水無月の祝言

油絵オヤジ

水無月の祝言

「なあなあ、前鬼、後鬼。長生きしとるんやから日本史にも詳しいやろ?」

ちゃぶ台に教科書を広げ、中学三年生になる役ついなはぬいぐるみに話しかける。知らない人が見たら痛い光景に見えるだろうが、青いぬいぐるみが身を乗り出して答えた。

「おう、まかせとき」

青いぬいぐるみは仮の姿、かつて役小角に仕えた前鬼である。その傍らにある赤いぬいぐるみは、妻の後鬼だ。

「何が知りたい?」

「中3になって、日本史が明治に入ったんよ。急に登場人物と出来事が増えて、さっぱり頭に入らん」

「明治か、そりゃあ激動の時代やったからなあ」

「岩倉具視っておっさん、結局何した人なんや」

「おお、岩倉さんか。懐かしいのお。岩倉具視施設団ってのがあってな、ワイらも護衛として同行したことがあるで」

「なんや初耳やで」

「明治になって文明開花してもなお、陰陽師も修験道もまだ必要とされておってね。岩倉さんの使節団がアメリカ、ヨーロッパに行くときも、随行員の名目で修験者が同行したんよ」

赤いぬいぐるみ、後鬼が話を継ぐ。

「ほえー、あんたら海外行ったことあったんやな」

「せやでー。アメリカではインディ…今で言うネイティブ・アメリカンと一晩語り明かしたり、イタリアではエクソシストと共闘して悪魔を倒したり、イギリスでは私立探偵と一緒にジャック・ザ・.リッパーを追いかけたりしたもんよ」

「一気に嘘くさくなった」

「まあでも、花の都パリで偶然見かけた結婚式の花嫁が、それはそれは綺麗でねえ」

ボタンでできたぬいぐるみの目だが、うっとりしているのがなぜかわかった。


翌日、ついなが一夜漬けの日本史の試験に挑んでいるころ。

「おお、もうそんな日か」

「そうね、そんな日ですな」

梅雨入りも近い晴れ間、縁側に敷いた座布団に腰掛けた二人…といっても、知らぬ人が見れば赤と青のぬいぐるみが、なぜか茶を啜りながら話している。赤は前鬼。青は後鬼である。現在の主人(あるじ)である役ついなが学校に行っている間は、だいたいこうして好々爺よろしく過ごすのが日課だ。

「こんな姿(なり)じゃ、墓参りにもいけん」

「なんや、そっちの話かい。てっきりワテは祝言をあげ損なった日のことかと思ったわ」

青いぬいぐるみの口を器用に尖らせた後鬼は、赤いぬいぐるみ、前鬼の妻である。

「そういや、そうだったなぁ。子育ても終わって遅ればせながらの祝言を上げようとした日に、お師匠さんぽっくり逝っちまったで、祝言どころじゃなくなったでなあ」

「全く傍迷惑なお師匠だったねえ」

そう言いながらも、二人のボタンでできた目は、懐かしそうに細められた。師匠とは前鬼、後鬼が初めて調伏されて仕えた人間、役小角のことだ。絶大な霊力を持った役小角であるが、その老後は決して幸福なものではなかった。

「天上ヶ岳はちと遠いが、なあに1300年以上も経っとるんじゃ、ここで手を合わせるだけでも、お師匠なら文句もいうまいて」

「そうやな」

ぬいぐるみが空に向かって手を合わせるのは、なかなかにシュールな光景だ。

「さて、ワイはちと用事を思い出したから出かけてくるわ」

「ああ、そうかい。気をつけてな」

前鬼は人の姿に変化した。身の丈七尺、2m超えの大男だが、引き締まった筋肉質の身体が服越しにもわかるうえ、なんといっても10人とすれ違えば男女問わず10人が振り返るような色男だ。気をつけて、というのはそう言う意味もあるのだろう。前鬼は背中越しに片手を上げて、家を後にした。

「しかし困ったぞ。なんとか後鬼の望みを叶えてやりたいが、なんといっても時間も金もない」

2m越えの色男が街角で途方に暮れている姿というのも、なかなか乙なものではあるが、当人にとってはそれどころではない。

「とりあえず、誰かに相談してみるか」

そのとりあえず、が悪かった。前鬼は本当にとりあえずそこを通りかかった女性に声をかけてしまったのだ。

「すみませんお嬢さん。結婚式っていくらくらいかかるんでしょうか」

「えっえっえっはい、よろしくお願いしますぅ」

何がよろしくなんだか前鬼にはわからない。

「えっと」

「300万円、結婚資金に貯めてましたけど、ちょうど昨日フラれたところなので、これでよろしくお願いします!」

「いや、よろしくって何が?というか、結婚式って300万円もかかるんかい」

「わたしが、わたしが出しますから!大丈夫ですから!」

何が大丈夫なのだろう。

その後も話が噛み合わないまま、女性に腕を掴まれた前鬼はいよいよ途方に暮れていた。

「もしもし、お巡りさんだけど、ちょっといいかな」

どうやら、誰かが通報したらしい。あれだけ大きな声で300万円がどうとか話していれば、怪しさも満点である。

結局、前鬼と女性は警察署に連れて行かれることになった。

誤解はすぐに解けたのだが、前鬼には身分証明書がない。

「ご、後鬼を、妻を呼んでくれい!」


「あんたおバカ!」

警察署から耳を引っ張られて連れ出された前鬼は、人間姿となった後鬼にこっぴどく叱られていた。美女が怒る姿は、それはもう怖い。

「あんた、ワテがなんで怒ってるのかわかるか?」

女性はよくこれを聞くが、大抵男にはわからないものだ。

「警察のやっかいになった、から?」

「ちゃうわ!」

後鬼の拳骨は硬い。頭に落とされて目に火花が散った前鬼は、うずくまりながら後鬼を見上げた。

「あんたが一人で勝手に、ワテの望みを叶えようとしたからや。祝言ってのは一人でするもんちゃうやろ。あんたとワテ、二人でするもんやろ!」

足を肩幅に広げ、腰に手を当てた後鬼はカッコいい。惚れ直す。

「ワテにもへそくりくらいある。結婚式場で豪勢に、とはいかんけど、御剣神宮の軒先をお借りして、貸衣装で祝言くらい上げられるわ。なにより!」

後鬼はビシッと人差し指を前鬼の鼻先に叩きつけた。

「女にはな、これを着たい!ってドレスがあるんや!」

前鬼は己の独りよがりを、殊更に恥いるばかりであった。


後日。

梅雨入りしたにもかかわらず、その日は晴天に恵まれた。

豪奢なマーメイドドレスは後鬼のプロポーションを際立たせ、美しさをさらに輝かせている。前鬼はフロックコートだが、丈の長い洋装は、前鬼のように身長がないとこうは似合わない。背後には鳥居があるが、ミスマッチもなんのそのだ。大柄な後鬼を、前鬼は重さを感じる様子もなくヒョイと抱き上げる。

「本当にワイの嫁は、世界一の鬼嫁や!」

「まったくあんたは」

口調とは裏腹に、紅潮した後鬼の顔には涙と笑顔が溢れている。

前鬼、後鬼の二人は、大勢の知己に囲まれて、ささやかながらも幸せな祝言をあげたのだった。

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水無月の祝言 油絵オヤジ @aburaeoyaji

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