おやき食エスト
みつたけたつみ
笑顔の牢屋①
眠い。
ただただ、眠い。
助手席のシートを倒し、足に毛布をかけて目を閉じる。遠くのほうでかすかに聞こえるラジオの声。
耳をつんざくブレーキの音。
ああ、着いちゃった。いっそ事故ればよかったのに。
「着いたわよ、降りなさい」
シフトレバーを下げながら運転席の母が言う。言葉はおだやかでも、声は冷たい。
「ちゃんといい子にして。なるべく早く帰るから」
「別に遅くてもいいよ。そのほうがそっちも好都合でしょ?」
母があからさまに表情を変えた。
いつからだろう。私が座る助手席から、タバコのにおいがするようになったのは。うちの家族は誰も吸わないし、建設会社で事務をしている母が仕事で誰かを車に乗せるわけもない。
男の人を乗せている。私はそんなことも気づかないほど子どもじゃない。
「
名前を呼ばれても無視して、車から飛び降りてドアを思い切りよく閉める。リュックと毛布を手にして。
赤い車がジャリを踏みながら外に出ると、水色のポロシャツを着たおじさんが黒い鉄格子を横に引く。金属がきしむ耳ざわりな音とともに閉じられた。
私は何も言わず、ただ目の前の建物のほうを向く。
真新しいペンキのにおいが鼻をつく建物には、NAGALANDという横書きの看板が立てかけられている。
ナガランド。JR長野駅の東口から徒歩5分、廃校になった小学校を再利用してオープンしたばかりの、長野市中の学校に行けない子どもたちが集まってくるフリースクールだ。
玄関をくぐり、ズックにはきかえる。体育館から聞こえる足音とキンキンした笑い声から顔をそむけながら。
「おはようございます、小林さんさん!」
顔の筋肉を力いっぱい使って笑う職員たちに出むかえられる。引きつった笑顔はどれもお面のようにそっくりで見分けがつかない。
有名な野球選手から送られてきたグローブが三つかざられた受付。そのすぐ横にあるディスプレイを人差し指ではじく。何回か矢印をクリックすると
『小林 希生』
の名前が出る。それを押すと今度は『入所』『退所』の二つが表示されるので『入所』を押す。
すでに何人かの子が私より先に来ていて、体育館で飛び回ったり保ってきたゲームで遊んでいる。
ナガランドに決まったカリキュラムはない。午前九時の入所から午後三時の退所まで何をしてもいい、自由な空間なんですよ! と見学で案内してくれた施設長だという大人の人が説明してくれた。
だから私は、何もしない。
らせん階段を上がり、南向きの窓の下で毛布を広げ、頭からかぶる。
窓の外には、施設をぐるりと取り囲む灰色の壁。二階建ての建物よりなお高い。時間が来るまで、その向こう側に行けることはない。
鼻で笑ってしまう。こんな場所の、どこが自由なんだか。
ここは笑顔の大人どもに閉じこめられた子どもたちの牢屋だ。
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