鬼獄行
長船 改
鬼獄行
これは、ある村で起こったお話である。
その村は本来与えられた名前とは別に "通り名" が存在し、それを御錦村〈おにしきむら〉と言った。御錦村の名は地図にも載っており、本当の名前がある事を知る者は少ない。
御錦村には目立った観光名所もなければ特産品もなく、長らく廃村の危機と隣り合わせにあった。
そんな村である日、事件が起こった。
夏休みの自由研究にやってきた街の子供たちが、忽然と姿を消してしまったのだ。
「誘拐か?」
「村から帰るついでに、どこかで遊び呆けているだけだろう。」
「いや、もしかしたら神隠しにあったのかも……?」
「ははは。バカバカしい。」
街の人々は面白半分に噂した。
御錦村でも、それは同様であった。
するとそこへ、村でもっとも老齢のババが現れた。
このババの顔を知る村人はひとりもいない。
ただでさえ小さく、腰が折れている上に、白髪が垂れて、顔を隠してしまっているからだ。
ババは深く深く嘆きながら言った。
「まったく。誰も知らないなんてあまりに情けない話だ。」
それを聞いた村民たちは、顔を見合わせた。誰もが分からないと言った様子であった。
「子供たちはね、ここで "アレ" をしてしまったんだ。あんたたちだって、子供の頃、親に言われて育ったんじゃないのかい。そら、思い出しな……。」
その言葉に、ひとりの村民がアッと声を上げた。
「……鬼ごっこだ。」
ババは口角をにんまりと引き上げた。
「そう、鬼ごっこさ。鬼が地獄に行くと書いて、鬼獄行〈おにごっこ〉。この村で鬼獄行をすると、鬼に憑りつかれるんじゃよ。」
そうして、ババは静かに語り始めた――。
……昔々、まだこの村が
子供たちは日がな一日、追いかけっこをして遊んでおった。
夕方になって、母親がいつものように、わが子を呼びに行った。
じゃが、そこには誰もおらんかった。
不審に思った母親は、村人らに協力を仰いだ。
そうして、ひと晩じゅう捜しまわって、
やっと、林の中で倒れているわが子を見つけることができた。
子供は目が覚めると、
「遊んでたら、みんな、居なくなってたの。」
と、言ったそうじゃ。
翌日、そのまた翌日と捜索は続けられた。
じゃが、ついに他の子供たちが見つかる事はなかった。
それから何日か経ったある日の夜……。
母親は、子供が寝床から居なくなっている事に気が付いた。
初めは
しかし、家の中があまりにもしんとして静まり返っているものだから、
不安になった母親は、外へと探しに出かける事にした。
厠、そして家の周りと探してみたが、どこにも子供の姿はない。
「かわいいぼうや。いったいどこに行ってしまったの? ああ、どこに?」
母親は、そこら中を探し回った。
すると林の方から、
ピチャ…… ピチャ……
と、水の滴るような音が聞こえてきた。
「ぼうや? ぼうやなの?」
母親は音のする方に足を向けた。
ピチャ…… ピチャ……
水の音は、だんだん大きくなってゆく。
ピチャ…… ピチャ…… ぶちっ。
ぶちっ。 ぶちぶちっ。 ばりん。
月明かりが、林の中を照らした。
「……ぼうや?」
草を分け入った母親の目に映ったのは……
地面にぽっかりと空いた大きな穴と、
奇妙に折れ曲がったなにか生き物の死骸と、
バラバラになった骨と、
こちらに背中を向けて
……なぜ、それが鬼だと分かったかじゃと?
背中越しでもハッキリと分かる程に、頭に立派な角が生えておったんだで。
じゅる。 じゅる。
じゅるるる。 ごくり。
ぼりっ。 ぼりっ。 ごくり。 どさっ。
地面に落ちたそれは、
人間の顔だった。
あの日、居なくなった、
子供の顔だった。
よくよく見てみると、折れ曲がった生き物は、
みな、あの日居なくなった、
子供たちじゃった。
鬼が、子供たちを喰らっておったのじゃ。
鬼は、母親に気付くと、こう言った。
「あ、おっかあだ。僕、もうすぐ帰るね。」
その声は、ぼうやの声と同じじゃった。
ぼうやの声をした鬼は、折れ曲がった子供たちをひとつまみにした。
ばき ばき ぐちゃっ
ぐちゃっ ぐちゃっ ぴちゃぴちゃ ごくり。
母親はその余りの光景に、気を失うて倒れてしまった。
……しばらくして気が付くと、辺りに鬼の姿は見当たらなかった。
夢だったのかと思い、母親は家に帰ると、布団でぼうやが眠っていた。
そうか、やっぱり夢だったのだと、そう思ったのも束の間。
眠るぼうやの顔を見て、母親は腰を抜かしてしまった。
つるっとしたおでこに、まるで何かが途中で削ぎ落されたような。
赤黒く、平らなコブが出来ておったのじゃ……。
「……鬼はの、自分の棲む所に帰るために、腹いっぱいに食べにゃならんのじゃ。本当ならの、動物や植物を食べりゃあエエんだがの。どうも、人間の血肉が御馳走のようでな。
鬼獄行はの、鬼と人間が入れ替わり続ける事で、その境目を消してしまうんだ。
そうして最期に鬼になった者が……。」
にちゃ……と、ババは皺くちゃの口元を歪めて笑みを浮かべた。
村人たちは背筋を凍らせるようにして、ぶるるっと震えた。
すると若い衆の一人が、顔を真っ青にしながらせせら笑った。
「で、でもよ。そんなの迷信じゃねぇか。」
ババはエッエッエッと声をあげて笑った。
ほとんど歯の抜けた口の中が、まるで血のようにどす黒かった。
「迷信なんかじゃあねぇよ。」
そう言って、ババは垂れた白髪をかきあげる。
「……わしも、鬼になったことがあるでの。」
露わになった皺だらけのおでこには、
まるで何かが途中で削ぎ落されたような、
赤黒い、平らなコブが出来ていた。
後日、姿を消した子供たちのうちの一人が発見された。
そしてそのおでこには……。
鬼獄行 ―終わり―
鬼獄行 長船 改 @kai_osafune
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