第12話 エレノーア教会 3

 魔族とは。人間と敵対する種族の総称であり、その身と魂には生まれながらにして穢れを持っているという。

 人と似た姿形をしているが、あくまで魔物。知能の高い魔物であると定義されている。


「神々がまだ健在であった頃……。かのオルドウィン王の時代に、大半が根絶されたのだけど……」


 世界が穢れに満ちた今、また勢力を拡大してきているというのが、ユイの説明だった。


 魔族の多くは混沌を良しとし、他者を襲い、他者から奪う。さらに生殖目的で人間をさらう種族もいる。

 邪悪な心根を持つため、非常に危険な存在なのだという。




「本当に、気をつけて……お姉ちゃん」


 心配するユイ。それに三人の子供たち。

 その様子を見て、なんとなくアリアも怖くなってきたが、気丈に笑顔を見せて出発した。




 森の中。降りしきる雨に打たれながら、泥と水たまりを踏み締めてユイから話を聞いた場所を目指して進む。

 アリアは土地勘はなかったけど「惑わしの妖精の森」を越えてきたのだから、きっと大丈夫だという根拠のない自信とともに走り続けた。


 しばらく進むと、前方から何者かの気配がした。

 木や茂みに身を隠しながら、慎重にアリアは気配のほうへと近づいていく。

 何者かのしゃがれた声と、人が人を殴りつけるようなおぞましい音が聞こえた。


「ったく……単身で挑んでくるもんだから少しはやるのかと思ったが、大したことはなかったな」

「オラ! 立て! 楽には殺さねぇぞ人間!」


(……誰かが、襲われてる!)


 襲われているのは、くだんの旅人だろうか。

 アリアは木の陰からそちらを覗き込んだ。


 いた。あれが魔族だ。

 ゲームではゴブリンというのだろうか。背丈はアリアの胸くらいまでしかない。緑色の肌を持つ小さな子鬼のような魔族が三匹。

 ゴブリンをずんぐりと大きくしたような魔族、おそらくホブゴブリンと呼ばれるやつが一匹。

 ――引き締まった体に、赤褐色の肌と焦茶色の髪を持ち、頬から全身にかけて黒い入れ墨のような模様のある、端正な顔立ちをした男の魔族が一人。

 合わせて五体。そのすべてが、長い耳と鋭い牙を持っていた。


 そして、五体の魔族たちに囲まれてなぶられている人が一人。


(女の子……?)


 少女だった。年頃はアリアと同じか少し下くらいだろうか。

 雨に濡れた長い銀髪、透き通った蒼い瞳、白いフリルのついた黒色のドレスのような服を着て、その上から濃紺のローブをまとっている。胸も大きくてスタイルのいい。可愛らしくも美しい少女だった。


「ぅ……」


 かなりひどくやられているらしく、その体はボロボロで、痛みに唇をきゅっと引き結んでいる。


「くらえ、人間!」


 三匹の子鬼ゴブリンたちによって両肩を掴まれ、羽交い締めにされた少女の鳩尾みぞおちに、大柄なホブゴブリンが拳を叩き込む。

 少女より頭一つ大きく、体重は何倍もありそうな魔族の拳。雨水が弾け、ドスン! と重い衝撃がアリアのいる場所まで伝わってきて、その残虐さに思わずぎゅっと目を閉じた。


「うっ! …………っ。げほっ、げほっ……う、ぷ……」


 ドスン! ドスン! ドスン! と華奢な少女の体を魔族は何度も殴りつけ、少女はついに嘔吐してしまった。

 すると魔族たちはケラケラと笑って、なおも少女をいたぶっていく。


「や、やめ……」


 アリアが怯えながらつぶやくが、雨音にかき消されて彼らには聞こえず、夢中になって少女を殴り、蹴りつける。

 こいつら――人間をなぶって、苦しめることを楽しんでいる。

 アリアの心を怒りの感情が支配し、自分を抑えることができなくなった。


「やめなさい……!!」


 アリアは木の陰から飛び出して、魔族たちの眼前にその身をさらした。

 慎重に行かなくてはいけない場面だということはわかっていたが、いたいけな少女がこれ以上傷ついていくのは見ていられない。


「なんだァ? 新手か?」


 ホブゴブリンが少女を殴るのを中断し、解放されて地面に崩れ落ちた彼女の体を踏みつける。

 ほかの魔族たちの視線もすべて自分のほうへと向けられて――アリアはごくりと息を呑んだ。


「その子を離してよ!」

「あァ? おれたちが人間の言うことなんか聞くわけがないだろォ」


 大きな体躯のホブゴブリンに踏みにじられ、銀髪の少女は可憐な唇から小さくうめき声を漏らす。

 それを見て、アリアは理解した。

 ――そうか、これが魔族。人間とは相入れない存在。


 アリアは腰に吊るした鞘からミスリルの剣を抜き放って、小盾バックラーといっしょに構えた。

 話しても聞く耳を持たない以上、力づくで少女を助けるしかない。

 相手は魔物と言っても人間に似た種族だ。そんな彼らを傷つける覚悟はアリアにはないが、そうも言っていられない。


 自然と額に汗が流れる。

 言葉を操り、人に似た姿の彼らを、自分は斬ることができるのだろうか。


「なんだ、こいつビビってんのかァ?」

「うるさい……この剣が見えないの? 私は本気だよ……」


 ゴブリンたちも、赤肌の蛮族もケラケラと笑う。

 嘲るようなその様子にアリアは頭に血が上るのを感じる。顔が真っ赤になっているだろう。


 赤肌の蛮族が、呆れたように「ハンッ」と鼻を鳴らした。


「一人で飛び出してくるから、少しはやるのかと思ったが……所詮しょせんはただの虚勢か。つまらんな」

「な……! やってみないと、わからないでしょう?」


 強がる声もわずかに震えていて、アリアはそれが悔しかった。

 こんなやつらになめられるなんて。

 落ち着くために深呼吸をしていると、ホブゴブリンに足蹴にされている少女が小さく口を開いた。


「逃げ……て……」


 美しいライトブルーの瞳が、切望するようにアリアを見据える。


「……わたしに、構わず……あなたは……逃げて、ください……」


 すがるような声。それを聞いたアリアは、心が急激に冷えていくのを感じた。

 もう一度、ゆっくりと深呼吸をする。冷たい空気が肺を満たした。


「もう一度言うよ……その子を解放して」


 ホブゴブリンが「ククッ」と小さく喉の奥で笑った。


「そんなに返して欲しけりゃあ、返してやるよ……そら!」


 ホブゴブリンは、うずくまる少女のお腹を、ドスン! と蹴飛ばした。

 吹き飛んだ少女の体が、ごろごろとぬかるんだ地面を転がる。


「ついでだ! お前もいっしょに捕らえて、おれたちの住処に連れ帰ってやるよ!」


 ゴブリンたちが武器を持ってアリアににじり寄ってくる。

 ホブゴブリンは大きな棍棒を持っていて、ゴブリンたちは一匹が棍棒を、残る二匹が石斧のようなものを持っていた。

 どれも当たればただじゃ済まないだろう。


 アリアは彼らのほうを油断なく見ながら、転がってきた少女に小さく声をかけた。


「……大丈夫?」


 少女が虚ろな瞳をアリアへと向けた。


「どう……して……?」


 それだけを言うと、少女は気を失ってしまった。

 なぜ助けるかを問われたのだろうか。

 そんなのは、愚問だった。放っておけるわけがない。


「……許さないよ。野蛮な魔族たち……」


 剣の切っ先を向けるとゴブリンたちが邪悪に笑う。


「カッ! お高くとまった人間様がよォ!」

「なめてんじゃあねェぞ!」


 いきり立つゴブリン立ちとは反対に、褐色肌の魔族は腕を組みながら彼らの見ている。


「俺は強いやつにしか興味がない。てめぇらでやりな」

「おうよ! こんな女、おれたちだけで十分だァ!」


 ゴブリンが石斧を振りかぶり、アリアへと襲いかかる。


「ケケッ! 動けなくしてなぶってやるぜ! おらぁ!」


 石斧がアリアの体へと振り抜かれようとした瞬間。


「そこだ!」


 アリアは左手のバックラーをゴブリンの石斧に叩きつける。


「パリィ!」


 ガコン!!

 硬く鈍い音が鳴り響き、弾き返されたゴブリンが大きくのけぞる。

 そのガラ空きの胴体へと、アリアは剣の切っ先を突き刺した。


「ぐぎゃッ!?」


 ゴブリンは胸元を深々と刺されて悲鳴を上げる。

 アリアはその体を蹴り付けて、思い切り剣を引き抜くと、ゴブリンの傷口から鮮血が吹き出してアリアの服と頬を汚した。


「……はぁ、はぁぁ……!」


 アリアは息を整えて、興奮を抑える。

 ついに、人に似た種族である魔族を手にかけてしまった。――というのに、普通の魔物を相手にするときと感覚が変わらないのは、彼らが人の心を持たぬ下衆げすだからだろうか。


(いずれにしても……もう、もとの私には戻れない……よね)


 魔族とはいえ、人の言葉を解する者を殺してしまったのだ。

 人間として重要な一線を踏み越えてしまった気がして、不安が心を巣食う。


 だが、そんな感傷にひたる暇もなく、次のゴブリンがアリアに襲いかかる。


「ちくしょう! こいつ、なめやがって……!」


 振り下ろされる石斧を、アリアは後ろに飛びのいてかわす。

 そこへ体の大きなホブゴブリンが近づいてきて、棍棒を振りかぶった。


「くらいやがれ! このアマ!」


 がきん! 重い衝撃が盾へと伝わるが、アリアは怯まずに踏みとどまる。


「な……おれの一撃を止めやがった! こいつ、細っこい見かけのくせに、なんて力だ……!」


 ムキになったホブゴブリンが棍棒を押し込んでくると、さすがに体重差があるため、雨に濡れた地面では踏ん張りが効かずにアリアはずるずると後退してしまう。

 しかし、自分の持つ意外なほどの力にアリア自身も驚いていた。

 これもフローリアの加護なのだろうか。これなら、ゴブリンたちが相手でもなんとか立ち回れそうだ。


「ほう……やるじゃねぇか、意外と楽しめるかもしれないな」


 褐色肌の蛮族が肩をコキコキと鳴らした。

 合流されたら不利だ。アリアは急いで目の前のゴブリンを片付けることにする。


「そこだ!」


 ミスリルの剣を振るう。

 ここまでの攻防でわかったことは、背の低いゴブリンは手足も短く、すなわち武器の届く範囲が狭いということだ。

 剣の長さを活かして相手の攻撃が届かない位置から攻撃すれば、有利に立ち回れる。


「ウワッ! こいつ、強いぞ……!」


 ゴブリンがアリアの攻撃をギリギリで回避しながら叫ぶ。

 そこへ間髪入れずにアリアは盾で殴りつけた。体勢を立て直すことのできなかったゴブリンが、鼻面はなづらを盾で殴られてふらつく。そこへアリアは剣を振り上げて、脇腹から肩口までを大きく引き裂いた。


「ぐぎゃ!」


 二匹目のゴブリンが倒れる。

 だが残るゴブリンたちは仲間の死にも怯む様子もなく、背後からアリアに石斧を叩きつけた。


「うぐ……!」


 ずん! と背中に石斧を叩き込まれて、激痛とともにアリアは息が詰まって呼吸ができなくなった。

 石斧の切っ先は鈍くて斬れ味は悪かったが、それでも尖った部分で攻撃されると服が破れて血がにじんだ。


「負け……るか!」


 一撃を入れて油断しているゴブリンに、アリアはミスリルの剣を叩き込んだ。

 振り向きざまのカウンターによってゴブリンの胴体は深々と斬り咲かれて、意識を失って倒れた。


「テメェ!」


 瞬く間に三匹の子分たちがやられて、怒りの形相ぎょうそうでアリアに棍棒を振り下ろす。

 それをアリアはバックラーで受けながら、わざと力を抜いて衝撃を外側へとそらした。


「うぉぉッ――!?」


 相手の攻撃を受け流すタイプのパリィ。これもゲームにあったテクニックと、カマキリの魔物との戦いでコツを掴んだ方法だった。

 振り下ろされた棍棒はその勢いを止めることができず、ホブゴブリンの体が前方によろける。

 そこへ。


「こ……のぉッ!」


 大きな土手っ腹に、剣を突き刺した。

 返り血がアリアの手元を濡らす。そのまま捻りを加えてトドメを刺そうとするが、ホブゴブリンの動きは止まらなかった。


「やりやがったな……人間ゥッ!!」


 なんて生命力だろうか。貫かれても意識を失うことなく、アリアに反撃をしてくる。


(け、剣が抜けない……!)


 動けないアリアは、バックラーを使ってなんとか棍棒の一撃を受けた。


「くっ」


 大きな衝撃でよろけそうになるのを、なんとか踏みとどまる。

 怯んだアリアの右脇腹を、ホブゴブリンの左拳が殴りつけた。


「かはっ」


 どごん!

 強烈な一撃で体が浮き上がり、目の前がくらくらとした。

 急所を殴られる痛みと苦しさに、アリアの口から苦鳴が漏れる。


「こっ、のっ……!」


 苦痛で頭の中がめちゃくちゃになりながら、アリアはホブゴブリンの体を蹴り付けて剣を引き抜く。


「ぐぉぉッ!」


 傷口が広がり、吹きあふれる鮮血。それを身に浴びながら、アリアはもう一度剣を突き刺した。


「たぁぁッ!」

「ぐはぁぁ!!」


 ホブゴブリンの大きな体、その喉元に剣が突き刺さった。

 ずしん! と大きな音を響かせながら、ホブゴブリンの体が倒れる。

 どうやら、今度こそ致命傷のようだ。


「はぁ、はぁ……」


 肩で息をしながら、アリアは倒れたホブゴブリンの体から、なんとか剣を引き抜いて立ち上がった。

 そして、剣についた血と雨の雫を払いながら、褐色肌の魔族のほうへと振り返る。


「……雑魚とはいえ、そいつら四人をいっぺんに倒すとはな」


 腕を鳴らしながら、アリアを見下ろす魔族の男。


「あなたも、彼らの仲間なの?」

「……まあ、そんなところだ。同じ魔族のよしみだからな」

「そう」


 アリアは剣の切っ先を魔族へと向けた。

 血まみれの体で睨みつける少女の意外なすごみに、魔族は「ひゅぅ」と口笛を鳴らした。


「いいじゃねぇか。そういうのは嫌いじゃない」

「……手加減はしないから」

「必要ねぇよ」


 魔族の男が自らの手のひらに拳を叩きつけた。

 瞬間――ぼぅん! と打ち合わせた両手から炎が巻き上がったので、アリアは驚いてびくりと体を震わせた。


「俺は魔族の一人。“炎拳”のイグニドだ。お前、名は?」


 男の発する威圧感に、アリアはごくりと喉を鳴らしてから、答えた。


「私は……オースアリア。……魔族イグニド、あなたを倒す!」

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