一匹見たら三十匹はいると思え、とはいうがな」
そんなゴキブリみたいな、とアリアはげんなりとした。
言われてみれば、ゴブリンとゴキブリはなんだか語感が似ている気がしてくる。関係ないのだろうけど。
などと気が緩んだ隙に、一匹のゴブリンがアリアの脇をすり抜けてシスティナのほうへと向かっていった。
「システィナ、ごめんそっち行った!」
「は、はい!」
システィナは落ち着いて細身の剣を腰から抜いて、意外にも鋭いその剣さばきでゴブリンを返り討ちにした。
どうやら心配はなさそうである。
三人の連携が崩されなければ、あとはシスティナが吹き飛ばしてルイスが倒してくれる。それがわかってからは、アリアはひたすら生き延びることと二人をサポートすることに専念した。
数では相手のほうが圧倒的に
怖いのは乱戦による不足の事態が起こることと、体勢が崩れた隙を狙われることだから、アリアはそれをカバーできるように立ち回る。
システィナの魔法が炸裂し、ルイスが槍を振るうたびに、遺跡の広間にゴブリンの屍が積み上げられていく。
それにともない、三人は全身に赤黒い血を浴び、広間の中は死臭に満ちていく。
(うぅ、ダメ……吐きそう……)
ゴブリンのもともとの臭さと立ち込める血のにおいに、
群がる
「……片付いたな」
それでも、戦い続ける限り、終わりは来る。
気がつけば、あれだけいたゴブリンたちは皆、動かなくなっていた。
残ったのはおぞましい死体の山。
ルイスもアリアも、後衛にいるシスティナすら血と泥で汚れていた。
「……切り抜けましたね」
「ああ。……アリア、平気か?」
よほどひどい顔をしたいたのだろう。ルイスがアリアのことを案じて声をかける。
安堵した瞬間に吐き気が込み上げてきて、アリアは口元を押さえて前のめりになった。
するとシスティナが心配して駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
崩れ落ちそうになりながらも、なんとか地面に膝をつかずに我慢した。それは余裕があったからでもないし、仲間たちの前だからと強がったわけでもない。
血と臓物と肉片、その他にも得体の知れないものが転がる地面に触れたくないという、ただの潔癖からだ。
「気分が悪かったら、遺跡から出てどこか安全な場所を探して休憩をするか。群れの規模はわからないが、戦力はかなり削ったはずだ」
「はい。ルイスさん、ありがとうございます」システィナがアリアの背をさすりながら言うが。
「……大丈夫だよ」
アリアはかぶりを振った。
「いま引き返したら、遺跡に残っているゴブリンたちはもっと守りを固めるだろうし……それか、どこか遠くへ逃げちゃうかもしれないでしょう」
「たしかにそうだが……」
「なら、進んだほうがいいよ。私は大丈夫だから」
「そうか……。無理はするなよ」
「うん。ごめんね、心配かけて」
「気にすることはないさ」
話している間も、システィナは無言でアリアの背中をさすってくれた。そうやって気を使ってもらえると、少しだけ気分が楽になる気がする。
ルイスはそんなアリアたちを見ると、少しだけ微笑んでから、また遺跡の奥へと進み始めた。先ほどよりも少しだけペースを落として。気を遣ってくれているのだろう。
途中で呑気にも眠っていたゴブリンを、ルイスが気づかれぬよう音もなく近づいて殺し、進む。
壁に絵が彫られていた。それは半ば削り落とされていたが、聖杯とも言うべき杯に、花の蜜を注いでいる絵だろうか。
その少し先には、彫られた絵とは作り方がまったく逆の
レリーフはまだ新しく、あまり精巧ではなかったが、それはドラゴンのように見える。
ルイスがそれを見て、表情を変えた。
「竜……か」
そう言って、しばし瞳を閉じる。
その端正な横顔は何かを惜しんでいるようにも見えるが、アリアにはルイスの
「ルイス、」
「……行くか。この先から、かすかにざわめき声が聞こえる」
耳を澄ますと、確かに何かが聞こえる。
奇妙な声だった。ざわめき声というよりは、お寺とかで聞くお
システィナが
「なんだか、嫌な感じがしますね」
それにはアリアも同意した。
だが、アリアたちの受けた依頼はゴブリンの殲滅。危険に自ら踏み込んでいかなくては、クエストの達成はできない。
背後からアリアとシスティナがついてきているのを振り向いて確認しながら、ルイスが言う。
「それにしても、アル・グレイル遺跡とはこんなに大きな建造物だったのだな。ゴブリンの数も、想定よりも多い」
「そうですね。発見されたばかりの遺跡なので……つい最近まで、この辺りは岩山に埋まっていたらしいですから」
「岩山の一部が崩れ落ちたことで、この遺跡の入り口が顔を出したんだったか」
いたずらを思いついたように、ルイスは笑みを浮かべた。
「ならば、ゴブリンたちを除けば我々が一番乗りということか。もしかしたら、この遺跡にはまだ見ぬ宝が眠っているかも知れないな」
「え、宝物があるの?」
宝という言葉にアリアが食いつくと、隣にいるシスティナが説明してくれる。
「こういった、まだ発掘されていない遺跡には、古い時代の貴重な遺物が残されている場合があるのです。中には、高度な魔術が込められた
「へぇ、宝探しかぁ」
なんともロマンのある話だ。
つい顔が緩んでしまうアリアに、ルイスが言う。
「宝を求めて遺跡の探索をするためにも、まずはここに居座るゴブリンどもを掃除しなくてはな」
そう釘を刺すルイスだったが、口調と表情は乗り気な様子だった。
アリアたちは慎重に遺跡の奥へと向かう。
歩みを進めるごとに、奥から聞こえるざわめきが大きくなる。
その中にかすかに混じる、お経を読むような声。それは最初はアリアにしか聞き取ることができなかったが、今ではルイスとシスティナもそれに気づいたらしい。二人とも表情を引き締める。
「これは何だ……呪文か?」
「何かの儀式を行っているのでしょうか?」
「ゴブリンにそのような文化や知恵があるとは思えないが……」
通路を進むと、前方に明かりが見えた。システィナの使っている魔術とは異なるものだ。
揺らめいているのは、おそらく炎の明かり。
それに気づいたルイスがシスティナに指示を出す。
「システィナ、灯りを消してくれ」
「は、はい」
魔術の光を敵に察知されないようにするためだというのは、アリアにもわかった。
慎重に、気配を殺して歩みを進める。
眼下に広がったのは――大広間だった。
競技場のような形状になった広大な室内には、ゴブリンだけでなくホブゴブリンの姿まであり、皆が一様に平伏していた。
妖魔たちがこうべを垂れる先、大広間の奥にあるのは、祭壇と巨大なオブジェ。それはまるで
祭壇の上には、ゴブリンにしては上等な布と骨で装飾された衣服を着た一匹がいる。
アリアたちがいるのは、無数の妖魔たちが平伏している大広間の上層、競技場の二階席のような場所だった。
「なんだ、これは……」さすものルイスも唖然とする。
「まさか……ゴブリンたちの
「ゴブリンに何かを祀るような習慣があるとは、考えづらいのだが……」
「そう……ですよね。ですが、これは……」
平伏している妖魔たちは祈りを捧げているようにしか見えない。
とすれば――祭壇に立つ一匹は指導者か。
知恵がなく野蛮だと思われていた種族がこうして文化的な行動をしているのは、どこか不気味である。アリアですらそう感じるのだから、この世界の人間であるルイスとシスティナはもっと違和感を覚えているのだろう。
妖魔たちは、何をしているのだろうかか。この広間は、いったい何なのか――。
アリアは息を呑み、手に持った盾を強く握りしめた。
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