第71話 音楽室のでかいスピーカー


「そろそろ、正面から戦うときかもしれないな」

 井野、お前、とんでもないこと言い出したな。

「勝ち目はないぞ」

 スマホから目を上げて言った坂本の言葉に、井野は片頬だけでうっすらと笑った。だけど、その目はマジなままだ。


 井野は、坂本に答える。

「まさか『空手で蒼貂熊アオクズリと戦え』なんて言わないさ。

 繰り返すけど、兵は詭道なり、だ。正面から戦うというポーズのときほど、実は正面からは戦わないもんだ」

「それはわかるが、具体的には?

 今の話だと、囮も使わないんだろう?」

 僕にはすぐに思いつける作戦がない。ここには蒼貂熊に対抗できる、まともな武器なんかない。だから必然的に、蒼貂熊をおびき寄せて罠にはめるという手にならざるをえない。それが使えないとなると、もうどうしていいかわからないぞ。


 井野は、僕の問いにもまったく動じなかった。

「まだ上手く隠れている先生もたくさんいるはずだ。だけど、職員室は壊滅した。もう協力は望めない。囮にもしてはならないだろう。生き残りの先生を殺すわけにはいかないからな。また、俺たちの中から囮を出すわけにも行かない。だけど、さっきの蒼貂熊の咆哮、どれも近かったな。体育棟はまだ無事なはずだ。

 繰り返すけど並榎の作戦、基本は変えなくていいと思う。だけど、こういった状況から2つ具体的な提案がある」

 ……井野、それはなんだろう?


「囮には人ではなく、蒼貂熊を使う」

「どうやって?」

 図らずも、僕だけでなく数人の声が揃った。物理部の行田に至っては、「コイツ大丈夫か?」と、井野の正気を疑っている眼差しになっている。


「簡単なことだ。並榎の緒戦を始めとして、戦いの動画を撮っていた生徒がいた。そこには当然のこととして、蒼貂熊の咆哮も録音されているはずだ。

 体育棟にある音楽室には、音楽観賞用のでかいスピーカーがあったよな。それでその咆哮を鳴らしてもらえば、蒼貂熊を引き付けられる」

 ああ、なるほど。それは確かにそうだ。思いつきもしなかったな。


 井野のこの作戦には、みんなも納得しているようだ。動画のデータを校内のLANで音楽の先生に送るだけで簡単に実行できてしまうし、しかもどう転ぶにせよ蒼貂熊が意図しない蒼貂熊の咆哮を無視できるとは考えにくい。


「……なるほど。

 だけど、蒼貂熊の会話は低い周波数だ。人間に聞こえる咆哮は、蒼貂熊の会話じゃなかったんだよな?

 そもそもデジタル録音では20Hz以下の音は入らないし、咆哮が掛け声みたいなもんだとしたら、その掛け声だけで校内のすべての蒼貂熊が引き付けられるかは疑問だと思うんだが?」

 この行田に言葉に、井野は平然と答えた。


「むしろ、それだからこそいいと俺は思っている。

 合唱部のおかげで、低い周波数の音は撹乱効果が高いことがわかっている。だけど、俺たちはそこに会話的な意味を乗せることはできない。蒼貂熊の言葉なんかわからないからな。そうなら、掛け声程度の方がかえって怪しまれないと思う。

 下手な嘘をつくくらいなら、単なる悲鳴でいいってことだ。勢いで押し切った方がな」

「なるほど。言われてみればそれもそうだ。

 じゃあ、かなり期待できるかな?

 全頭に移動してもらわなきゃならんだろ。1頭取り残されてここから離れなかったってだけで、作戦は失敗だからな」

 行田のさらにの確認に、井野もさらに答えを続けた。



あとがき

第72話 井野の作戦

に続きます。

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