プレゼント

山岸タツキ

一話完結「プレゼント」

 今日、石上と会う。石上とは、俺がデザインの学生をしていた頃の同期だ。二〇二一年三月に卒業して依頼会うこともなかっったから、三年と三ヶ月ぶりの再開だった。聞けば、介護職を辞め、徳島から名古屋に引っ越すのだと言う。それを知ったのは先週、同じく学生時代に知り合った、教員の松田先生と雑談をした時だった。彼には卒業後もサポートを貰っている。例えば、クレジットの支払いに足りなくなった一万円を借りたり。それはそうと、石上が遠くに行ってしまうのは悲しくもある。松田先生から石上にアポをお願いして、久しぶりに会うことになった、という訳だ。卒業時は、良い別れ方ではなかった。石上とトラブルがあったという事ではない。俺はあの頃、孤立していた。誰とも口を聞かない状況が続いたままの卒業となった。石上含むクラスメイトは意味不明だったろう。理由を告げていないのだから当然だ。


 その事を懺悔したいという気持ちがあったからこそ、会っておきたいと思った。アポが取れた次の日、何か、石上の為になるものを渡そう、と考えた。プレゼントとはなにか。

アマゾンで、石上の為になるもの、を思い当たり次第に調べた。だが、どれもしっくりこない。今の石上を知らないからだ。どの商品も悪くはないが、不要であるかもしれない。頭を悩ませた。人の為に頭を使ったのは久々だ。そんな中、ふと過る。俺が孤立していた頃。石上は、そんな状況でもオロナミンCをくれるような、良い奴だった。だけど俺は、それを受け取らない、という態度で示してしまった。懺悔しなければ、という気持ちは一層強くなった。オロナミンCを渡そう。あの時の事を謝ろう。そして、あの時の事にありがとうと言って、乾杯をしよう。


 当日の昼頃に、松田先生も来ることの確認を取った。もしかしたら、三人で食事に行くのかもしれないが、自宅に招いてみる予定だ。イカ墨が練り込まれた黒色のパスタを用意してある。白の器に映えそうだ。パスタ料理には自信がある。オロナミンCだけでは、味気ないと思ったからだ。夜になり、松田先生から、そろそろ向かう、と連絡が入った。到着時刻もわかり、それに合わせて自宅を出る。駅前集合。だが俺の待機場所が少しずれていたようだ。駅の真ん前まで移動すると、すでに二人の姿があった。石上は当時と変わらずの巨体だ。再開らしく、無難なやり取りを交わす。少し話したところで、ポケットに入れたオロナミンCを二人に手渡す。

「昔、なんかあったよな」

石上に手渡す際、遠回し過ぎる言葉で濁してしまう。

「あったあった」

そう石上は答えたが、あの時の事であると、気が付いていたのだろうか。とりあえず三人で乾杯をした。大丈夫だ。話す時間はある。


 ラインも交換して、直接やり取りが出来るようになった。荷物が多いのと、石上の膝が良くないこともあって、俺の家に招くことは難しかった。とりあえず、人通りの少ないベンチまで移動した。松田先生はやはり飲食店までいく予定だったのだろう。しかし、石上は食べ物が喉を通らないという。想定外だった。聞けば辞めた職でのストレスや家族との因縁によるストレスが影響しているようだ。それでも松田先生はコンビニで何かを買ってきてくれることになった。石上と二人でベンチに腰掛ける。腹を割って話すタイミングだ。最初は、お互い何をしていたか、という話だった。二年で会社を辞めて、個人で活動しているが収入は乏しいことを話した。石上は自信の労働環境について話した。何を話していたかは良く覚えていない。あの時の事に繋げる為の会話のルートを探っていた。自分勝手な話だ。そして、学生時代の話になったタイミングで切り出す。

「あの時は、ごめん」

石上は、俺が孤立した時の話だとすぐに分かったようだ。しかし、

「あの時は僕も、就活とか課題とかに追われていたから。山岸っちがなにか抱え込んでるとは思ってたけれど…」

少し俺が言いたかったことからずれている気がした。

「別に、石上には恨みとかがあったわけじゃない」

それだけは弁解しておいた。

「なんであの時、俺が不機嫌だったのか、説明してなかったよな」

言い訳するための、話したいことを話すための切り出し。

「なんでだったかな」

話しやすくするための繋ぎの言葉。

「そう。あの時期グループワークで…」

ずっと説明したかったことを吐き出した。だけど、上手く伝えられなかった。だからここに経緯を記そう。



 俺と石上のクラスは、計七人。授業では頻繁にグループワークが行われる。最初っから中の良いクラスだった。賑やかな浜、優しく人情的な石上、優秀な横山さん、穏やかな宮地さん、静かだがユーモアのある矢部、気取っている松本。そいつ等に混じって俺だって冗談を言うぐらいの仲だった。でもある時から、浜が俺の意見に突っかかってくるようになった。もともとグループワークは、横山さんがまとめ役、浜が仕切って、他の奴らで意見を出す流れになっていた。採用されるのは俺の意見か、浜の意見が殆だったと思う。当時の俺は、とにかく自分の意見に自身があるし、それを通す為の動機作りと説明も得意だと感じていた。一方、授業の最初で習ったものに、デザイン思考というものがある。人の意見を否定せずに、ブレインストーミングを行うことがこの授業のルールとされていた。俺はそれが楽だった。争いがないなんて、楽そのものだ。それなのに、浜はある時から、論破王にでも憧れたのか、そういう事をしてくるようになった。口論が慣れない俺は戦う事を恐れた。今までみたいに自由に意見が出せない。となれば必然、浜の頓珍漢な意見で話が進んでいく。皆も、どんな意見だろうと、いいねいいね、といって決まっていくのだ。それがデザイン思考の弱い所なのだと思った。そして皆、要領がつかめないまま作業している。


 もともと不満はあった。周りの意見が、拙い。ピンとくる意見が出ないのだ。あえて自分が良いと思う意見を保留して、周りの様子を見てみたことがある。結論、みんな人任せなのだ。それには石上や横山さんも含まれる。やっぱり浜の頓珍漢な意見に流れていくし、中には意見を出さない人もいる。別に俺の意見が通るのならば良いと思って、大した不満ではなかった。でも、浜の反論がくるようになって俺は、全てが面倒になった。反論に対する反論も、人任せな周りを手助けすることも。最初は浜の意見で決まっていくなら、手伝いぐらいはするつもりだった。でも、意見を出さなくなった事で俺は悪目立ちして、何も協力しない風に見えたのかもしれない。意見が決まっても、仕事がこちらに割り振られなかった。俺は矢部と一緒になったつもりでいたのに。意見を出さずに仕事だけする立場を俺は許されない。まあ、仕事が来ないなら知ったことではない。そうして、俺の無意味で意地っ張りな沈黙生活が卒業まで続いた。



 石上にそれらの複雑な感情を説明しようとしたが、無理があった。石上には、浜が反論してきた事と、いい作品を生んで後輩に見栄を張りたかった、ぐらいの事しか伝わっていなかった。おそらく、愚痴的なニュアンスで受け取って居ただろう。愚痴りたいわけじゃない。俺はもうあの時の事は誰も恨んでいない。自分が幼稚だった。だから、申し訳なかった、と言いたかったのだ。なんとかオロナミンCの事は謝ることができた。。今思えば、それさえ出来たなら、深く語らなくても良かったのかもしれない。松田先生が戻って、セブンイレブンの食品を頂いた。やはり石上は食べられるものが限られるらしい。俺の話ばかりではなく、石上の話を聞いておくべきだ。

 そうだあと一つ、石上に伝えたいことがあった。俺が最近続けている、モーニングページ。A4のノートに毎朝3ページ何でもいいから書く。そういう習慣だ。ストレスを抱えやすい石上の為になる筈だと思い、それとなく教えてみた。石上もいいねといってくれたが、今の自分がそれを書いたら、恨み辛みばかり書いてしまいそうだ、という。確か、そういう事を書くのだとしても、それらの感情は、自分からノートに移るという話だ。全然今の石上がやっても良いことな筈だ。でもここでしつこく粘るのは、情報教材を押し売りされているように感じそうだから言えずに終わった。とにかくまあ、パスタは提供できなかったが、これでプレゼントのフルコースは出せたから良しとしよう。

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