ステルスの村
森本 晃次
第1話 時代背景
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年7月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。ここに出てくる、日本を含める諸外国は、実際の国とかぶってはいるでしょうが、本当の国とは限りませんので、ご了承くださいませ。
この街は、昔からの観光地で、古くからの名所旧跡がたくさん残っているところである。山もあり、目の前には海もあって、
「風光明媚」
とはまさにこのことである。
特に、このあたりは、内海になっていて、しかも、海のはたくさんの島が浮かんでいるので、波風が立つようなことはそんなにない。
近くに、環境を壊すようなところもなく、ある意味、
「静養地」
としては、全国でも有数のところなのかも知れない。
冬になると、冬の海産物。夏には夏の海産物が有名でもあるが、だからといって、土地が悪いというわけでもない。
むしろ、野菜を育てるには、適しているところで、コメはいうほど取れないが、野菜、果物の類は、新鮮で、近くを通るバイパスや高速道路のサービスエリアや、道の駅などで、農産物は、人気のようだ。
もちろん、道の駅などで、海産物も売られているが、海産物は、それよりも、都会の有名百貨店であったり、ネット販売などによって、取り扱われているので、全国どこからも、アクセスして、仕入れることができる。
それは、街にとっては有難いことであった。
そもそも、街の産業は、他には何もなかった。この街を中心とした、近隣の街では、
「都会のための誘致はしない」
というのが、昔からの伝統だった。
ただ、それでも、一時期、街をまたいでの、大きな騒動になったことがあった、
それが、高度成長時期と、バブルの時期だったのだ。
高度成長期には、政府の力も強く、都会において、たくさんの住宅、インフラ、さらには、エネルギー開発と、それまで、空襲でやられた街の復興が大変な時期だった。
しかも、首都、東京では、復興のシンボルとしての、
「東京タワー」
さらには、
「それを世界に見せつける」
という意味でのイベントである、
「東京オリンピック」
さらには、
「大阪万博」
などの開催が目白押しだった。
しかも、そのためのインフラ整備として、
「東名高速」
「新幹線開業」
という公共事業が高度成長時代を支えていたのだ。
ただ、確かに高度成長時代には、
「特需」
であったりというものが、一定時期あるだろう。
しかし、その反動があるということも、歴史が証明しているではないか?
というのが、
「第一次世界大戦」
においての、
「戦時特需」
というものである。
何といっても、風刺画にあったような、
「芸者が玄関で、暗くて足元が見えず、靴を履くことができないということで、成金と呼ばれる人が、お札に火をつけて、これで明るくなっただろうといって、ニッコリと笑っているシーン」
を見たことがある人も多いことだろう。
当時の風刺画として、社会科の教科書に載っていたくらいだからである。
それを思うと、
「成金というのが、どれだけのものだったのか?」
ということである。
たぶん、あのお札は、今の価値にすれば、一万円札程度では収まらないほどだったに違いない。
そんな成金たちは、本当に短い期間だったようだ。昭和に入ってすぐに、
「世界恐慌」
「昭和恐慌」
「東北の凶作」
などというものに、見舞われたりもしたが、実際には、
「戦時特需の反動」
というものが大きかったのではないだろうか?
何といっても、農村などでは、
「娘を売らないと、その日の食事もない」
と言った有様だったようだ。
当時の置屋に娘を売るための、業者もあったようで、今の風俗業界における、
「スカウト」
のようなものと同じなのかどうか、考えてしまうところであった。
その間、10年と経っているわけではない。特需はあっという間になくなってしまい、日本という国は、
「資源がない、貧しい国」
ということで、当時の強大国で作る、
「ブロック経済」
の中には入れてもらえず、
「貧しい国は、どんどん貧しくなっていて、国家間での、本府の差は、歴然としてくる」
ということであった。
そんな時代が、結局、世界大戦へと導いていったのだ。
この時、世界大戦へと向かった歴史的背景は、それぞれの国で事情が違ったことだろう。しかし、世界大戦というのが、それだけたくさんの事情が孕んでいて、実際に、第一次大戦が終わってすぐの、
「ベルサイユ体制」
というものができた時、
「これは、20年後の再度の戦争を予知しているようなものではないか?」
という話があったが、まさにその通りで、世界は、さらなる大戦に向かって、突き進んでいくのだった。
そういう意味で、第二次大戦が終わってから、
「よく第三次大戦が起こらなかったものだ」
と言えるだろうが、それには別の意味での、
「驚異の裏返し」
というものが潜んでいたのであろう。
それが、いわゆる、
「核による抑止力」
だったのだ。
「核兵器を持っている限り、戦争はこの世からなくなった」
という人がいたが、それはあくまでも、
「超大国同士」
による戦争であった。
というのも、そのたとえとして、
「二匹のサソリ」
だった。
「サソリは、相手を殺すことはできるが、こちらも殺されるということを覚悟しなければならない」
ということである。
仕掛けた方、仕掛けられた方、どちらかが負けるということはないのだ。結果は、
「どちらも、全滅する」
ということになるのだった。
第二次世界大戦が終わると、確かに、
「戦争は起こりにくくなった」
という人も多かったが、実際には、小競り合いのようなことが頻繁に起こった。
特に、
「欧米列強から、植民地として支配されていた国が、どんどん独立戦争を起こしていったから」
といえるだろう。
特に、アジア、アフリカにおいては、かなりの国が独立した。
実際に、厄介だったのは、アラブとアジアであろう。
アラブなどは、イギリスの、
「二枚舌外交で、今のパレスチナ問題を彦起こした。イスラエルと、アラブ諸国の問題である」
アジアにおいては、もっと切実だった。
それが、最初に戦争として火を噴いたのが、朝鮮問題であり、これが最初の、
「東西冷戦における、代理戦争」
だったのだ。
アメリカを中心とした、
「民主主義陣営」
さらに、ソ連を中心とした、
「社会主義陣営」
というものが、朝鮮半島で一触即発だったのだ。
そもそも、南部と北部でそれぞれが支配する状態というのは、ドイツのベルリンにおいても同じであり、ベルリンは、
「壁の建設」
ということで、戦争には至らなかったのだが、朝鮮半島では、
「統一を合言葉に同一民族の戦争が起こったものを、それぞれの陣営が、後ろ盾となっての、代理戦争が巻き起こった」
ということであった。
緒戦戦争では、そもそも、アメリカにおける。
「お花畑」
と言われる発想が引き起こした戦争だった。
それは、アメリカとしては、
「ソ連は戦争を恐れて、仕掛けてくることもないし、中国は、統一がなったばかりで、外国に兵を出すだけの余裕はない」
ということを考えて、韓国軍に、ほとんど武器は与えていなかった。
「武器弾薬は、ほとんどが、旧日本軍が残していった旧式のものが多く、さらには、軍隊としての統率もなっていなかった。さらには、いざとなると、アメリカが守ってくれる」
という思いもあったのか、韓国軍は、戦闘機に関しては、
「練習機はあるが、戦闘機は一機も持っていなかった」
というのが、実情だったのだ、
しかし、北朝鮮の金日成は、スターリンに対して、
「韓国に攻めこむ」
ということの許可を貰い、さらには、
「表立って協力はできないが、戦闘員の訓練や、武器供与などの、後方支援は行う」
といってくれたのは、北朝鮮にとって、ありがたいことであった。
北朝鮮は、訓練に訓練を重ね、ソ連や中国からの武器供与を受け、満を持して、38度線を越えたのだ。
ふいをつかれ、武器も兵器も満足にない韓国軍はひとたまりもなかった。
首都ソウルが、たった3日で、降伏したというのも分かるというものだ。
何といっても、朝鮮半島における支配として、占領軍は、まったく予測もしていなかったことだろう。
総司令官のマッカーサーは、韓国に入ることもなく、日本にいて、統治をしようとしたのだから、当然。何もできなかったのだった。
北朝鮮軍は、一気にプサンに迫る勢いで、
「このままだったら、韓国軍は全滅し、朝鮮半島は、社会主義国家になってしまう」
ということだったのだ。
中国が、社会主義国家となってしまったことで、アメリカはその面目が潰れていただろうから、今度朝鮮半島が社会主義化するということは、許されないことだっただろう。
そもそも、中国が社会主義化したというのも、当時の中国は、日本との戦争が終わり、そもそもくすぶっていた、
「当時の中国の政府であった国民党」
と、
「反日というスローガンにおいてだけ結びついていた共産党」
というのが、内線をしていたのが、再燃したのだった。
相手が社会主義の共産党ということで、アメリカは、最初国民党を支援していたのだが、国民党の態度に怒りを感じたという理由で、国民党への支援を辞めたのだ。
その真意に信憑性があるのかどうか分からないが、国民党は、アメリカに見限られ、支援がないまま、ソ連に支援され続けた共産党が、一気呵成に、国民党軍を破り、台湾に追いやったのだ。
これが、今も遺恨として残る、
「一つの中国問題」
であり、中国が、
「台湾政府の存在を許さない」
という形で、
「台湾は中国だ」
と主張していることだった。
そもそも、アメリカが見限った台湾政府であるが、社会主義と立ち向かっているという意味で、
「台湾は、こちら側」
ということになり、こちらも、
「第二の冷戦」
といってもいい、
「台湾問題」
というのが、世界平和を脅かすということで、今でも大きな問題として、くすぶっているのだった。
朝鮮半島は、まだその時、北を、ソ連に、南をアメリカに、
「分割統治」
されていたのだった。
そんな時代に、また、日本は、
「戦争特需」
というものが、巻き起こった。
今回の戦争特需は、
「国連公認」
ともいうべきもので、
何といっても、アメリカが、
「自国の名誉」
というものを取り戻すためのものであった。
さすがに、このまま、朝鮮半島を社会主義国家に占領されてしまっては、まずい。せっかく日本を民主主義陣営に取り込んでいても、肝心のまわりを社会主義に固められると大変だ。
しかも、中国や韓国、さらには、東南アジアの国は、日本がそもそも、スローガンとしていた、
「欧米列強に食い物にされている東アジアの国を開放し、自分たちだけで自立できるという、大東亜共栄圏というものを目指して戦争をしていた」
ということで、実際には、東南アジアの植民地を、日本のものにしようと思っていたと考えているので、
「日本の民主化、平和主義は有難いのだろうが、だからといって、社会主義に取り込むというのも、過去の歴史を考えると難しい」
と言えるだろう。
そうなると、
「黙っていてもらう方がいい」
ということで、中国、韓国と周りを固めるという方がいいのではないだろうか?
朝鮮戦争は、その後、国連軍による、
「仁川上陸作戦」
が功を奏して、一気にピョンヤンあたりまで、連合軍が押し返したが、そこでまたマッカーサーの考えが甘かったようで、
「来るはずのない」
と思っていた中国軍が参戦してきたのだ。
「中国人民解放軍」
が人海戦術で攻めてくると、今度は、また、一進一退を繰り返すことになる。
それによって、今度は、マッカーサーがキレるのだ。
当時のトルーマン大統領に向かって、
「中国の数都市に対して、原爆投下の許可を」
というものを申請したことで、今度は、トルーマンがビビッてしまった。
「さすがに、そんなことをすれば、第三次世界大戦となり、核戦争が勃発する」
ということになるのだ。
すでに、ソ連は原爆開発に成功していて、ここから先は、
「破滅戦争になる」
ということが分かり切っているからであった。
それを考えると、
「戦争はできない」
ということになり、原爆投下は、明らかに、
「パンドラの匣」
を開けてしまうことになるのだった。
それを思うと、さすがに、
「日本に原爆を投下したトルーマン大統領」
といえども、
「原爆投下の許可など出せるはずがない」
ということで、結果、
「マッカーサー元帥の更迭」
ということになったのだ。
マッカーサーは解任され、アメリカに帰るが、戦争は、休戦協定が結ばれないまま、今だ戦闘状態というおかしなことになっている。しかも、その休戦協定の調印に反対したのは、
「なんと、韓国だった」
というではないか。
「朝鮮の統一を目指す」
ということであったのだろうが、これが、その後の、
「代理戦争の火種」
となったのは、間違いないことだっただろう。
朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、好景気に沸いた日本だったが、いつの間にか、日本は、バブル期を迎え。それがあっという間に崩壊したのだった。
その間に、世界情勢はかなり変わった。何よりも、東西両陣営の対立の象徴とまで言われた、
「ベルリンの壁」
が崩壊し、
さらに社会主義帝国最大の、ソビエト連邦が、崩壊したのだ。
ロシアを中心とした共和国に別れ、社会主義国ではなくなってしまった。
まだ、中国、きゅば、ベトナムという国が社会主義国家として君臨はしているが、かつての、
「東西冷戦」
というのはなくなったのだった。
それにより、戦争特需というのはなくなった。
代理戦争というものもなくなり、ある意味、国家間の戦争というのは、鳴りを潜めているのだ。
アラブ諸国や、イスラム諸国を中心とした、
「反米国家」
と言われているところが、
「ゲリラ戦」
というものを仕掛けてくるのだ。
ベトナムで苦しめられたゲリラ戦、そこには、
「自爆テロ」
というものが存在し、相手は宗教をバックに考えるので、
「死をも恐れない」
という意味では、
「大日本帝国」
と考え方は似ているかも知れない。
大日本帝国も、
「天皇は神様」
ということで崇め、まるで教祖様のごとく君臨することで、
「戦争を正当化した」
と見られているかも知れないが、ああでもしないと、国家の存続ができない。
何といっても、日本という国は、国土が狭く。資源も食料もないことから、かの世界大戦に突入した時の、満州であったり、中国への侵攻ではないといえるだろう。
満州事変を起こしたのは、
「自衛のためではなく、侵略だった」
という、
「リットン調査団の話は、あくまでも、戦闘という意味においでなだけだ」
と言えるだろう。
実際には、
「食糧問題」
つまりは、
「国土のわりに人口が多すぎるので、海外に土地を求めるのは、アジアやアフリカに、植民地を作った欧米列強がやったことと、どこが違うのか?」
ということである。
「リットン調査団」
が行った調査というのは、あくまでも、
「事変に対して」
というだけであって、背後に潜む、
「国家の事情」
というものをわかっていないからではないだろうか?
それを考えると、
「日本であったり、アジアの弱小国」
というのは、戦争の名目だと言われてしまったといわれる、あの、
「大東亜共栄圏」
というものは、
「本当は正義なのではないか?」
と言えるのではないだろうか?
今の時代は、昭和の頃のような、
「世界のトップを走る日本」
などということはなくなってきた。
ただ、一度は、頂点に上り詰めただけに、栄光を忘れられないという人もいるだろう。だから、
「世界的なパンデミック」
が起こったその時、ちょうど、日本でオリンピックがあったことで、
「日本が、伝染病に打ち勝った」
ということでオリンピックを開くはずだったのが、その年は、まだまだ、その正体すら分からない状態で、
「選手団を他国に送ることはできない」
という国が続出したことで、その年は延期になってしまった。
翌年になると、さらに、伝染病は猛威を振るい、国内では、
「時短営業」
ということで、飲み屋などの飲食店は、大打撃だった。
国家が補償金を出したりしていたが、それよりも、
「保証金がもらえる」
というところは、まだいい。
ターゲットは飲食店で、
「休業したり、時短をすれば、その分補助金を出す」
ということであった。
しかし、問題はそこだけではないのだ。
問題なのは、その店に商品を収めている、
「納入業者」
である。
彼らには、一切の補助金は出ないのだ。
店側の損失は補助金で何とかならないかも知れないが、
「あるだけまだマシだ」
ということだ。
しかし、納入業者は、作っても、それを買うところがないのだから、どうしようもない。
「作れば作るほど赤字」
ということだが、結局どうすることもできない。
要するに、
「政府は、目の前に見えていることだけを補助」
ということをして、
「やってますアピール」
をしているだけなのだ。
結局、どうすることもできず、納入業者は、潰れていくしかないということになるしかないのだ。
それを考えると、
「いつ、何があるか分からない」
ということで、企業は、
「内部留保」
ということで、会社で金を溜めておくという方法をとり、
「社員が苦しんでいようが、会社があれば、それでいい」
ということになるのだ。
そうなると、個人もそうである。
金のある人は、
「経済を回すために、金を使う」
などということを誰がするというのか、
「会社に¥が何もしてくれないのであれば、自分の身は自分で守るしかない」
というのは、国の対策からも分かるというものだ。
伝染病がまだ流行っているにも関わらず、金を出したくないという理由だけで、
「伝染病のランク」
を下げるという対策を取るのだ。
要するに、
「国は、知らんから、国民どもは、自分の命は自分で守れ」
といっているようなものである。
それまでの規制をまったく掛けることはなく、あとは、すべて個人の判断ということになるのだった。
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