~凍結~(夢時代』より)
天川裕司
~凍結~(夢時代』より)
~凍結~
流暢に流れて行く、もう直ぐ春が到来する与信を跳び抜けてたまるで私の心中を掻き乱して行く敬虔な顔をした輪舞曲(ロンド)が、何処からともなく体を押し寄せて来て、あの日からこれ迄の凡庸の日々に降り注いだ夕日の紅(あか)をとぼとぼと灯して居た。白熱に駆られた幼春の鼓動は段々と思想へと移り変わって行き、孤高が称する際限の無い青春の亜熱帯にその身体(からだ)を熱せられて行き、純朴な空間の所々に見る貞潔な人の連動があわよくば天の地へその身体を埋めて見ようと少し躍起に成って居た様(よう)だった。
俺は家に居て誰かが来るのをひたすら待って居たようで、その家には俺の他に母親も涼しい顔をして暮らして居た。以前、遠くからやって来た光田という男が俺の友人として今まで生きて来て、或る、何処からともなく差して来る遍く線光の内で座禅を組んだ儘、色々な俺のテリトリーの内を歩いて居た。屍が密度の濃い遠縁の骨を社(やしろ)に立てて、暗闇に光を照射する夢を見て居たのがつい昨日の事の様に懐かしく、黒い縁に止まり木の無い試練に巡り合わされたと思った自然の空虚は、その体を呈して光の内で遂に粉々に砕かれ果てて、俺は矢張り光田が来て自分と戯れてくれるのを願ったようだった。その光田は白光を肩に付けた将軍の様な太陽を背にして、淡い昼下がりに体を起して歩いて来たのだ。辺り一面には爪弾く童謡の戯れが無ければ、淡く直ぐに消えて行く音頭を体感した事の在る指導だけが横たわり、私と光田との〝戯れ戯曲〟の行く様を、当ての無いエチュードに体を化かされつつも、怠慢との距離を計った儘で神曲にエスラを奏でる一文の宣言に思想に依り成されたその身を正し、仄かに蠢く春の到来に身を落ち着けようとして居たのである。「春」とはこの場合、抗わない温もりの身を表した。その「身」は自ず母の様でもあり父の様でもあり、又空の様でもあった。得体の知れない白煙はずっと宇宙へ迄その手と体とを延ばして行って、やがては消失と同化して行く形の輪舞曲(ロンド)に身を震わせて泳がせて、所々で抜け落ちた自然と人の連動との破局について〝柵問答(しがらみもんどう)〟を呟いて居た。この〝問答〟とは以前に人と自然が呟いたものであり、一つの局面で、人の本性が表れ出して、その実体には把握を知らない悠長な聡明が見る末路が憤悶と、ふわふわの内に自分の翳りを見付けトルクを燃やし、遂には使い物に成らない「有名」という意味にその内実を変えそうだった。その光田は俺の家に自分の嫁を隠す様にして且つ大胆に連れて来て居り、自然と自分との謳歌、俺と自分との謳歌を別々の骸を着た結果の至所で見付ける事に努めたようで、俺は遂に何も言い出せず、在り来りの言動を為して行くだけであり、束の間の逡巡は奥底に秘められて行く煩悶の地の彼方迄へとその身を潜めて行った。決(け)して動かない自然の繁栄はその時光田の表情をしっかりと見て居たようで、俺への言動は最小限に抑えられているかの様にして何度も見知って来た幼春を青春と呼んで遊び倒し、宇宙からの微風に依り震えて居た地の草は俺に〝自分には何も教えられない事〟をうっとり虚無の内で聞き知った。家族の内にさえ一瞬の休息が得られないでその精神薄弱は郷里を想う度に衰弱へと変わって行き、他人と自分との格差を見る度又鬱蒼と茂った森のジャングルへ迄己の身体を隠して行って、〝自分は才智に富む者だ〟と声を荒げた事も在る。空間が二人の間にひっそりと流れて行った。その流れた距離とは無駄ではなく、絶え間無く照り続けた太陽に依る恵みを表す格好の的にさえ映る物であって、人はこれを〝一時(いっとき)の青春〟と名付けた事もある。しかしその嫁の姿は俺には見えない。勝手を知って居る筈なのに、一向に嫁の気配すら感じられず、唯遠くで悶々とした人煙の内に、何処か遠くを眺めるその横顔だけを置いた儘で、私に挑んで来る様であった。しかしその決戦場も、決戦の時も、その状況に至る迄の経過さえ掴む事が出来ずに、又暫くして自身の内に到来する風の牙を俺は知る事に成る。階下では、見知ったとは思って居たが、矢張り空気の様に当ての無い疾走を始める態を保った母親の活気が置かれて在り、その頼り無く優しい気性の変動とは誰を蔑む事無く唯真っ直ぐに、一つの結末へ向かって尽力して居る様だった。俺はその活気を知って辿り着こうとし、その母親が以前の元気な頃の丈夫を以てそこに居座って居る頑なを見て安心した後、光田が直接訪れる筈の自室と階下とを、唯行き来して居た。歩いて居る途中で何か、春の涼しくて生暖かい、今迄に見た俺だけが知る過去が嬉しく流動する様(さま)を構えた、大きく包み込んでくれる様な心地良い風が、開けっ放しにして居た部屋の外から吹いて来て、階段から階下へと家中を見世物でも始めるかのようにして飽和させて行き、その色取り取りに優しく手当り次第に様々の連動を彷彿させてくれ得る風は俺の部屋の内にも吹いて居るようだった。飛び切りの浪漫巣(ロマンス)を秘めたこの光景とは、俺がこれ迄に何度も味わった春の陽気でもある。甘いガムの匂いが漂って居て、古惚けた褐色の過去に包まれて仕舞った、幼少の頃に経験し得た人工の社宅(あとち)には懐かしい人が住んで居り、その人の子供と互いに両親というバックボーンを背に掲げた儘で外が暗く成るまで遊んで居た生暖かく涼しい浪漫巣が、俺と私を一緒に足を掬われた様な浪漫巣を講じる飽和の内へと引き戻す季節である。私と俺と光田と母親ともう一人の異人と家と風は、温かく成り始めた頃の春の生気の内に在った。
階下には母親ともう一人の、誰かははっきりと知らぬが外国人の女が居た。以前、この家でホームステイをして居た頃にやって来た、当時未(ま)だ女子大生だったその誰かがその日に又やって来て居た様であり、何気に母親と上手くやって居る。早く昼が過ぎて行き、もう夕御飯を作って居る様だった。光田は確かにもう俺の部屋に来て居るのだが、俺の注意が彼には行かずに、又彼は所々で空気の様な存在と成り、その正体を見事に表さない儘居候の身に扮し続けて居た様である。私は一階と二階とを行ったり来たりして居て、中々出来ない夕御飯の出来上がりを待って居た様である。光田もきっと同様にして待って居た。それにしても光田の〝嫁〟の姿が見えない。この陽気に乗って、何処かへ飛んで行ってしまったのかの様だった。その時の俺には、そう思えて居たのかも知れない。
白日夢が宙を衒い続けて少し勢いを落して我々の目前へとふらふら落ちて来た頃に、俺はふとトイレへ行きたくなり、現実に起った全ての出来事への片付けを後回しにして、自然と歩調を合せて行った。白い便器を囲んだ一室の壁は白く、何時か俺が落書きした人の顔も無く、ピンクの花柄で装飾が成されながらに別の家のモードを醸していた。又、その内にも緩い生暖かい風が何を傷付けるでも無く吹いていた。俺はその一室の内の白い便器の中に、海象の様な、膃肭臍の様な馬鹿でかい人糞が流れずに置かれて在るのを見た。人体からよくこんなのが出たなぁ、等と思わされて居た。始め、黄色くなったティッシュに隠れる様にして在ったその人糞は、水を茶色くしている目下の元凶として在り、今にも臭気が漂って来そうな無音の内で俺は逃げずにその場に立ち止まって居た。何でこれ程の物を流して居ないのかと不思議に思いながらも、誰かが、でか過ぎて流れないから仕方無くこの儘にして置いて、次の誰かに任せて仕舞おうなんて事にして、そのまま態とこのでか物(ぶつ)を放って残して置いたに違いない、と私は思って居た。その時、俺は珍しく正義漢に燃えて、懸命にかぽかぽとブラシでその人糞を片付けようと躍起に成って居たのである。始め、その人糞ははっきりとは見えないでいた為、潮の満ち引きの様に便座まで小便混じりの受水が行ったり来たりと所々白を黄色・茶色が侵食して寄せる行為をして居り、その状況や連動から俺は〝詰っているから流れないんだ〟という事に気が付いて居た。又俺はその時、〝きっとあの外人だ〟と思って居た。〝外人だからでかいの位するだろう〟と、その時見たその人糞の壁の白っぽさが何故か日本人の物とは連想させられず、俺は絶えずにそう考えて居たのである。その様に思い始めてから少々身体(からだ)の力が抜け、もう流れても流れなくてもどっちでも好いや、と無責任が見せる社会への解放感からその場を離れる事が出来る自由を手に入れる事が出来、その余裕が事の成り行きをスムースに押し進めて行ったようだ。俺はその人糞を次に見た時奇麗に流し切って居た。ごしごしごしごしと、結構力を込めて俺は皆が使うトイレへの世話を独り黙々とやって居り、不思議と汗は掻かなかったが、力が入った右手には多少の疲労が残っていたようである。何とか、そのでか過ぎる人糞は流れてくれたのだ。下水へと流れて行くその便器の底に覗いたダストシュートの口を想わせた暗闇の穴は、見る見る自棄(やけ)に大きく成り、流す事は無理かと諦め掛けて居たその海象を案外素直に流してくれていた。
光田は二階に在る俺の部屋で誰かと電話をして居た。きっとその相手は光田と俺が通って居る教会の誰かか、光田の嫁だとその時俺は思って居た。立ってそこいらを歩き廻りながら電話をし、焦点が俺の見る現実へ合って居ない光田の足元には、私が普段からよく使用して居る机が在り、受験勉強の為に散らかした教材がその机の上には在って、不思議な事に、理数系の物まで在った。空気が何かに反射させられて俺にそう見せたのかも知れなかったが、俺はずっと自分の潜在力への信望を忘れずに居ようと思って居た。その散乱した教材の内でも、英語に纏わる物が群を抜いて光っていた。俺は数学の教材を取り上げて、光田に「凄い」と言って貰うのを待って居た。光田が「凄い」と言う前に場面は変わっていた。その後で私は何か大切な光景と内実を見知った気がしたが、今でも思い出せないで居る。
~凍結~(夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます