29

 閣下がよういしてくれた部屋は、高級ホテルの一室のようなところだった。

 壁は上品な壁紙で装飾され、絵画や豪華な装飾品がかざられ――ふかふかの絨毯のうえには、あきらかに高級そうなソファや照明が配置されていた。


 私はその部屋のすみで、体育すわりをしていた。


「うぅ……」

 涙がどろどろあふれだし、嗚咽がとまらなかった。

 心はふたつの感情に支配されていた。


 ――ひとつは、姉をまもれなかった自責の念。

 ――ひとつは、ブリッツをまもれなかった自責の念。


 もし、あのとき、師匠にたちむかっていたら……。

 もし、あのとき、黒服をおしのけていけたら……。

 もし、あのとき……もし、あのとき……。


 そんな『たら』『れば』ばかりがあたまのなかをよぎる。

 反吐がでるほど私は無力だった。


「ふざけんなよ……ふざけんなよ……」

 もうなにもかもいやになってくる。いっそこのまま……。


『しあわせになってね』

 ハッ――頭のなかで、言葉が反復した。


 これは、姉のさいごの……。


『しあわせになってね』

 しあわせ……? しあわせって……。


 ぼんやりとブリッツの笑顔がうかぶ。


「ぶ、ブリッツ……」


 そ、そうだ……そうだった。


「ブリッツといっしょにいた時間……」

 警視庁の地下やゲーセンでの彼女をおもいだす。


「ブリッツとつながっていた時間……」

 公園での彼女をおもいだす。

 あの時間はまちがいなく、しあわせだった。


『しあわせになってね』


 ……。

 私は涙をぬぐい、たちあがる。

 姉からたくされた遺言――私はしあわせにならなきゃいけないんだッ!

 そう心にきめたときには、部屋からぬけだしていた。



 官邸の廊下には、見まわりの黒服がうろついていた。

 みんな、腰に刀をさし、きょろきょろと頭をうごかしている。

 私は物陰にかくれて、それが通過するのを見とどけてから、さきへとすすんだ。


 あぁ……こんなことしてて、今度こそ千瀬さんから殺されるかもしれない。

 国がブリッツをすくってくれないのなら、自分がブリッツをすくおう。

 そうおもって、とびだしたのだが、前途多難すぎた。


 まず、党首官邸(ここ)からにげだす方法――

 つぎに、ブリッツの場所をつきとめる方法――

 最後に、ブリッツをたすけだす方法――

 よくよくかんがえたら、二番目の時点からもうつんでいる。


「あぁ……どうしよ」

 そうつぶやいたとき――誰かに背をたたかれた。


 ギクッ、もしかして、みつかったか……?

 ふりむくと……。


「おッス、春姫ちゃん」

 ホムラがたっていた。

「ほ、ホムラ……」

 そのうしろには、木梨田もたっていた。

「どどど、どうしてここに?」

「千瀬にあいさつをしたかえりや」

 木梨田がこたえた。


「ところで、春姫ちゃんはなんでここにいるんッス?」

「たしか千瀬から、部屋でまっていろっていわれっとたはずやのになぁ」

 なっ、なんでしっているんだ、そのことを……。


「じ、じつはその……」

「「その……?」」

「ご、ごめんなさぁい!」

 ごまかせないとふんだ私は一直線にはしりだした。


 背から「ちょ、春姫ちゃん!」とひきとめる声がきこえてくるがムシをする。

 よし、なんとかふたりをまいて……。

 そうおもったのもつかのま。


 ドンッ!

 誰かにぶつかってしまう。


「いてて」

 尻もちをつき、顔をあげると、そこには黒服がたっていた。

 みみみ……見つかってしまった!


「おい、仁禮春姫? どういうつもりだ?」

 黒服がつめよってくる。


 ど、どうする、またにげるか……?

 でも、うしろにはホムラと木梨田がいる。


 万事休すか……。

 あきらめかけた私のよこを、ホムラがすどおりした。

 そして、黒服のまえにたつ。


「なんだ……?」

「すいません、これは閣下の命令なんッス」

「閣下って、党首閣下か?」

「はい。さきほど、閣下から春姫ちゃんを警視庁へ輸送しろとの命令があったんッス。それで、僕たちが車までおともしてたんッス」


 えっ、なんのことだ……?

 ホムラのいっていることがわからなかった。


「……証拠は?」

「証拠なんてあるわけないやろ」

 木梨田が口をはさむ。

「これは重要機密の命令やけい。いちいち証拠なんてのこしっとったら、もはや機密でもないんやないか?」


「……確認する」

 黒服が携帯をだした瞬間だった。


「えいッス!」ホムラのチョップが、黒服の首に命中した。

 ガハッと黒服がたおれる。


「えっえっ……」

 私はおどろきのあまり、ポカンとしてしまう。

 いま、なにがおこったんだ。


「……いくッスよ、春姫ちゃん」

「いっ、いくってどこに?」

「ブリッツをたすけにッ!」


 私はおもわずききかえしてしまった。

 ホムラが私のまえにしゃがみこみ、顔をちかづけてくる。

 そして、ニカッとわらった。


「……ッ!?」

 頭のなかで疑問符が氾濫する。


 どうして、このふたりがブリッツをたすけに?

 というか、このふたりは千瀬さんにさからって大丈夫なのか?


 そんななかで、一番に口からでてきた質問は、

「私を警視庁に輸送うんぬんっていうのは?」

 というものだった。


 その質問をきいた、ホムラと木梨田は顔を見あわせる。

 そして、ベェーっと舌をだしたのだった。

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