夜芒

夜芒

夜芒


 夜の闇に包まれた秋空の下、少し前まで青々と茂っていた野原は、徐々に次の季節に移り変われるようにと、天寿を終えては新たな命の種を蒔く。


 枯れた草木が広がる一面の風景を見た私は、まるで大昔のネガフィルムの一部を引っ張り出してきたかのような感覚を覚え、その風景に懐古の情が湧いた。

 

 時期的にもそろそろ十五夜だ。

 旧暦では六月から八月頃が秋の季節として人々に浸透していたらしい。

 

 今宵は図らずも何の巡り合わせか、綺麗な円をえがいた満月を拝む事ができた。

 まばゆい月明かりに照らされた秋色の野原は、辺りの静けさとも相まって幻想的な雰囲気をかもし出す。

 

 すすきは尾花とも云われ、昔から豊作を司る月の神の依代よりしろや魔除けとして玄関の前に飾られたりと、今もなお地方ではそういった風習がある一方、〈幽霊の正体見たり枯尾花かれおばな〉ということわざにもある通り、芒の風になびく姿が、心境次第では幽霊のような恐ろしげなものにも見えてしまうという相反する意味合いがある。


 冷気を帯びた夜風が吹き始め、芒の群れがしゃらしゃらと音を立てて靡いている。


 確かにおぼげな月明かりの下、闇の中でこうべを垂れたような姿をした何かがざわめいているかのような音を発すれば、誰だって幽霊や物の怪もののけの類と見間違てしまうのも無理はない。

 

 けれど私はこの風景に胸を撫で下ろしていた。

 

 辺りには人っ子一人居らず、動物達も寝静り、微風そよかぜや草木の擦れる音が鮮明に聞こえるほどの静寂に包まれている。


 感じるのは秋の夜風と澄んだ空気、眼前いっぱいに広がるは藍色に包み込まれた山岳と、秋色の芒野原を照らす妖艶ようえんな月の光だけ。

 

 


 私は人間社会の荒波に飲まれ疲弊していた。一時は自らの命を経とうと考えた時もあるほどに精も根も尽きかけていた。

 だからこそより、この幻想に包まれた、まるでこの世界に私しか存在しておらず、全てを独り占めしたような優越感と、周りの目線に怯えることも無く、溜まりに溜まった陰鬱とした思いが気にもならなくなるほどの開放感を味わえた。

 

 だが脳内の片隅にあるのはこの甘美なるひとときもあとわずかで終わらせなければいけないという、切り離したくても切り離せない現実という名の〈くさり〉が、私を完全には解放してくれない。


 いっそのこと月の神でもかぐや姫でも構わないから、あの月から降りてきて私をどこか遠くへ、人間のいない世界へ連れて行ってくれないものかと、甘美な夢想を広げては虚しくなるだけ。

 

  そう、私は人間が嫌いだ。今の世の中に道義もへったくれもありはしない。


 自分の私腹を肥やすことを最優先に、他者に対して涙一粒ほどの情もかける事も無ければ、騙し、利用し、利益の為に平気で裏切る。


 誰かの上に立っていなければ気が済まないのか、傲慢で、想像力に欠ける言動を繰り返す醜い知性の育った化物ばけもの

 

 人間同士だけではない、その醜い感情の矛先は動植物や神仏にすら牙を剥く。


 神はいるのかいないのか、天国や地獄は存在するのか、動植物に感情はあるのか等、こうした『議論をしても結論には至れない事象』が、この世には少なからずある。

 

 にも関わらず、世の中には無いとも証明されていない事象に証拠を求めてくる輩がいるが、この世に存在するもの全てが、人間の、科学の力で解明できるものだと考えているのならそれはおごりだ。


 自身にんげんの肉体のことすら全て解明には至っていないのに、何故目に見えないものは存在しないなどと浅はかな結論に至れるのかはなはだだ理解に苦しむ。


 何より常日頃から、道具や動植物、自然から神仏に至るまでの全てのものに敬意すら払えない人間が、どうして他者を思いやることなどできようか?

 

 辞書に「正義」や「悪」などと区別されているが、果たしてこの世に「正義」や「道義」という言葉が存在していることすら疑わしく思えるほどに、今の世界はみにくく残酷だ。

 

 世界中の人間がほんの少し、ほんの少しだけ他者を思いやる心を持つことができたならば、いじめや犯罪、差別、戦争だって激減すると私は本気で考える。

 

 何も難しいことは望んでいない、たったそれだけのことを一人ひとりが少し意識すればいいだけのこと。

 

 別に私は『億万長者になりたい』だの『不老不死になりたい』だの、そんな現実的に不可能な突拍子の無い望みを抱いているわけではない。

 

 だが、それすら叶わないから人間は愚かなままなのだ。

 

 過去何百何千年と、人間は争い傷つけ合い、どんなに科学や医療が発達しても、心の内側を変えるまでには至っていない。こんな事を繰り返していれば、かろうじて均衡きんこうを保っている社会など、糸も簡単に、ガラガラと音を立てて崩れていくのが関の山だ。

 

 こんな世界ならいっその事崩してしまいたいという衝動に駆られる時もあるが、それも結局は夢想、戯言たわごとの類として終わる。

 

 この命に意味は無いと思った。


 心優しい清く正しい人々が、他者を引きり下ろすことで優越感に浸る愚か者どもと、同じ世界で酷く理不尽な仕打ちに耐えながら、あと何十年あるかも分からない途方もない余生を過ごす事を思うと、輝かしい未来など想像できるはずもなく、私はこの夜風になびすすきの群れのように、ただ身を任せて人間の生み出した〈冷気の風〉にあててられるしか無いのだろうか? 

   



 雑草の生い茂る薄黄緑の地面に腰を下ろし、満月を見上げながらそんな事を考えていたその時、なびく草木とは違うカサカサとした音が、しげみの中から微かに聞こえた。

 

 どんどんこちらに近づいてきているのが分かる。小動物だろうか?はたまた蛇の類か別の何かか。

 

 ——何が潜んでいるのか分からない疑心感が、芒を物のもののけに変えるのか。


 昔の人たちの知恵は馬鹿にできないなと感心してしまった。

 

 急に襲いかかってくる可能性もあり得る、興味はあれど細心の注意を払っておくに越したことはない。

 

 茂みをかき分ける音が次第に大きくなってきた。もう二、三歩前に出て覗き込めば、姿が拝めるところまで来ている。私は好奇心と恐怖が入り混じり、口の中で溢れ出た唾を喉音立てて飲み込んだ。


 恐る恐る前に数歩踏み出し覗き込むと、そこには茶色い大きな毛玉が地面を這っているではないか。


 一瞬暗闇の中で狸と見間違えたが、ひょっこりと立派な長い耳が見えたので、こいつは野兎だと確信した。兎は餌を探すのに夢中になっていたのか、私に気が付く気配がない。

 

 そんな事を思っていた矢先に野兎は私の方を見上げ飛び跳ねて、大急ぎで来た道と同じ方向を駆け出した。


 私は野兎の生態系に詳しくはないのだが、兎は夜行性だったのか、それとも偶然餌を探しに巣から出てきたのか、本当のところは分からない。


 しかし図らずも満月の夜に芒野原で野兎に出会うとは、なんと数奇なことだろう。

 

 てっきり私の願いがあの月に届いて、兎が迎えにきてくれたのかと内心期待してしまった。あの野兎に家族はいるのだろうか?雄か雌かも分からぬが、他の肉食動物に捕食されずに天寿を全うして欲しいものだ。

  



 そう、あの野兎にも命や意志があるのだ。厳しい自然界の中で、何を一生の目的としているかも定かではない中で生き延びなくてはならない。


 生き残るために皆必死で生きているのだ。


 勿論、動物的本能として繁殖するのが目的だと云う人もいるだろう。

 私が言いたいことはそうでは無い。

 

 本能ではなく、その個々が何を思い何の為に生きているのか。


 これは自然界の中で比較的高い知能を持った、人間ぐらいしか考えることすらできないのかもしれないが、それでも「悲しみ」や「喜び」などの感情はある、「意思」を持って生きている。

 

 

 本当に死にたいと思っている生命なんてないのだ。獣も、人間も。       


 

 誰もが家族や友人、恋人や隣人達と愛し愛される、そんな無益な争いの無い世界を望んでいるはずなのに。


 だからこそ、それを望むのであれば他人から何かを奪ってはならない。

 他者から何かを奪うと云うことは、自身もまた、何かを奪われる覚悟を持たなくてはならない。


 


 後悔した時には信頼も愛情も、命だって戻ってこないのだから。          

 


 

 夜の闇に芒がゆらゆら揺れる。月に雲がかかり始め、闇が深くなってきた。

 

 私はすぅーっと、この美しい世界ばしょの匂いと空気を肺に目一杯に吸い込み味わった後、その場を後にした。

 

 


 また来よう、そう思った。

                         

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜芒 夜芒 @yorususuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ