第76話 将棋対バスケットボール
僕には、言い返す言葉を見つけられない。井野にまで否定された以上、僕の考えは完全に間違っていたことになる。それでも僕は、ここにいる全員で無抵抗に死に向かうのは、より間違った選択だと思う。なのに、僕には、それを主張できるだけの根拠がない……。
「自分が生きたい」と、それだけじゃ、「家族とか大切な人をみんな死なせてもいいのか?」って反撃に黙るしかない。
そこで、井野の言葉が僕の耳を打った。
「いいや、鴻巣。間違っているのは君だ」
えっ、井野?
それはどういうこと?
間違っていたのは僕じゃないのか?
井野の言葉に、僕は半ば茫然となった。
井野は続けた。
「もう一度言うぞ、鴻巣。
孫子は紀元前500年だ。そして戦いの戦略、戦術の本質は変わらないから、孫子の兵法は現代でも変わらず有効だ。そこから導ける考察とは、『それほど重要だから隠しておくべき』ではなく、こんなことは『異世界の敵も知っていて当たり前の知識』ってことなんだよ。
鴻巣、君は言ったよな。『異世界への出入り口を開けない人類は科学でも劣っている』と。その進んだ文明を持って侵略してくる相手が、しかも蒼貂熊のような人造生物を偵察役として送り込んでくる相手が、なんで孫子の兵法に相当するものを持っていないと判断できるんだ?
それ、完全におかしいだろ?」
これには鴻巣も絶句した。
井野は続ける。
「あのな、戦術戦略なんて言い出したら、人類と
鴻巣、きみの想定はこの戦いが将棋対バスケットボールぐらいかけ離れていて、ルールがとんでもなく異なっているからこちら側のを隠せと言っているのと同じだ。だけど、実際はここまでルールが違うと、利害関係は根本的に競合しないから戦争になんかならないんだよ」
……怖いほどの説得力だな。
「ルールがそこまで違わないなら、平和的解決もできるんじゃないのか?
言語は違っても、話し合いはできるってことにならないか?」
今となっては、反論にもならないな、鴻巣。さすがにそれは無理があるぞ。それ、今、ここで僕たちが戦わない理由にならないじゃんか。
「あのな、異世界まで侵略に出られる社会状況ってのは、2つしか想定できないんだ。自己勢力の周りのすべて征服が済んで戦力が余った場合と、近隣勢力と均衡状態になってしまってしかたなく打開策を外に求める場合だ。
例を挙げるなら、前者は豊臣秀吉の場合で、後者は大航海時代前のヨーロッパだな」
「凶作で、略奪のために戦争を仕掛けるってのもあるだろ?」
鴻巣はここぞとばかりに食いついた。
井野は平然と言い返す。
「だからさ、異世界まで侵略に出られる場合の話と言っただろ。
略奪のために戦争なんて、互いに小規模で陸続きでしか成立しない。だけど、異世界とか遠くの規模の大きい敵地を侵略するとなったら、相手に焦土作戦を採られたら即詰むんだよ。それに略奪戦争は帰るのが前提だ。飢えている家族が待っているんだからな。
帰らないで植民地支配するのが目的だとしたら、皆殺しにするわけじゃないから住人の管理が必要になる。ムチばかりじゃダメで飴もやらなきゃだから、相当量の資源が持ち出しになる。すべて徴発だけで賄えるわけがないんだから。
どっちにせよ異世界にいるのは、高い文明を持つと同時に、むこうでも平和に過ごしてきた連中じゃないことは確実だ。そんなのがこちらの世界を欲しているときに、なにを話し合うんだ?」
そうだな。話し合いできるとしたら、簡単に征服できる相手じゃないと思われてからだよな。
あとがき
第77話 こっち側の戦略
に続きます。
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