ヒモQ!~おはようからおやすみまで『は』性格が聖人君子なイケおじヒモ吸血鬼が私の最推し!~

エノウエハルカ

№1 おもしれー女

推すようなこともなき世に推し事を(高杉晋作)

 

あなたが推しを覗いている時、推しもまたあなたを覗いているのだ(ニーチェ)

 

推したっていいじゃない、人外だもの(みつを)




 桜田咲、25歳バリキャリОLは、自他ともに認めるダメンズウォーカーにして、生粋のダメンズメーカーである。


 過去に付き合ってきた男はもちろん全員がダメンズだった。そして、咲と付き合うことによってダメ具合をこじらせにこじらせ、とうとうクズにまで落ちぶれて咲を捨ててきた。


 しかもただひとりとして咲のことを求めず、処女のまま25歳を迎えてしまった。すべての男が欲しいのはステータスとカネであり、咲本人には微塵も魅力を感じていなかった。


 ここまで来ると、もう才能である。


 ダメな男をさらにダメにする、ダメ男の養殖家である。


 もちろん、咲自身が意図的にダメにしたわけではない。甘やかして甘やかして甘やかしまくった挙句もっと甘やかして、結果がそれだった。


 この女はチョロい、ダメ男特有の嗅覚に嗅ぎ当てられた咲はまんまととりこになり、ダメ男の予想を上回る甘やかし具合でクズにまで退化させてしまったのだ。


 クズ男もこのままではいけない、とさすがに危機感を覚え、咲を捨てて去っていった。咲にしてみれば突然に最愛の男に捨てられ、失意のドン底だ。


 いったいなぜ?


 なにが悪かったのか??


 フラれるたびに咲は頭を抱えたが、問題が解決することはついぞなかった。


 ……だが、今回は違う。


「うっし! 外回り行ってきます!」


「今日もがんばるねえ、桜田さん」


「はい! 私には推しがいるんで! 推しのためにがんばります!」


「はは、その意気だ」


 同僚と談笑した後、咲は自分のオフィスから飛び立ち、営業仕事へと向かった。


 バリキャリとはいえ、今こうして稼ぎまくっていられるのも運がよかったからだ。


 新卒で入ったベンチャー企業がたった一年で急成長し、あれよあれよという間に課長にまで出世した咲は、今や花形部署である営業部の輝かしいホープだった。当然のように成績はトップで、今の部長が退いたあとの後任は咲だとウワサされているほどだ。


 しかし、いくら稼いでも咲にはカネの使い道がなかった。


 今の咲といえば、すっぴんに安物のパンツスーツ、ひっつめ髪に深爪と、まるっきり女を捨てた格好だ。


 咲はいわゆる干物女でもあった。


 化粧品や服、ジュエリーやエステなど欲しいと思ったことはないし、かといって旅行や車やネトゲなどの趣味もまったくない。


 無趣味の干物女が行き着く先は、『男に貢ぐ』ことだった。


 もちろんホストクラブにも行ったことがあるが、ホストの方が逆に咲の暴走する金遣いにストップをかけたほどである。


 それに、浮ついたホストはなんとなく咲の好みに合わなかった。


 ということで、付き合ったダメ男のすべてをクズ化させてしまうスキル『ダメンズメーカー』を手に入れてしまったのだ。


 この不名誉な称号のもと、散々男に振り回されてきた咲だったが、今は違う。


 今の咲には推しがいるのだ。


 だから、こうしてがんばれる。


 春先の少し冷えた空気を切って速足で歩きながら、咲は今日も商談へと向かうのだった。


 


 一撃で商談を決め、必要な書類を作成していたらもう夜になっていた。


 残業はなるべくしないように言われているので、咲は仕事を持ち帰ることにしてオフィスを後にした。


 満員電車に揺られ、最寄りの駅で降り、自宅マンションまで必死の思いで歩きぬく。


 もうすぐ、もうすぐだ。


 あの玄関のドアを開けたら、私の推しがいる。


 もどかしい気持ちでエレベーターを待ち、一路自宅へ向かう。カードキーで玄関を開けると、そこには……


「おかえりなさいませ、ご主人様。本日もお仕事お疲れ様でございます」


「カインー♡」


 帰ってくるなり、咲は玄関で待っていた推しに抱き着いた。


 背の高い、30半ばほどのメガネの男である。背が高く、抱き着くとしなやかな筋肉がついているのがわかった。シルバーグレイの髪をオールバックになでつけ、琥珀色の目元には笑いじわが浮いている。


 なによりも、その表情が魅力的だった。


 柔和、といか、穏やか、というか、やさしげ、というか、いつくしむような、というか。


 ともかく、そんなあたたかい感情をありったけ詰め込んだような微笑みを、男は浮かべていた。


 胸に顔をこすりつけてひとしきり体温とにおいを堪能した咲の頭を、男……カインはよしよしと言わんばかりに撫でる。


「今日もなにか素敵なことがありましたか? 僭越ながら膝枕をさせていただきますので、聞かせてください」


「うん!」


 犬のしっぽがあったらぶんぶか振り回すような勢いでうなずくと、カインは咲のジャケットをそっと脱がせてハンガーにかけ、バッグを預かるとソファへと導いた。咲はその間ずっとカインにまとわりついて離れない。


 ソファに腰を下ろしたカインの膝にダイブすると、咲の脳内にエンドルフィンの花が乱れ咲いた。腰に腕を回してぴったりくっつくと、うへへと笑って、


「ああー、充電されるー♡」


「それはようございました」


 いつくしむように咲の頭をなでつつ、カインも笑う。


 またしばらくカインから放出されるなにかしらの成分を吸収して、咲の脳はしあわせでだるだるになっていた。


「あのね、今日私、また商談成立させたよ!」


「さすがはご主人様です。ご立派です。誰でもできることではございませんよ」


「もっと褒めて!」


「ええ。ご主人様は企業戦士の鑑です。毎日のように社会貢献をなさっている姿を見ると、わたくしめも誇らしく思います」


「うへへー、でしょでしょ? カインは? 今日はなにしてたの?」


「わたくしめも、良い一日でした。パチンコに漫喫に赤ちょうちん、楽しゅうございました」


 パチンコ。漫喫。赤ちょうちん。


 とてもこの温和な紳士の口から出てくるような単語ではなかった。


 しかし、カインは言ったのである。


 パチンコ。漫喫。赤ちょうちん。


 ガチクズの数え役満である。


 カインはシャツのポケットからタバコを取り出すと、咲をなでながら吸い始めた。一本目が終わると二本目へ。チェインスモーカーだった。


「ああ、おタバコおいしゅうございます」


「カインの副流煙もおいしいよ!」


「ふふ、わたくしめの副流煙が、ご主人様の清らかな肺を汚していると思うと、なにかぞくぞくくるものがありますね」


「うへへー、私も♡」


 受動喫煙をこんな風にとらえる人間が、この世にはいるらしい。突然の室内タバコにもイヤな顔ひとつせず、咲はタバコを吸うカインになでられながらうっとりしていた。


 きれいな灰皿にタバコを押し付けて消し、カインは咲のあごを、くいっ、と持ち上げて目を合わせた。


「こんなわたくしめを養っていただいて、いつもありがとうございます、ご主人様」


「いいんだよ! カインは私の最推しなんだから! これ、明日のお小遣いね!」


 頭を下げるカインに、咲は財布から諭吉を十人ほど召喚して手渡す。来月の、ではなく、明日の、である。少々額が大きすぎる気がするが、咲の年収からしてみればカスのようなものであった。


 咲はカインのことも甘やかしに甘やかしていた。貢ぎまくっていた。


 普通の男ならクズ化して危機感を覚え、咲を捨てて去っていくが、カインは違った。


 いつも笑顔で咲を迎え、掃除洗濯料理などの家事を完璧にこなし、お金を渡せばいつでも深く感謝してくれる、咲の敬虔な教徒のような男だ。


 やっていることはガチクズなのだが、性格だけは聖人君子だった。


 そんなカインのことを、咲はかつてないほど推していた。


 まるでアイドルに黄色い声を上げる女子高生のように、二次元のイケメンに満面の笑みを浮かべる腐女子のように、惜しむことなく推していた。


 今までは『ふーん』程度の現象だったのだが、カインが現れてからというもの、咲は『推し』という概念を身をもって実感したのである。


 『推し』。それは人生に潤いを与え、生活を一変させるものだった。


 もはや咲の生活は、カイン中心に回っているといっても過言ではない。


 カインに仕事を辞めろと言われれば辞めるし、副業風俗でもっと稼げと言われれば風俗嬢になっただろう。


 だが、カインは決してそんなことは言わなかった。


 ただただ咲をいつくしみ、咲のためを思い、咲にひたすら感謝しているのだ。


 カインの軸もまた、咲だった。


「ありがとうございます。明日はスマホゲーの課金イベントがございますので、その軍資金にさせていただきます」


「明日も楽しんでね!」


「はい、もちろんでございます。さあ、ご飯にいたしましょう。今日はさわらが旬でしたので、初物の春野菜とムニエルにいたしました。自家製ポタージュもございますよ。召し上がったらお風呂に入りましょうね」


「やだやだー! もうちょっとこうしててー!」


「ふふ、かわいらしいご主人様。もう少しだけですよ?」


 咲のワガママに微笑んで、カインは咲の頬をするりとなでる。


 その手になつくように目を細め、咲は恍惚のため息をこぼした。


 推せる。最高に推せる。


 この性格だけは聖人君子のガチクズのことを、咲は心底推していた。


 しかし、推している理由はそれだけではない。


 もうひとつの理由は、『おやすみ』のあとに待ち受けていた。

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