Colorless Flowers
amada
君になりたかった
玄関のドアが開いて彼女が帰ってきたのは、私の仕事が終わるのとほとんど同時だった。
「…ただいま」
「おかえり。遅かったね」
思わず咎めるような口調になってしまった。でも仕方がない。彼女は高校生で、今は20時。部活とかバイトとかならわかるけど、それらと縁のない彼女は一体どこで何をしていたというのか。気にするなというほうが無理な話だ。
「ゆず、なんかあった?」
「…べつに。あーちゃんには関係ないし」
ローファーを乱暴に脱ぎ捨てた彼女は、そのまま私の寝室のほうに向かった。カバンを床に投げ捨てる、どん、という音がした。どうやら思っていた以上に機嫌が悪いと見える。私は寝室を覗き込んで言った。
「ねえ、ゆず。お腹すいてない?」
「……」
「あー、私仕事終わりで疲れちゃったなー」
「…在宅ってそんな疲れんの?」
今のはさすがにむっとした。ちょっと話を引き出したくてわざとらしく言ったのは認める。それにしたってひどくはないか。高校生には高校生の大変さがあるだろうけど、いくら在宅勤務だからといって疲れないわけがない。
寝室に入る。廊下から入る光でぼんやりと照らされた部屋の中心にはベッド。そこには体を覆い尽くさんばかりのふわふわの髪の女子高生が一人、横になっている。放り捨てられたカバンは少し開いていたらしく、そこから教科書や文房具の類が溢れ出している。私には床に溢れ出した学用品が、そのまま彼女の心を表しているように思えてしまった。
背を向けた彼女の横に座る。もぞもぞと動く気配があったが、言葉はない。お互い沈黙している。先程まで刺々しい雰囲気をまとっていた彼女だったが、今背中に感じるのは弱々しい存在感だけだ。
「カバン、重かったでしょ」
「…重かった。ほんとむかつく。途中で捨てようかと思った」
「そっか。でもえらいね。お家まで持って帰ってきて」
「…えらく、ないもん」
「えらいよ。ちゃんと頑張ったんだから」
相変わらず強情。というより人の好意をまっすぐ受け止めるのが難しいんだろう。私も似たような学生時代を過ごしたから、なんとなくだけど、わかる。
「あーちゃん」
呼ばれて振り向くと、寝返りをうった彼女と目が合う。その目からは重力に従ってぽろぽろと涙がこぼれている。やっぱりそうだ。溢れちゃったんだね。
腕を伸ばして彼女の頭を撫でる。ふわふわの茶髪は、私の手を飲み込んだり跳ね返したり、忙しい。いつまでそうしていただろう。時間の感覚はとうになくなっていた。その間も彼女の目からは涙がこぼれ続けている。言葉は、ない。
意を決して私もベッドに横になった。彼女の顔が真横に見える。涙は相変わらず。無言も相変わらず。でも、溢れているのだ。彼女が頑張って持って帰ってきたカバンのように、パンパンでもう行き場がないんだ。その中身に名前がなかったとしても、ぎゅうぎゅう詰めはやっぱりつらい。
そのまま彼女の頭を胸に抱く。意外にも抵抗はされなかった。そのまま彼女を抱きしめて、ゆっくり撫でる。
「あーちゃん」
くぐもった涙声でゆずが言う。
「…ごめん、なさい」
謝ることなんて一つもないのに。返事の代わりにぽんぽんと背中を叩いた。大丈夫。私がいるから。気難しいのに寂しがり屋で甘えん坊なあなたのこと、私が一番良く知ってるから。だから大丈夫だよ。
「ゆず。お腹、空いてる?」
胸の中でこくりと頷く。
「ごはん、食べる?」
「…や」
「もうちょっと、こうしてる?」
「…ん」
ツンツンしたり甘えたり忙しい子。私は振り回されっぱなしだけど、正直それも楽しいんだ。あなたといる時間のすべて。あなたの見せてくれる表情と感情のすべてが愛おしい。
夜は長い。それに複雑だ。感情はいつだって内側から自分を食い破ろうと皮膚の裏側まで迫っている。教科書、シャーペン、カッター、ぐしゃぐしゃにしたルーズリーフ、塗りつぶした跡。簡単には説明できないし、片付けられもしない。
それでも、私とあなたはこうして一緒にいる。だからきっと大丈夫。夜が終わるのを、一緒に見届けよう。
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