第29話 最後の晩餐 ①

門司港の夕暮れ、街全体が黄金色に染まり、静かな海がその輝きを反射する頃、港の風景はまるで一枚の絵画のように美しかった。石畳の道を歩く人々の足音が微かに響き、古い洋館の窓から漏れる灯りが心地よい温もりを感じさせる。そんな中、一つの家にだけ、深い悲しみが漂っていた。


フレンチレストラン「ラ・ルミエール」のオーナーシェフ、谷村正彦はその夜、彼の自宅のキッチンで静かに息を引き取った。彼が残した最後の料理、「関門海峡タコとカブのヴァンブランソース」は、まるで彼の人生の総決算のように、完璧に盛り付けられていた。その料理が置かれたテーブルの横で、正彦の冷たい体を見つめる彼の妻、美咲の瞳には、悲しみとともに深い苦悩の色が宿っていた。


翌朝、三田村香織と藤田涼介は、依頼の電話を受けて現場へ向かう準備をしていた。探偵事務所には、コーヒーの香りが漂い、朝の静かな時間が流れていた。涼介は香織に、昨日の電話の内容を思い出させるように話しかけた。


「美咲さん、かなり動揺していたな。彼女の話を聞く限り、単なる事故や自殺ではないかもしれない。」


「そうね。でもまずは現場を見て、詳細を確認する必要があるわ。」香織は冷静な表情で答えた。


美咲の家に到着すると、彼らはすぐに彼女に案内され、キッチンに入った。そこには、まるで時間が止まったかのように、最後の料理が美しく整えられていた。香織はその料理に近づき、しばらくの間じっと見つめた。


「関門海峡タコとカブのヴァンブランソース…」香織は静かに呟いた。「これが彼の最後の作品なのね。」


美咲は涙をこらえながら、震える声で言った。「はい。正彦はこの料理に全てを込めたように見えました。でも、彼がこんなことをするなんて…」


涼介は家全体を見渡しながら、キッチンの隅々まで目を光らせた。「美咲さん、何か不審な点や、彼が何か言い残していたことはありませんか?」


「最近、彼は何かに悩んでいるようでした。特に、料理に対する執着が強くなっていたんです。毎晩遅くまでキッチンにこもり、試行錯誤を繰り返していました。」美咲の声には、夫に対する愛情とともに、理解しきれなかった彼の心情への困惑が混じっていた。


香織はキッチンのテーブルに置かれたノートに目を留め、それを手に取った。彼の手書きの文字がびっしりと書かれたレシピノートには、料理の技法だけでなく、正彦の内面的な葛藤や悩みが綴られていた。


「ここに何か手がかりがあるかもしれない。」香織はそう言って、ノートのページをめくり始めた。


「もうこれ以上、進化できない。自分の料理がこれ以上高みに達することはない。」香織はその一節を読み上げ、正彦の絶望感を感じ取った。


涼介は真剣な表情で美咲に向き直り、「私たちはこのノートを詳しく調べ、正彦さんの死の真相を明らかにします。どうか安心してください。」


美咲は静かに頷き、涙を拭った。「お願いします。彼が何を伝えたかったのか、それを知りたいんです。」


香織と涼介は、美咲の悲しみに応えるため、そして正彦の残したメッセージを解読するために、調査を続けることを決意した。門司港の美しい景色が広がる中、二人の探偵の物語が静かに動き出した。

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