仮面舞踏会

カフェオレ

仮面舞踏会

 放課後、午後五時の校舎内。そこに今ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」のワルツが流れている。これが集合の合図だ。

 いつから始まったのか、なぜ空き教室に行ってしまうのか。もう忘れてしまった。いやこの行動の意味を理解していたことなんかない。ただワルツのリズムに導かれるまま俺の足はいつもの空き教室へと向かっていた。

 扉を開ける。ここは普段鍵が掛かっているはずだ。しかしワルツが聴こえている時はなぜか鍵は解錠されているのだ。

 いつもの光景だった。正面には衝立が立てられている。その後ろにある気配。そして左右には縦長のロッカーが四台ずつ置かれている。いずれもその向こうにいる人物を隠すためだ。

「後藤先生の件はご苦労でしたわね、牧田光一君」

 正面の衝立の向こうで女子生徒が言う。無論顔は見えないが、この人物が生徒であることは聞いている。しかし声の正体には皆目見当がつかない。知っている人物のような気もするし、ここでしかあったことのないような気もする。

「ずいぶんと酷いことをしたもんだな」

 左のロッカーの後ろから低い男の声が冷ややかに言う。こいつが生徒なのか、教師なのかは確認出来ていない。

「強姦事件をでっちあげたんだってね」

 右のロッカーからはしゃぐような女の声が聞こえる。こいつの身分も不明だ。

「本当は自分が楽しみたかっただけじゃねーのか」

「構いません。手段は問わないですからね。牧田君は言われた通りにことを遂行してくれたんですよ。それにあの女も異端の血を引く穢れです」

「で、まだ誰かを陥れろって言うのか? 俺はお前らの目的も聞かされてねーぞ」

「あなたには考えが及ばないほど大きな革命が訪れようとしているのです」

「馬鹿言うな。如月を脅すようなこと言いやがって」

 如月葵きさらぎあおいは俺のクラスの女子生徒だ。ここで俺がこいつらの傀儡かいらいとして動いているのも俺が如月葵に片想いをしていることをやつらが知っていたからだ。しかしなぜ、彼らが知っているのか。俺は如月への想いを誰かに語ったことなど一度もない。

 すると正面の女が低く笑った。

「何を言うんです? 私達は誰も脅迫などしていません。ただあなたが如月葵に想いを寄せていることを指摘しただけです。彼女を失った時のあなたの絶望は計り知れないであろうことも」

「遠回しな言い方をしただけだ」

「被害妄想ですよ」

 左右の二人も同調して不気味に笑う。

「葵ちゃんかわいいよねー」

「お前仲いいみたいだけど、見たところただの友達って感じだよな」

「黙れ!」

 俺の叫びを尚も二人は嘲笑う。

「とにかくあなたの働きには感謝します。私達の願いが成就する日も近い」

「訳わかんねーよ」

「あなたには関係ないですからね。益も損もない。

 でも感謝の印として褒美をあげます」

 なぜだかわからないが正面から女の鋭い視線を感じた。もちろん顔など見えないし、頼りとなる情報は声だけだ。しかし今間違いなくこの女は俺を見据えている。そんな気がした。

「何をくれるって言うんだ」

高山慎吾たかやましんごが邪魔ですね?」

 ギクリとした。

 高山慎吾はクラスメイトであり、如月葵と最も仲の良い男子生徒であろうと思われる。俺のそれとは違い決して友情には留まらないであろう。そして何より慎吾は——

「親友が邪魔だってのか、ひでー奴だな」

「恋敵ってやつだ。でも仕方ないよねー」

 左右の二人が言う。

「慎吾をどうする気だ?」

「彼がいなければ如月葵に手が届くかもしれませんよ」

 慎吾がいなければ如月に最も近い男は俺になるだろう。しかしそれだけで彼女が俺に振り向くはずもない。

「どうだろうな。如月がそんな簡単に慎吾を忘れるとは限らねーぞ」

「では友情を優先して如月さんを消しましょうか?」

「ふざけるな! そんなことしてみろ、てめーらぶっ殺すぞ‼︎」

「おいおい、俺達の正体も分かんねーのにどうやって殺すってんだ」

 男の冷笑が響く。

「とにかくあいつらの仲が引き裂けるものか!」

「彼女が高山君からどんな仕打ちを受けようと? 高山君の印象を悲惨なものにしたうえで彼が名誉挽回の機会を失えばそれも可能でしょうね」

 慎吾の顔が脳裏に浮かぶ。「やめろ!」そう言いかけた途端、如月の顔がそれを覆い隠す。

 彼女の無邪気な笑顔、朝礼時の寝ぼけ眼、ちょっと気落ちしたような横顔。それらが手に入ればどれだけ幸せだろう。

 その時「仮面舞踏会」が一際大きく響いた。

 欲しい! そのためにはなんだってする。どんなものでも差し出そう。

「決まりですね」

「待ってくれ!」だが、その叫びは声にならない。

 俺は女の声に背中を向けた。

「まあせいぜい、あいつのことは忘れさせてやれよ」

「私も葵ちゃんに色々吹き込んであげようか?」


 後ろ手に扉を閉める。

 顔を上げると夕日に染まった廊下が続いている。試しに扉をもう一度開こうとしたがすでに施錠されていた。

 後戻りは出来ない。するつもりはない。長い廊下を俺は明日からの日々を想い歩き出す。「仮面舞踏会」のワルツはもう聴こえなかった。

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仮面舞踏会 カフェオレ @cafe443

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