第59話 介錯


「気持ちはわかる。俺だって、蒼貂熊に敵わないことはわかっている。だけど、だからって『食べてください』って投降する気はねぇよ。せめて、アイツラのメシは、精一杯不味くしてやらないと」

「だよな」

 そう言って、2人で親指を立て合う。坂本、お前とこんなに意気投合するとは思わなかった。今まで、ほとんど話したこともなかったのにな。


 僕の感慨を知ってか知らずか、坂本はしばらく考え込んだ。そして、僕に視線を合わせないまま、独り言のように、そして誰からも聞かれないようにつぶやいた。

「さっき、男子に外させたのベルトの束だが……。妙に幅広くて結べないのが何本か混じっていたな。あれを使えば、とりあえず折れた肋骨を抑えられるかもしれない。たしか、息を吐いて、胸郭の下から締め上げていくんだったな。だけど並榎、俺にそれを締める勇気はないぞ」

「それだけわかれば自分で締めるよ。自分の身体のことだ、自分が一番良くわかっている。痛みが引くように、身体が動くように締めればいいだけの話だ」

「……なるほど、違いない」

 そう言って、坂本は笑い、僕も笑った。


 そこで、坂本はまなじりを決した。

「よし、じゃあ並榎、代わりに俺からも頼みがある」

 小声ながら、覚悟を感じさせる声だ。

「なんでも聞こう、坂本。身体を動くように、知識をくれた恩は忘れない」

 僕の返事に、坂本は正面から僕の顔を見た。


「俺が蒼貂熊アオクズリと戦って、どうにもならずに抑え込まれて喰われそうになったら……。オマエの矢で俺の頭を射抜いてくれ。意識があるまま内蔵を貪り食われるのだけは嫌だ。俺はきっと恐怖でおかしくなってしまう。……しかもその状態で人質に取られるとか、最悪が過ぎる。

 だけど並榎、お前がそれを約束してくれれば、俺は最期まで正気で戦える」

「……わかった。どうせ僕もすぐに後を追う。だけど、間違いなく介錯してやるよ」

 もちろん、僕は人を射たことなんかない。だけど、そうなったら残り2本しかない矢だけど、それで確実に射抜こう。その覚悟だけは胸の中に霜が降りるように静かに、だけど確実に生まれていた。


「おい、見ろ」

 誰かのささやき声が聞こえてきて、僕と坂本は視線を家庭科室に向ける。

 人影が動いているのがカーテンの隙間から窺える。どうやら3人とも無事にたどり着いたようだ。だけど、そこからが長かった。長いと言っても10分程度だったんだけど、なかなか家庭科室から出てこない。


 僕たちは、来客用玄関の前の蒼貂熊から見えないよう、廊下の教室側に固まって、気が気ではない思いで見守っている。まだなにか見つからなくて探しているのか、最悪なことに家庭科室の戸が蒼貂熊によって破られようとしていて出られないのか、ここからでは知るすべがない。


 こうなると、僕も覚悟を決めざるをえなかった。みんなが廊下で食い入るように家庭科室を見ている中、僕は独り3年生の教室に入った。

 坂本の言うとおり、ベルトの中に幅広いものが3本あった。上着を脱いで、息を吐くんだったなと思いつつ、みぞおちのあたりから順に締めていく。3本目を一番上の脇の下で締め、事前に思っていたより息が苦しいことに気がついた。

 だけど、少しだけ痛みが引いた気がする。まぁ、気のせいなんだろうけど、今の僕には気のせいで十分だ。


 さらに、北本の荷物の脇においてある梅干しのビンから1つをもらって、果肉を持っている矢の鏃に塗りたくる。無断ではあるけど、許してくれるだろう。もったいないので、種は口の中で転がす。

 その酸味は、平和だったマラソン大会の味がした。



あとがき

第60話 帰還

に続きます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る