~後部座席の女と再春(さいしゅん)に降りた白~(『夢時代』より)

天川裕司

~後部座席の女と再春(さいしゅん)に降りた白~(『夢時代』より)

~後部座席の女と再春(さいしゅん)に降りた白~

 隠れた太陽が宇宙の風にまるで押し返されるかのような〝無理強い〟にしてやられたようで、春の陽気、春風(しゅんぷう)、当ての無い人の往来を全てその闇の内へと呑み干す算段でもさせられたかの様にくっきり笑った後、似通(にかよ)った人々の生命と声明とを小さな箱に入れるように現実へ浮き立たせ、その儘沈んで行った。街の名前は〝ヤムロ〟といった商店街を想わせる風で、密かに俺には場末の暗黙を落ち着けて居り、他人と自分との声が届かぬ距離をじりじりと照り付けていた太陽の強靭を想わせながら又その身を退いて行き、所々で捕まる俺の意識が又この町中で人々の頭上から木霊する事となっていた様である。白日を、白い吐息を見ながらもう遠く三年もの間自身の動向や行き先について倦(あぐ)ねいて居た身の頃合いを俺は知って居て、もう当分の間は友人にさえ、〝中々会えぬ〟と独り悲しんで居た矢先でもあった事から全て事が思う様に捗らず進まず、何時(いつ)か気違いへでもこの身が変わってしまいそうな人の哀しみを遠く遥か昔から今に至る迄呟き続けた様な人間の辛さを又思い知る事にもなり、一つの倦怠を知って、母から離れ始めた一男児が束ねる血塊の深紅の火照りに唯この身を預けながらも〝白い無鉄砲〟が迸る川端への憧れと事細かく刻み付けた文学過程が仰け反り終えた自由過ぎるその砦に一つ己の焼き印を押し付けた後、俺は文字通りの気違いの様相へとその姿を変え晦まして行く事として居た。

 俺が小学校から傍(はた)から観て居た肌の浅黒い年増の相を被(かぶ)り終えた少女の遮りがちとほらはら、屈(こご)まる膝を抱えた純性の骸を仕舞い終えた様に俺の目前へと又遣って来たかと思えば一つのストーリーを仕立て上げようかとして居た様で、俺と旧友とは又、その光景を何時ぞや見知った挙句に投げ捨てた徒党を組み終えた祭壇へと置き遣って、したした、と近付き付いて来る少々の体(てい)をした傀儡達を小さな両の手で覆い隠し包み隠すようにした儘何処かの死地へと赴き始めて居た。凍える心を何処か小さな町へでも捨てに行く事は出来ぬものか、と一人惨禍(むごう)の内に算段した後、一つの大震災が起こり無数の人生と声明とを失わせた鮮明な火の粉が降り終えた既知の地で俺はふと又旧友と漫ろに語って居り、所々から燻された様にして立って出て来る白煙の奇術にふと又目を奪われ始め、突拍子も無い生への照準に一つ、又一つ、と、屈(こご)まりつつ行く人体への保証をこの大空と称した白空の内に見て居た。旧友は先程から独りでに寂しくダンスを踊って居たようであって、何処まで行けども人の往来も無ければ吐息も無い、寸断の果実にその身を果たされて仕舞えるかのような無情の条理を捉えた様に、その表情(かお)が痩せて、しっかり私に付いて来る脚の羽(はね)を密かに気遣っていた様でもある。

 その小学校の懐かしめる校舎の内に見た少々は名を坂原と言い、既に大きく肥え太り、成り果てた人間の骸とは我の目前の内にも順風と自然の内に膨れ充実し始め、所々に突拍子も無い予定外成らぬ予想外が生ませた恋の錦が火照らせた赤身をアクセサリへと姿を変えさせ、我の見立ても筋書き通りに行かぬと、束の間、否、暫くの間、俺を困らす盲人の鱗を呈したのである。俺と旧友はその町に埋れて大きく成り肥えた坂原が運転する少々大き目の車に乗り込まされて、何処へ行くのか先を知らされずとも女の色気と芳香が仄かに緊(きつ)く漂う車内の空間へ身を晒されるのは然程心地悪い感触さえ無く、包まれるならば一時(いっとき)包まれて墓迄、と旧友は俺を率先するかのように俺の背後、時には傍らからその身を投げ出し、俺の注意を逸(はぐ)らかして居た。良く動く、妙に五感と四肢とが動くその旧友は出で立ち叶わぬ路傍の頭頂だけは唯一点の様にして光らせて、先行く人の肥やしと成ればと孤独を打ち消す火の粉の到来を我の目前にて全て消して行き、悉く踏襲される無人の舟は又我の心中から明確な世界へと伝達される様に鮮やかな物に成長させられて行った。その正体を中々明かさず絶えず日中高度の読み取りを逡巡に立ち向かわせられる様にして在った体(からだ)をやがて一度我の目から遠くへと投げ遣る様にして透明とし、その透き通った身体の内から容易く人の吐息と骸とを取り出して来たかの様に大きく寝そべり続ける巨漢を唯堂々とひけらかした様子で、古豪と独創、独唱等で埋め尽くされた人の謳歌をその声の内へと秘めさせた儘、昔共に働いて居た俺の同僚の様相を鷲掴みにする様に根削(ねこそ)いだ後、白昼の眼の縁へとこの身を落して行った。俺の元職場仲間と成ったFと、もう一人知って居る筈が誰なのか思い出す事の出来ない女が後部座席に座って居て、晴れた街中の昼下がり、俺達はその坂原の女の運転に身を任せた儘で遠い未来へと走って行ったようだ。俺は助手席へ座って、恐らく坂原の家に行こうとして居た様子で、周(あた)りを見廻し、ちらちらと人の往来と信号とがその身の色を変えて行くのを子供がまるでそれ迄無関心だった出来事へ引き寄せられて行く様な様(さま)を明るみへ出した坂原の横顔をちらほらと睨(ね)め付ける様にして唯眺めて居て、その二人の様子を後部座席へ座ったFともう一人が見て居たのか否かは分らなかったが、唯、如何しても、そのやや何時(いつ)もより大き目のその車は前方へと向かって走り過ぎて行く。

 又走行中、俺の妄想だったのか定かではない閃光が一瞬頭上の空(くう)を真一文(まいちもん)に横切り走って、屈託の無い街の様相を食い入る様に睨(ね)め付け始めた大空の古豪と優先される筈のネメシスが遂にオレンジ色の白光を夫々の身の上で発揮させ始めた様子で、走り始めた二重の奏が躍起と成って女体を弄ぶ男の純情を弄ぶ迄に昇華し出した空牢(くうろう)の在り処をひたひた、ひたひた、一身に課せられた枷を外し終えた後、街中で一端の口を利く事が出来る小さな空間を拵えて居た。その現実の中で、車が走る車道の端(はた)に出来た真新しく輝く小さな空間は時を旅するかの様に唯見る見るその体躯を大きく成長させて行き既に街行く人々の目(かち)も見られてしまう程の大きな産物と成り変わった様に大口を開けて唯俺を待ち受けている様子を呈して居て、その空間の内には小宇宙、小世間ともいうような、これ迄に様々な人生の箇所で見続けて来て俺の内にインプットされて来た小場面が一シーン毎に先ず埋められて、又それは或る動力に反応したかの様に展開されて行き、デパートや、映画館、映画のワンシーン毎に見て覚えたロマンスを奏でた場所、場所、を映し出し、やがて踊場がきちんと目前と心の前方とに据え付けられたデパートの内装だけを他の場面を自分から切り離して浮彫りとし、その所へ俺が入って行けるまでにその実(じつ)を句切り(くっきり)と成長させて居た。白日の下、俺は何時の間にか昇っていた太陽に一瞥して感謝を重ねた後で唯この身を密かに白日とその陽光とを見上げて居る雑踏の内へと紛れさせ、未だ明確に出来ない自分の立ち位置に純朴な感覚を持たせる為にか、ひっそり痩せた両脚を地へ闊歩させて懐かしむ暇(いとま)も与えぬ暗闇が覆った黄色い斜光の茂ったテラスへと先ずこの身を入らせていた。そのテラスはそのデパートが擁する客足が殆ど来ない場所に位置して居たらしく、俺は又妙に用心した儘次に向かった先にはエレベーターや流石に広い階段が在り、その広過ぎる程の広く開放された階段を一人快活を以て上る俺は同じく据え付けられた赤い手摺を握り、何か楽しい事でも起らないかな、等と空を見上げて居たが徐に目と心の内へ飛び込んで来た光景と情景とは、身の丈六寸以上在るでかく金色のネックレスを付けた黒い男と、その大船に乗って自分の行き先を巧みに操ったその両腕で束ねた悶絶の微動を男に宛がい、ミスマッチともし難い男女の馴れ初めを振り向き様に我が物にして行く絡む女が隠れるようにして広いフロアに映したもので、よく見ればそのフロアとは薄暗いエレベーター前の床だった様子で、その金よりも人に対してよく光る夜光の女はでかくて野蛮の茂った男の局部を舐めて居た。茶色く転んだ二つの袋はつい又男と女の両方を弄ぶかの如く孤高に宇宙を向いて黙り込み、その男の実(み)を握った女の軟手(やわで)は密かな男の純と企みを欲した人への欲望を暫し語り(しばしがたり)に頷き聞いて居り、そうして聞く振りをしながら一刻一刻、時が過ぎて行く最中(さなか)に或る物語を宙に浮いてし始める女は金色の根光りを追従しつつも嘲笑って、苦労の末に掴んだ矮小な勝利への闊歩とは男の知らず間に絶えず凋落せぬ儘白く感嘆されて行く。女は男の実益を統べる存在(もの)だと、この時俺も男も既知の事に仕舞い込みそうだった。そうした俗説極まるいやらしい空洞が根光りしたその男の黒相(こくそう)の眼(まなこ)へと落されて行った後、俺はその二人の相対する衝動の揺れ動きがこの世間を騒々しくさせる迄の成長の過程に置き遣られている事につい気付いてしまった様子で、その二人、殊に男の方を羨ましくも恨めしく思い、他者を巻き込む形と成って好いからと俺は自分に相対してくれる筈のこの世に唯一の女身を求め始め、唯女身(だれか)と交(や)りたかった。空気に付き添う様にして空間が程好く俺の身の周りを過ぎ去って行った様子で、俺の目前に再び現れた坂原を当て馬にするように男女の熱情に絆されてしまった前身の皮を過去へと捨てた儘又その坂原の背後へと身を隠して、その坂原の目と心とに映る友人の傘下に落され始めた女の友人へと照準を当て始めた俺は、この坂原以外に誰か本命と出来る幼女を探し出し、あの薄黒い中に金色(こんじき)を輝かせて居た強靭(つよ)い男性を醸した野蛮人に迄この心身を窄めて良いからと、この身を任せる事の出来る女体を欲して居た様であり、遂には〝坂原でも良いから〟と改悛して仕舞える程の身の焦燥を準じて憶えた後、遠く平静を装いつつも心底では死太く女に飢えていた。後部座席に先程から淑やかに唯の一言も発さず、景色の移ろいを女神の様に観ていた白い女でも狙っていたのかも知れず、俺はその後部座席に座った女の存在に再び気付いた頃から、何か妙に心に余裕(ゆとり)の様な涼感を持ち始め、先程まるで色情に狂い掛けていた惰性の円満に終止符を打つが如くに、被る〝被害〟を最小限に抑えようとする男性の防衛を心掛けて居た。

 坂原は身が太く、その肌は肌理の細かを遮るようにして浅黒く、又その器量は小学生の頃から年増を連想させる生への輪郭を描いており、俺からその坂原に好意を寄せた事は唯の一度も無かった。そうした坂原の自宅へ皆して遊びに行こうと成ったのは、〝友人の心情に疎く反応した挙句に空気を止(と)めてしまえる程の冷徹を以て逡巡を自己に憶えさせぬ為に構築した調停〟と、〝以前に生来の友人として運命に任せた儘逆らわずに同期として認めた世間の習わしの為〟と、〝そうした知己に久しく会って居なかった事から又友人として会えた事に対する我が寂寥が楽を欲した為〟、又、〝久しく女身と語り合えず冬も夏も床の間で茶を啜ってはこの様な物語を書く事しか出来ず、遂には孤高の勇気がその身を持て余した結果に見果てる事に相成った女体への飢え、その飢え故に憶えた楽への衝動の成した業の為〟等が俺の身内で相俟って、自身に得だと踏んだからだ。皆、俺のこうした取り留めの無い無欲無心の成せる業と対局していた自然から織り成される生への転身が構築した修行の後に付いて来るのであって、何も俺が労苦を惜しむとも、又励まなくとも、同じ表情(かお)をして従って来るのである。涼風が吹き、昼下がりが構築して見せて居た白昼はやっとの事でその身元へと滑り込んだようで、俺がつい知らぬ間にその一日の労苦とは又純情な少年成らぬ青年が一日を惜しんで闊歩して行く為の充分な蓄えをその生命の内に収めたようだった。

 早くも遅くも走行中に又、今度は車体が向う前方の右側の道端を、田所というこれも又小学生来の女の知人が黒いスーツ姿で歩いて居り、その歩いて行く向きとは我々が乗って居る車体が向うのとは逆の向きであって、その田所は、田所が知る誰か女の友人の自宅へ向かって居た様であり、もう間も無く田所はその女の友人宅へ入って行きそうであった。その友人の女の家とは、俺が以前元職場、又通って居た大学への往来途中で良く見て知って居た〝おうすの里〟に外観が似ており、ベージュの粗目(ざらめ)の壁に〝純和風造り〟で造られた日本古来の情緒が涼風と共に青空の下(もと)で満喫出来そうなもので、小鳥が小さく木霊す小声で鳴けば忽ち秋の夜長がやって来てこの身を取り巻き、悉く詳細な日本の四季の定量をその目に収めさせて仕舞えるまでの微熱を抑えたものだった。その家の内には又、囲炉裏でも据えてあって秋荻色した着物を着た少女がゆらりと立ち上がり、やって来た男の為にとか細く撓らせた小指から腕までも白く揺らめきつつも燃えさせて、後から成る物語の内の主人公(ヒロイン)にでもすっぽり収まって仕舞える器量良しの姿がつい仄かに浮き立って、俺の心をすいすい引き遣る紅(くれない)の充満は密かな晴嵐の彼方へと追憶して行く。少々背景に埋れた快晴が講じた夕暮れの紅(あか)がとても奇麗な夕月を恰も被った様に見え寂しさを付け添えた孤独の人家に量定が浮き掘らせる架空の人身と空想とを相反させて行き、まるで又雪でも降って来そうな笑覧に見る順風を、歩き掛けた千鳥の微弱の内に投げ捨てたのだ。走行中の車の内から俺はその女の家を眺めて居り、眺めながら、〝もしかするとこの家はこれから俺達が行く坂原の家を暗示している物ではないか、予知夢の鬱に見せられた実物の様に、恰も他動を引き添えさせて仄かなリアルを見せるあの様相ではないか。〟等回想に回想を重ねながら唯うっとりした儘その流れて行く景色の内に変わらず佇む女の家を認めて居り、しかし田所はリアルタイムに歩いて行く存在として在り、今でも我々の目前に感じられる事が嘘ではなく、この光景・情景とは、詰り両者のタイムラグを無視した形で撮り続けられた我々の感じられる目前へと落されて、恰もその両者が同時進行の勢いを以て同時間・空間の内に捉えて居られる。夢ではよく有る事だ、と俺は考えつつも、考えた後から同じ事を俺は空想して居た。

 空間がその内装を変えたのか、時が移り変わったのか、俺達が乗った車は程好く賑わう都会の街中へと迷い込むようにして走り込んで来ており、周囲には、夫々の目的を以て動く人、車の群れで満ちていた。又俺が知らぬ間に何処かで車が止まっていたのか皆して買い物にでも行って来たのか、Fが沢山の野菜や野菊に似た野草を抱いて居り、その野菜と野草を巡って丁度好い種に成ると、料理法や味覚、詳細に渡る一品の形、等について車内にて我々は談笑して居り、始めは坂原も友人の話に口裏を合せて調子を合せて程好く談笑に興じて居たのであるが、次第に外界へと目と心が奪われて行き、ハンドルを握った儘ではあるが、Fの一方的な話に殆ど笑わず俺からは唯機嫌が悪い様(よう)にしか見えずにいた。俺は持前のボランティア精神を生かしながらかFの殆ど無駄に調子良く元気で、所々で当ての外れる無神経な大声にその後も暫く付き合って居たようで、気が付くと運転手であった筈の坂原がその姿を消し、外界からの刺激に心身共に絆され流れて、つい自分が興ずる洋服店や食品街、アクセサリ屋等へふらふら吸い寄せられて居たようで、車内から車を下りた坂原が街中の雑踏と喧騒とを気にしてきょろきょろして居る様子が見えて、しかしその間でも俺達の乗る車は坂原が居なくなった頃からまるで惰性の速度で走行を続けており、スリープ現象程度の速度だった為にずっと助手席に座って居た俺は直ぐに状況に対応する事が出来、後続に連なった何台かの車、前方の車、人との接触を避ける事が出来、事無きを得て居た。そうした状況と外界の状況とを首を振りつつ又きょろきょろと目を泳がせててくてく歩く坂原を同じく車内から覗いた俺は

「やっぱり女の好い加減さがここでも出て来るなぁ」

等半ば腹立たしく思いながらも自分が直ぐにでも状況に対応しつつ車を運転する事が出来るといった勇姿を坂原とFと後部座席に座る白い女とに見せ、唯力量を体好くアピール出来た事を喜々とする打算も抱いていた。坂原が何か買い物をしようと車を離れた理由の一つに、この車内が余りにも狭く欲しい物がもう他に何も無かった事実が在った事等、俺は後から知って居た。彼女が知らぬ間に車から離れて居た事に気付いた俺は、Fと白い女がその刹那このような算段を講じて居たのか、露にも知れない呑気に在る儘、唯、自然が時を経過させて行く動力と成るように、又三人の身元へと還って行く自分を識(し)った。

 坂原は又この車内へと還って来て、運転席へと自分の拠軸(きょじく)を擦(ず)らして陣取った俺の身体(からだ)を退(の)かせて〝そこは自分がこの車を運転する場所だから早く退(の)いてくれ。私の車だ。〟とでも言うべく私を退(の)かせた後、又それ迄と同様の体裁と表情とを以てひっそり佇むこの街中を運転して行った。それから又、何事も無かったかのようにして四人して坂原の自宅まで走行する事になる。俺の家から最寄りに佇むK駅迄の道を走って居た。又知らず内に道と時を越えてこの順路へ迄タイヤと車体は走った様子で、三人共外界に見える景色が珍しい筈であるのにその道が航路の様に順路にある為か、眉、鼻先、口元、一つ動かさないで俯き、何か各自に持たされた道具に視線と注意とを向けて居た。俺は俺で走りながら、これ迄に見て来たK駅迄の夜道の上に佇んだ自分なりの純性のロマンスが自分と一緒に躍動する様子を見、愉しんで居た。

 丁度最初の十字交差点に差し掛かりその対岸に在る中央センターを少し過ぎて交番が見えようかとする頃、走る車道上に〝こんなのあったのか〟等と思わせられる大きな鉄条の門が用意されていてそれが閉められており、K駅迄は迂回するか諦めねばならない執拗な選択に俺達、否俺は迫られていた。K駅の付近にその坂原の自宅が在る、と俺は思わされたようで、その坂原の自宅と先程見知って俺の心中を影響させて強烈に魅惑した田所の友人である女の家とが交錯して俺の脳裏を占めていたらしく、俺は、何としてもその二人の家、否自宅へ上がり込んで、俺の大切な女(ひと)を捜し当てた暁に娶ってみたい、など空想が連想を呼ぶ迄の心境へと身と心を埋没させられてしまっていたらしく、その目的を遂げるには、一刻も早くその目的地(ばしょとじかん)へ辿り着かねば成らない、と一人躍起になって居た様子があった。故に後(あと)の三人とは、心境を講じる段に於いて大きく違(たが)わせる悶絶が俺の身内には在り、最早居ても立っても居られぬ程の焦りが衝動から微動迄も制覇して行く疲れた様相に俺は在ったのだ。その様な窮地に俺、否我々は陥って居た。我々は車を下りて状況確認をしつつもこれから如何するかの確認さえして居た様子で、その衝動に微動を憶えさせられつつも俺は〝やばいかな…〟と謐(ぼや)いた心中の小声を、横耳に流しながらその鉄の門を潜り、少々異質の空気が漂い始めた鬱蒼ともした小牢の中を、足と気の向く儘に動き始めて居た。空は矢張り良く晴れて快晴である。少し中程まで行くと、先程まで見て居た小さな交番が見え始め、少し緊迫した空気と人間模様とが何か手を繋いで現れそうでもあり、そうしながらその景色の内には、少々見知らぬ森林の内の風景が見え隠れし始め、まるで鬱蒼と茂ったジャングルの内に程好くキャンプが出来るような野原の空間を藪の内から覗いて居る自身を俺はその自分の背後から覗く情景を知って居た。そのキャンプが出来る程の場所で若い男女のカップルが文字通りにキャンプかピクニック、又遠足で来て居るかのように原に御座を敷いて我が物顏で座り込んで居り、藪の内から覗く俺の方に二人して背を向けて向うを向いて肩と背を並べて座り、その男女と自然の周りに他には誰も居なかった為か、又少々淋しさを感じさせるものだった。女の手が置かれたその左方には何か機械の様な物が置いて在り、俺は咄嗟にその機械が誰かを感知、探知する為の、探知機だと予想して居た。又、その二人は潜伏して居た警察官かも知れない、と俺はその探知機と目星を付けた時から疑って居た。

 「向う」には、山をも想わせるB棟と呼ばれる旧いマンションが立ち並び、その巨躯が日光を遮断するかのように大きく陰を作り人を路頭に入る迄を迷わせていた為、大きな森林の様に見えたのかも知れなく、鬱蒼と茂った木々が醸す木立の陰はまるで人形(ひとがた)をした透明の生命をよく表しつつもこのB棟のコンクリートが程好く吟味し得る程にその陰を解体していた。もう一人の男が新しい任務か何かで姿が見えなくなった事を確認した俺はその探知機を握って居た女に近付き、何をしているのかを問うた。何でも、精神錯乱状態の者(老若男女知らず)が先程から心身共に動向が激しくなり始めた様子で危険である為、道路を封鎖し、誰も入って来れないようにしているという事で、このようなハプニングを俺はこの京都へ来てから未だ一度も経験(体験)した事が無かった為に内心うきうきし始めることとなり、緊迫しているのであろう警察官達とこの近所に住む他の住人達との遣り取り、精神錯乱者との人間模様の在り様(ありよう)と成り行きを目と心とを輝かせて見守って居た。その精神錯乱者はもしかすると現在薬を遣っているかも知れない、という新たな情報が警察伝いで俺まで飛び込んで来て、先程までとは少々状況が変わった事に加えて問題像がリアルを帯び始めて来た為、俺は少し身構える事となった。

 成る程「危なそうな奴」がそのB棟の可なり上階から、包丁を何本も持って出て来た。その男を見上げた矢先には青空が見えていた。その男は包丁と一緒に白いビニール袋も携えており、その内にも包丁、或いはそれに準ずる別の危険物を持参して居る様子を醸し出し、絶対に近付きたくはない風貌を表して居た。その男の心身は可なりの上階と一階とを順繰り往来するようにワープして居り、その正体をはっきりと俺達の目前へと映しながらも未だ自分のテリトリーを守って居るかの様に誰も近付けないほぼ最上階のフロアと一階とを両手で囲み自身を生かして居た様子で、辺りの注目はその男の実体のみに集められた。一階へ下りて来た時に見たその男の様装(様相)とは、中年の背低で、禿げ掛った黒髪と、濃い無精髭を(誰か俺の知る別人を想わせるようにして)生やして居り、白色のランニングシャツと緑色のジャージのズボンといった、如何にも性犯罪を連想させ、昭和の歴史の中で過去繰り返されて来た、如何しようもない状況に置かれた醜態持ちの素人達が俺の目前へと影を落して行ったあの悲愴を貫く情景を併せて並べて来るものであって、過去に見知った事件現場に俺は居合せた、と自負させる巧妙さえ俺に感じさせていた。その男の表情と体裁、行動を見ている内に、〝確かに精神錯乱者足る様子〟が次第に男と俺とによって浮き彫りにさせられ、男には未だ俺の存在に気付いた様子が無かった。

「許してやるから、今所持して居る危険物品を全て持って降りて来い。」

と言う警察の慈悲に縋る形で遂にその中年の男は降りて来た様子で、交渉が一先ず成功して居そうな雰囲気が辺り一帯に醸し出された。

 しかしその男は信じられない程早い足取りでその最上に近い上階から一階まで下りて来て居り、その身元を受け付ける階下に控えて居た警察官が居る場所から俺が居る場所までの距離はそう離れておらず、俺はそのため急いで逃げる算段をしなければと焦り、犯人から逃げる途中で手入れされた植え垣を越えようと躍起になっていた。しかし中々その垣を飛び越え、乗り越えられず、異常者(はんにん)から見えない場所へ身体(からだ)を潜り込ませようとしても、反転させた体が押し返されるようにその植え垣は俺の目前に立ちはだかった。そのような自然の嫌悪に寄ってか俺の身体が如何してもあの精神錯乱者から見える位置に出てしまい、継続する努力が徒労に終り続ける心身への疲労が口を開けた為か俺は半ば投げ遣りになって疲れて居た。故に俺は半狂乱に似た衰弱迄の経過を自身の血流の内に見知った為か、半ば開き直るように、状況と、その状況を造り出した犯人とに苛立ちを覚え、如何とでも成れと風を切る肩に一つ光った勲章を手に取って掲げ、次に甲高い声を以て「無理痛(むりつう)」と叫んで居た。茂みの中で体を反転させながらそう叫んで居た為、その声は俺の脳裏へと、心へと、又辺り一面へと、難無く置き遣られた肢体の様に伸びる物と成って行った。その声があいつに聞えて居たかどうかは分らない。

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~後部座席の女と再春(さいしゅん)に降りた白~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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