第32話 再襲来


 先頭切って歩いてくるその個体は、どう見ても可怪しかった。6つの目の大半は崩れ、鼻先も欠損している。もしかしたら、目が見えないまま階段を駆け下り、その際に転んで顔面を打ったのかもしれない。塩酸だけで、ここまでの損壊はありえないからだ。

 そんな状態だから、真っ直ぐ歩くことすらままならない。尻尾を振る度に蛇行し、廊下の壁に当たりながら進んでくる。きっと、3階に登ってくるにも時間がかかったのだろう。

 そして、その後ろから無傷な個体が2頭、姿を現したんだ。一気に吐き気を催す甘い臭いが強くなる。


(蒼貂熊の挿絵を花月夜れん@kagetuya_renさまいただきました。よろしかったらこちらで。

https://kakuyomu.jp/users/komirin/news/16818093087881001162


 これをどう理解するべきだろう?

 本当に、蒼貂熊にとって縄張りテリトリーは命を賭けて守るものってことでいいのか?

 それとも、相棒を失った奴の敵討ちを見守ろうってことなのか?

 いっそ、傷ついた個体は先頭を行かせて弾除けに使うということなのか?

 囮だとしても、さっきの連携したフェイントとは趣があまりに違う。


 ことここに至っては、誰かと相談もできない。もう、声を出しての相談はできないからだ。目が見えなくなっている先頭の蒼貂熊アオクズリ、それでも僕たちの声が聞こえたら迷いなく一直線に襲ってくるだろう。つまり、手負いの敵に利することになる。前線にいる全員がそれは悟ったはずだ。

 それに、そろそろ弓を引かねばならない距離だ。だけど僕は、思いきり悩んでいた。


 僕が悩んでいたのは、電気の罠についてだ。

 目の前の手負いに使うのは、あまりにもったいなさすぎる。目の見えぬ蒼貂熊なら、すでに動きは止めたようなものだ。これからさらにダメージを与えるのにそう苦労はないだろう。だから、電気トラップを使うなら、後ろの無傷な2頭にこそ使いたい。今、手負いの蒼貂熊に使ってしまったら、無傷な2頭に電気トラップを学習させて面倒くさいことになってしまう。蒼貂熊が、傷ついた個体に先頭を行かせて弾除けに使うという考えなのだとしたら、こっちがそれに乗る必要はないんだ。


 切羽詰まった僕は、危険を承知の上で仕方なく振り返った。

 鴻巣が僕の行動に驚きの表情を見せ、僕が口の動きだけで「電気を切れ」と言ったのにさらに困惑の表情になった。

 ここまでで、僕の神経は限界だった。蒼貂熊を前にし、それを見ずにいられるほど僕の神経は太くない。


 正面に視線を戻し、弓を引き絞る。僕の横で、宮原も同じように弓を引き絞った。

 吹上は砲丸をキャッチャー・ミットセットし、両腕で抱え込む。井野と松井の2人は、吹き矢のアルミパイプを咥える。

 そして、僕はその全員からの視線を感じた。もちろん、僕を凝視しているわけじゃない。周辺視野で僕が射るのを見て、同時に斉射しようとしているんだ。これ、前回と違って言葉で「まだ射つな」と言えない中で、宮原がさっき言った「一番槍」の実績のお陰かもしれない。


 僕は考える。

 目が見えない蒼貂熊が手探りに近寄ってきて、水酸化ナトリウムでぬるぬるの領域に足を踏み込んだら一気に攻撃を叩き込もう、と。とはいえ、残矢数があまりに心許ない。やりすぎると、無傷な2頭にはなんの攻撃もできないという事態だってありうる。というより、そうなる可能性の方が高い。


 初めて最前線に出た井野と松井が、アルミ管から口を外して、必死にえづくのを止めようとしている。あまりに蒼貂熊の甘い臭いは強い。アルミ管を咥えている以上、鼻で呼吸するしかない2人が耐えられなくなるのもしかたない。だけど、今は耐えて音を立てないでくれよ。頼むから。



あとがき

次は、第33話 剣道部

に続きます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る