ニンゲン的思考

palomino4th

ニンゲン的思考

あまりにも日々の生活で疲れること、気の滅入ることが続くので、逃亡を企てることにした。

定番の逃亡先は主に書物の中、映画の中、音楽の中など、いく種類かは常日頃つねひごろ確保しているけれども、今回はそちらに向かず、(稀なことだが)屋外でどこかに出かけようという気になった。

つまるところ気分転換とも言うヤツである。


ヒトとのやり取りに疲れてそこから逃げようというのだから、ヒトがいなくてヒトじゃないものが沢山いるところの方が良い。

完全に無人な場所はなかなか難しいのだから、ヒトよりもヒトじゃないものの割合が増えれば良いのだ。

こんな気分の日には終日動物を見て過ごすのが良いかな、動物園に行こうか、と僕は思い立った。

いい歳した男が一人動物園で動物たちを見てるというのはどういう目で見られるものか分からないけれど、なぁに、知ったことか。

と思いさっそく自転車で向かうことにした。


僕の住む東京の多摩地区、H——市には市立の動物公園がある。

土・日・祝日はもちろん、親子連れで賑わうところだ。


園内をのんびりと歩く。

プレーリードッグ、サーバルキャット、ヤマネコ、テナガザル、キツネザル、ハイエナ、ヤマアラシ。ヤギ、ロバ、ヒツジ。

サバンナを模したエリアではキリンにシマウマ。

動物たちを見て心がわずかに慰められた。


ペンギン舎の前まで来た。

この動物園にいるのはフンボルトペンギン。

フェンスで仕切られた向こうにペンギンプールを持ったペンギン領がある。

園内には動物たちに関する様々な知識の情報が提示されているのだが、とあるパネルには現在も生息するペンギン18種のシルエットをスケール順に並べた表示がある。

フンボルトペンギンは、最大のペンギン・エンペラーと最小のペンギン・コガタのほぼ中間の大きさということになるようだ。


動物園が発信している園の情報で知っているのは、飼育されている動物たちには、おおよそ名前がつけられていて、個体が複数いる場合には法則ではないけれども命名基準によって決まってた場合があるらしい。

他の園から引っ越してきた動物は既に名前を持ってたりするのでそのままだけど、新しく誕生した個体は当然、園のスタッフらが中心に命名するのだろう。

フンボルトペンギンは繁殖も順調なのか20頭近く元気に生活してるみたいで、皆が名前を持っている。

来園者にはほとんど見分けがつかないフンボルトペンギンたち。

それぞれの片翼フリッパーにはベルトが嵌められていて、その色で名前が分かるようにされている。

このH——市動物公園のフンボルトペンギンたち、彼らの名前だが、オス最高齢の長生きペンギンである「らぶか」を筆頭に「海に関する生き物」がメインになっている、と。

僕は園内の表示などを見つつ、スマホで情報を補完しながら頭で彼らペンギンの系図をめくってみた……。


「いそぎんちゃく」と「えび」の間に誕生したのは「BFGBig Foot Giantメガマウス」。

「うみうし」と「しらす」の間には「ふぐ」と「めばる」。

「のどぐろ」「あんこう」夫妻には「うに」。

「ふぐ」と「ひらめ」の子供が「ぶり」に「はまち」に「かんぱち」。

「ほや」と「あさり」の間には「なまこ」が生まれたらしいし、「BFGメガマウス」と「がぶ」からは「かじき」が誕生。

「するめ」と「えび」は子沢山らしく、「くえ」「しいら」「しゃこ」「たらば」「まつば」。

「いそぎんちゃく」と「がぶ」の子供らしいという推測の「のり」、この子は足裏に「魚の目」ができてしまったそうで趾瘤症しりゅうしょうを回避するために飼育員さんらが必死にマッサージなどをしてあげてるとか。


動物園のフンボルトペンギンの情報を見ながら、頭の中で次第に謎の状況が湧き上がった。


遠いどこかの海の中でイソギンチャクと仲睦まじくしている海老。

彼らの間に誕生した体長数メートルの巨大サメ・メガマウスが上をゆっくり泳いでる。

ウミウシとシラスが河豚ふぐとメバルをせっせと育てているが、スーパーのシラスのパックに河豚が入り込んだというのでクレイムが入りだいぶ凹んでいる。

スルメイカと海老の家にはクエとシイラというちょっとコワモテの魚が跳ねているし、ボクサーの蝦蛄しゃことハサミを振り回すタラバガニとマツバガニで日本酒が欲しいところ……

——いや、みんな名前だから。


『あるクイズの答えが「チェス」である時に、問題文で決して使ってはいけない唯一の言葉は?——すなわち、「チェス」である。』


ペンギンに名付ける時、「ペンギン」という名前を与えるのは不可能じゃない。

ただそれはその人にとってほぼ唯一存在するペンギンである時なんじゃないだろうか。

もう一頭、同じ個体がいるのなら、そちらのペンギンにはもう「ペンギン」という名前は使えない。


僕や君が「ニンゲン」という名前じゃないのは、他にニンゲンが無数にいるからで、この世界にたった一人残された人間になってからその名前が初めて使えるかもしれない、でもそうしたらその名前は誰のために付けられるものだろう?


憂鬱な気分に引き戻されてそんなことを考え始めた時に、ペンギン舎の中でフンボルトペンギンが数頭、ちょこちょこと歩き始めた。

どこか懸命に駆け回る彼らを見てると、あれこれの悩みのどれもがどうでもよくなってきた。

まるで別の生き物の名前を持つ彼らが紛れもなくペンギンなのは確実だった。


  ***


我々が人生に行き詰まったと感じる時、動物園に行くのがのぞましい。

入園料を上回る体験と感動がそこで得られることだろう。



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実在の動物公園とペンギンさんたちをモデルにしておりますが、内容は全くの妄想でその点で一切の関係はありません、ということにしておいてください。

——作者

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