第26話 跳躍


 姿を現した蒼貂熊アオクズリ、なぜか頭部の右半分が膨らんでいる。そして、鼻の頭には短く折れた矢が残っている。さっき襲ってきた奴だ。まちがいない。

 おそらくは、矢を引き抜くときに真っ直ぐ引っぱらなかった。だから、折れてしまったんだ。でも、ざまぁ見ろって、勝ち誇れたのは一瞬だった。

 その蒼貂熊、一瞬で僕たちがなにをしようとしていたのか理解したらしい。来客玄関の踊り場から、こちらに向かって跳躍したんだ。


 いきなり、時間の進み方がスローモーションになった。

 1秒に満たない時間が無限大に引き伸ばされたみたいに、僕の視界の中で蒼貂熊の牙と黒い鉤爪がゆっくりとせり上がってくる。

 僕は自分の弓と矢を探して、視線を彷徨わせた。間に合いっこないのに、だ。


 手元の糸しか見ていない北本は、なにも気が付かないまませっせと糸を手繰り続けていた。

 隣の岡部の顔は、半ば笑ったような放心状態で固まっていた。

 鴻巣はスマホを握りしめたまま、口を半空きにしていた。

 なぜか、僕の目はそういったものを克明に見ていた。岡部の額にあった、小さなニキビの盛り上がりのコニーデ形まで見えていたんだ。


 蒼貂熊の爪が窓枠に掛かったらおしまいだった。蒼貂熊は、爪1本でも巨体の自重を支えられる。次の瞬間には、ガラス窓を突き破って飛び込んでくるに違いない。

 せっかく作り直したバリケードも、内側に入られたらなんの役にも立たない。


 弓と矢が手の中にないのは油断だった……。

 そう悔いが全身を灼いても、僕の身体はまったく動かなかった。

 宮原雅依かえはどこだ?

 雅依だ、雅依はどこだ?

 僕は宮原の前に立ち、蒼貂熊から守らないといけないのに……。


 突然、僕のすぐ横で「がずん」と、そして「ぐごん」って2つの重々しい音がした。

 なにが起きた?

 宮原を探そうとして彷徨い始めていた僕の視線が、再度蒼貂熊を捉える。

 こちらに向いて跳んでいるその頭部に、砕けたガラスと砲丸が深々とめり込んでいるのが写真のように止まって見えた。

 そして、そのまま蒼貂熊は窓と同じ高さにまで到達したけど、爪をこちらに伸ばすことなく、のけぞるように回転しながら真下の舗装された地面に向かって落ちていった。


「がずん」が窓ガラスが突き破られて砕けた音、「ぐごん」が蒼貂熊に砲丸がめりこんだ音だって、あとから理解が追いついてきた。だけど、いったい、なにが起きたんだ?

 

 蒼貂熊は素直に地面に落ちなかった。

 どんって重い音がして、蒼貂熊の身体は舗装された硬い地面の上に落ちたけど、そのうなじはコンクリートで立ち上がっている来客玄関への階段の手すりに当たり、その頭を仰け反らした。

 蒼貂熊は、ゆっくりと身体を伸ばした。その首はあらぬ方向に曲がっている。コンクリートの手すりはそこだけ崩れてしまい、中の鉄筋が見えていた。蒼貂熊の上背部の外骨格みたいな装甲、コンクリートの塊と勝負できる硬さとは驚きしかない。

 そのまま蒼貂熊の腕はうねうねと不気味に、でも意味なく動いたものの、その動きはゆっくりと止まってそのあとは二度と動かなかった。


 もしかして、やったのか?

 武器らしい武器を持たないまま、僕たちはたった1頭とはいえ、蒼貂熊を倒したのか?

 喜びよりも不審感に僕は苛まされていた。コレ、なにかの間違いじゃないのか? と。



あとがき

第27話 再戦準備

に続きます。

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