~過去からの風~(『夢時代』より)
天川裕司
~過去からの風~(『夢時代』より)
~過去からの風~
風(ふう)やりとした陽日(ようび)に漂う曖昧足り得る仮名の柔らが、つい視点の内へと跳び込み始めて、逸る、憂う、人の流れに充分知れ得る「メディア・システムの本音」を声に出しつつ掲げた混流(ながれ)は、私的な負担を構築せずとも何処(いずこ)の宙(そら)でか人の思惑(こころ)で、自然に翻(かえ)れる思想の根本(ねもと)を白紙に戻して幻(ゆめ)を頬張り、書き上げ続けるparagraphの実(み)に一語を外して校訂して行く…。真面目な快楽(らく)には幻(ゆめ)を糧へと、編集者諸君が己の精神(こころ)に幻視(ゆめ)を託せる分野を置いて、〝他人〟と称する自分の分身(かわり)に存在し得ない「正義」を携え、長々撓(たわ)める駄文と成るのを寵児に預けて悶々して居る…。一層(いっそ)一文、一層(いっそ)一語に、身寄りを失くせる表現(おもて)を顕わし、自分の「分野」に相応(なり)を潜める文豪・書生に〝偏見(せいぎ)〟を灯し、この世でこの時、現行(いま)を見据える幻想(ゆめ)の主観(あるじ)に孤独の在り処を見付けて行った。詰り文学とは自身に依って如何表現しても好い訳であり、その表現(かたち)に対して〝受賞〟に足り得る作とするのに「どの様な法を以て定めるか」という、まるで白紙を掲げた群象(ぞう)の目的(あて)へは、私的に価値を見出せないまま幻想(ゆめ)へも独歩(ある)けず、忍び寄り付く孤踏(ことう)の〝来て〟には明日を占う美性(びしょう)すら在る。「今度やって来るだろう」とする新発見を期待して、億劫に思いながらも唯々ひたすら、後続する、周囲に寝そべる〝素人〟足り得る新人作家や無名作家を、私欲(よく)の鉾先(さき)にて励まし続ける無造の実(じつ)しか捉えなかった。
果して、文学に就いて想像する際に、その作品を商品にする工夫を作家がせねば行けないものか。「この世で気が済むまで自分の全てを、この感じられる自然に描(えが)けばそれで良い」とする〝無知の涙〟が、ほとほと困り果てる〝畢竟の境地〟に又しどろもどろに成りながらも、構築され得た〝思想の平野〟を脇へと置いて、唯の擦った揉んだを露呈しながら、挙句の果てには、空回りをする「曇れる夢物語」がその実(み)を拡げた自由の空下(もと)にて、「一般的な言葉遊び」を踏襲して行く。如何に難しい言葉の集まりに在っても、その一語一語は個人を創れる破片の重味が風流(ながれ)を呈して透明とも成り、己(おの)が付属を利己に通せる〝独り〟としてでも纏めて置きたい、等、国家的な、又牧歌的な自然の様子が哀れを見せつつ無残を知りつつ、幻(ゆめ)の孤独へ独歩(ある)いて往(ゆ)くのを無為の許容(うち)にて概(おお)きく識(し)った。一人の人はその様に信じ、その事しかしたくない、と言う。この様な物書きに対する思想を唯今から真っ白にしたいとする流暢な作家を称する孤独の自主(あるじ)が、言葉という原型を一つずつ拾い集めて、見得る形を以て孤独で在る白紙の上の文字へと投影して行く訳である。他人の意味有る鼓動を心に取って何とか吸収しようと取り留めた一瞬の情況を構築した上で、蝶が自分の分身とも採った鱗粉に各々の思想を乗せて行くが如く燦々と照り輝く白雲を視野の内で壊された人の正体を、この男は自分の潜在意識自体(そのもの)に掲げて根絶やしにした。
オレンジ色した白熱の得体の知れぬ空気の様な存在が、現実に於ける事物(人間を含む)の関連をまるで無視した様な小さな自分の傀儡達を未熟の赤身にした儘友人の様にやって来て、白紙に兼ね揃えられた何かの氾濫への導入に成りそうだった。この「何か」とは、持って生れた垂直な思想をより活性させる、或いは再起させる、甦らせる、個人が人生を生きる際に構築された登竜門を潜る為の努力に依って得る事が出来る酷く個人的な財産である、とも俺には思えて居た。所々で人間らしく成り、又所々で意味深にも見える人間という模造品から掛け離れたいとする別の存在と成り、色々な生き方を試みて来た俺であるが、喉が渇き倒れて仕舞った後では何時(いつ)も体裁を繕い直す事をさせられ、あの儘静かに、すっと歩いて行けば、この男は限り無く零に戻るという屈曲した様な妄想にさえ捉えられて居た。白紙とはこの「零」に似ており、その「白紙」に何か物を書く際には静かな、穏やかな、涼風が何処からなのか知れない過去から吹いて来ており、何処まで見渡せども永続するで在ろうと考えられる温もりが見当たらずに、その内には別の一人の他人さえ居らず、一千跳びに孤独に依る淋しさを感じて居た。この男の中に澄み渡る〝俺〟は、何か流行と人の〝思想〟がまるで無意味に醸成された後でその既成物が乗せられる機械で編まれたショールを体の一部始終に付けて居り、所々で又真っ昼間の太陽を全身に浴びて自己で作り上げた常識が可笑しく成って仕舞う様な無心の体たらくに、この身の孤独が舞い降りる様にして落ち込み、誰にも知れない〝火星に置かれた一人ぼっちの本〟が自分の本である、という一つの理想を掲げながら、人の熱意というものから離れた処で金儲けをして見たかったのである。他人に対して個人は、必要以上の厳格さ、悪心なぞを持つ必要は無いという事であり、人は自分の命を大切に思いながら守りながら他人との共存を計れば良い訳であり、音楽が鳴っていればその方へ進みたがる児の様に、吐き続けた〝本〟の内容を唯小じんまりと持って居れば良い、としたのである。
日本の神奈川県に於ける、都会か田舎かも分らない徒党の組まれたミドルの地に於いて、白雲が青空にのさばって居るその環境の内で俺は段々日暮れに落ちて行く経済連立の中で、色の白い女将を彷彿させる恋人に出会った。その存在とは始めから自分の恋人として在り、その吐息や鼓動を以てその後に何処(どこ)へ行ってしまうのか分らぬ存在でもあり、ひたすら飽きずに追い掛けるしか無く、目的が果して何処(どこ)に在るのか分らなかった。その女将が放つ匂いとは、まるで俺が昔に飼って居た愛猫(まなねこ)の匂いにも似ており、通り一遍の口述、口添え、帳の降りて来る迄の説得・表現等では恐らく語り尽せない朦朧の飢えた意識に依る渇望が突拍子も無く〝気分〟を持ち出して来て、唯この女将に自分の全霊を押し付けて見たいと言う透き通った欲望の糧に満足させられる形を採って、個人的な飢えを凌いで居たのである。鉄砲を担いだ猟師が何処(どこ)か山村をも想わせる平野からやって来て、未知数に蠢く春の気配の動向を探る様に表情(かお)を顰めながら、この世に浮き彫りに成って来る「自我に依るふしだら」を撃って行く様な、そんな光景・情景を浮き彫りとし、一重(ひとえ)に〝これも神の思し召しだ〟とは言い尽せないキリスト信徒への疑惑が生む逡巡が、とても長い年月(ねんげつ)を掛けて一個の啓蒙家と哲学人とを創ったのだ。そしてこの二人は何方(どちら)も言う事が同じであった。真夏なのに雪が降る様な心の寒さを覚えつつ、まるで清水の舞台から欲望の底へと飛び下りる様にその女将は太陽が支配していた空から降って来た。その飛び下りる時には、持って居た「白が基調の花柄の付いた割と小さな傘」を差した儘すうっと飛び下りて来て、自然と共に俺の傍(そば)へ近寄り、細心の注意を払うかの如く、一端(いっぱし)の口調と意味を後付けにして付けながらこれ迄に歩いて来た地獄篇に於ける快楽をまるで我が物顔して、泣いて叫んで、最後は笑って繕い、可憐に自身を贈り物とした。愛し合う事がその女将の特技であった。段々夕暮れに成りつつある街が見せる幻影がそうさせたのか、俺は、一度自分の横へ辿り着いた女将の命(いのち)がその儘すうっと消えて、もう一度空の高みから同様にして舞い降りて来た光景と情景を見知って居り、その時のタイミングが俺に少々不気味を感じさせつつも、唯自分の横に居座って居る「女将」の体温をずっと感じて居たいと思った為に、その女将を自分の恋人の様にして夢を見ながら溺愛して居た。
幾つかの白紙が過ぎた。しかし空は穏やかに燃えて居て命の謳歌を推奨する様に在り、解け込もうとしても環境を取り巻いていた自然は何度も跳ね返す冷遇を携えて居り、何処(どこ)か異国の地では一層(いっそ)この様な自然が構築する人間支配を企画した独裁者は別の形を以て又存在するのじゃないか、等の緩まった現実逃避等が俺を帝国の様にして赤い軍旗を従えて迫って来ており、何処まで行けども人の世からの脱出を試みる事が出来ない琥珀色した骸の粉塵が又高く両国へと掲げられ、清廉潔白な我が身をどの地に落し育ませようか、と嘆いていた。我々が口惜しく女将の行く末を按じて居た最中(さなか)その女将を構築して居た細胞全てが透明に澄んで薄まって行くのが見え、頭部だけは比較的はっきりと形を残して在ったが、その薄まった姿を逆手に取ってか、自分達の都合だけを身に付けた異国人にその女将は銃で殺された。殺されても中々死なないその女将は密かに持って居た人形を小さな懐から取り出して、元居た日輪を描いている青空の彼方へと飛んだ。「彼方」の筈が、俺からはその場所の様子がはっきりと見て取る事が出来、事が起る都度、邪な気持ちを一瞬で改悛させられる透き通った思惑を取り込まされて、黒と白とが光り続ける淡くはっきりした心意気が俺の内に生きて居た。その女が空に飛び立ったのは、俺に会いに来る為である。異国者は俺とその女将が付き合う事を好く思って居なかった様子である。どんな付き合い方にしても好く思って居ない様子であり、故に、俺と一緒に居る所を見られただけで銃殺された訳である。その様に捉えて居た。その様な思惑に捕われながらも俺は悔しかったのか、その女児を唯ひたすら好きであった。愛する、という事がしっくりと、どの様なものか、肝心な処が掴めないで居た様な俺にとってその女児の匂い、在り方、心身、とは、儚くも尊い物に思えた様で、自分の歴史上にその「女の存在」を刻み込みたい、等と奮闘して居た姿勢がその時の俺の心に認められた。
その女は異国者に二度目の黙殺をされる直前に俺から二歩程離れた上で持って居た人形を目前に据えて、その人形に抱かれながら、まるで蝶の様に日輪の輝きの内へ飛び立った。見え辛く、分り辛い異国者と成ったその異国者達は複数に分かれ始めて、唯その分裂・分数は元を〝枝分かれ〟として居る為に又何時(いつ)でも元の根が持つ思惑の内へ還る事が出来る内実を持って居り、俺と女将は男女の仲に在りながらも何時(いつ)までも場末に置かれたパブや映画館の主(あるじ)が抱く様な焦燥とも挑戦とも採れるような残念を握り締めて居た。その女は二度寝する事でまるで悪漢と成り果てた様な変異体の注意から逃れようとして居ただけなのかも知れないが、俺にはまるで女帝が決断し尽した一国の大きな栄光への決心の様にも捉えられて居た訳であり、やっと日向へ出る事が出来た自身の躍動が活性化されたものだった。唯、俺は、機械に負けない様にその女児を好きに成ろう、と頻りに努める事を決心して居た。
ふと時が移ろい、濃霧の様な白気(はくき)が目前に表れて心身を取り囲み、付かず離れずの人がする生活の活気から注意を離す事が出来なく成って、女将の姿を探し求めて居た筈が、俺は微かに見知って居る大学の校内に会った。その大学に於ける某講義が自分の為に為されているものだ、と心中で決め込み、その講義を担当して居た教授も自分で取り決めていた様子で、その時には、よく話はしたが嫌いであった、日本語文法の若い講師にして居た。この講師は別の大学から来たティーチャーであり、英語が好きな様であり、若かった。故に講義では英語を不断(ふんだん)に喋り、板書し、英語の文法の機能を以て日本語を懸命に教えて居た。そして俺は、その講師とは別に、又別の場所に在った旧友を呼び寄せて自分と共に据えて、何だか大きな空気の抵抗を醸す主張に対して、一筆書く様に反論する事を試みて居た馴れ合いの問答を啄んだ小鳥の体裁を憂い、真っ赤な鳥居を潜り抜けてやがては心地が良く成る現実の場所を探し求めた。この旧友と俺には、或る〝秘め事〟の様な一大決心が在った様で、その〝秘密〟は恐らくその旧友が懐に携えて居たテキストの内に記されて在ったらしく、日本語を教えるティーチャーが何か教えようとする直前に、目を落してそのテキスト内に記された〝虎の巻〟を講じて事を終えようとする狡い成功を夢見て居た未熟が在った。その〝虎の巻〟を笑顔で担ぎ出す都度にティーチャーは「え?あれ?同なじの持ってるやん、えぇ何で?!これやったら質問しても答解るよなー」等と言いながらその辺りには決められた英語を使わず、本当に驚いて居た。まるで現実を早送り・巻き戻しした様な超能力を自然の内で見たようで、その旧友だけではなく俺に対してまで、その不思議が紐解く事象を接着させて居た。しかしその〝虎の巻〟はテキスト同様にその旧友の物であり、俺はその内容を以てティーチャーの質問に答えようとしたが、全くその友人の所作を踏襲出来なかった。そして俺は講義をまるでそっち退けにした上で出席カードへの名前の書き込み、又、そのカードに於いて用意されていた感想を書く為のスペースに講義を受けた感想をひたすら躍起に成りつつ書いて居た。〝自分の思惑とは領域が離れた処で織り成されて行く講義の思惑に自分は付いて行けず、又付いて行く気は無く、言われる事は後々一々解るのだが、「違う」とされる仕方の無い解答を示すのは嫌だ〟と書いた。その感想に書かれた意味は恐らく一人にとって正解だった。名前と感想と学部とを書き込み講義の終りに提出しようとしたが落して仕舞い、その落した瞬間にその一枚の小さなカードが途端に大きな白紙に戻って仕舞ったようで、ばさぁっと床に転げて散らばり、その幾枚か在る紙の内から元の一枚を探し出すのがひたすら大変だったが、結局見付けられないで、俺は折角書いたカードを紛失して居た。当分その儘で、事故の様に起った小さな悲惨を忘れて仕舞おうと友人と同様に余興に耽り込む形で、一層(いっそ)この儘忘れる事にも努めたが忘れられず、その後、旧友、ティーチャー、他の恐らく存在して居た学生、の陰からの目を掻い潜って、床を這い廻り一枚のカードを探して居たが、何度も同じ場所や違う場所を探しても消えたように出て来なかった。あれだけ在った白紙の数も風に吹かれて飛んで行ったのか次第に分れて無くなって行き、その最後に残った一枚も、自分が探して居るカードではなかった。仕方無く、又書き直そうと別の白紙やカードを傍に在った物から取り寄せて書こうとしたが、不思議な位に、どの体裁を以てしても、ペンを以て全くきちんと書く事が出来ず、頻りに書き直し、十~十五回程書き直した所で力んで書き続けて居た所為か手が震えて字が鈍(ぶ)れ始め、新しい躍進もその白紙の上で望めぬように成って仕舞った。思い付きであるが、マジックを以て書いたが、これも不思議な位に先ず名前を書く事が出来ず、その内どのペンも色の出が悪く成って薄まり始めて、〝もう出さなくてもいいか、これだけやって出来ないんならこの出来ない事も不可抗力の事だ〟等として、次第に心中に甲斐無き努力をした後の倦怠感が次はその白紙の上で自分に向かって頻りに主張し始め、又その倦怠の内に息巻く自分という自分の正体を見抜きながらも、唯自然が〝俺の沈没〟を待って居た様だった。唯、過ぎて行く完成が俺にとって見知らぬ自然を講じる作品の様に成って他人に阿る事無く、「自然」が強引に自身を俺に押し打って居た様でもある。自分の〝正体〟は悔しい倦怠を徐に掲げて外聞を捨て、真っ直ぐに生き抜こうとする人が持つ分り易さを分岐させつつ、世間が奏でた〝難解〟に対して矢の様に突き立て、〝自身〟を消さずに敢えて努める程好い加減の労苦の成果(さき)には、幻(ゆめ)に紛れる思想の自滅(ほろび)へ敢えて精進(すす)める脚力(ちから)の様子が華やかでもある。
そうして出席・感想カードをティーチャーに提出しない儘で、講師と旧友と周りの学生とが忙(せわ)しく(その時に居た)教室から出て行こうとする意気込みに絆される様に、俺は何の覇気も無いまま皆と一緒に教室を出て行き、夢は幕引かれた。旧友は暫く俺を待って居た様であり、俺が躍起に成って書き上げようとして居たその努力を見て居てくれたのか(良くは知らないが)、色を失った俺の顏は自然に物を書いたが、忙しそうにして居る講師の様相に旧友の目は映らず、夕暮れの内で友人の背中に見て居た「私の感想」を俺はその時心中で何度も呟いて居た。旧友はその時待ちながら、一度通り過ぎた「過去の内」から、元通りに成る「出席・感想カードの在り処」を求める稀有に紛れた微量のヒントを、密かにとぼとぼ、幻(ゆめ)の自主(あるじ)は俺に対して呟き続けた…。
その教室を出てから俺と旧友は、何処か以前に見知った環境の内を歩いて居た。俺の自宅から最寄り駅であるY駅付近に在る、小じんまりとして駄々広(だだっぴろ)く、薄ら霧が漂って向こうに見得ている筈の竹藪と木々達が、その霧が私に対して構築したロマンスに依り嬉しい暗闇をその身に落ち着かせて、誰も居ないグラウンドをその過去に構築した光景と情景とで構築させる迄の俊敏な腕力を持った、柔らかい緑色のネットで固く閉ざされた無人のグラウンド沿いの道を、そのグラウンドを取り囲む不死のフェンスを掴みながら歩いて居た様でもある。その場所で俺は何時(いつ)も通りの厚底の革靴を履いて居たのだが、それに拘らず自分の背丈が自分の横を歩いて行く旧友の背丈と殆ど変らない事を認めて仕舞い悔しく、又、心中でその旧友の在り方を所構わず呪って居た。所々で覚める筈の夢には、文学を講じる際の自覚めいた我が骸に掲げる正義という物に依り良心・悪心が構築して仕舞う「存在」が在り、その旧友が自分にどれ程に有難い人としての優しさを提供しようとも、我儘に笑顔を以て個人に人間の表面を棄てさせる力が在った。
~過去からの風~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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