17

 浴室はなんど見ても、キレイだった。

 白を基調としたタイルの室内には、湯気がたちこめていた。浴槽にはお湯がなみなみとはられており、そこからもうもうと白い湯気がたちのぼっている。


「では、体をながすぞ」

「う……うん」


 ブリッツは泡だてたシャンプーを自分の手につけてから、私の髪をゴシゴシとこする。

「春姫の髪は、まるで絹のようだ」

「は、はぁ……どうも」


 ほめられているのか……な? なんだかよくわかんないけど。


「きめもこまかく、なめらかだ」

 そういいながら、私の頭を手でこすりあげる。


「あぁ……っ」

 なんだか、すごくくすぐったい。

 頭皮がぞくぞくして、おもわず声がでてしまう。


「なんという声をだしているんだ、春姫……」

 なんか、ひかれてしまった。


「すいません」

「べつにいいが、つぎは体をながしていいか?」

 体――私は自分の体を見おろす。

 胸、お腹、そのしたの……。

「だめぇ!」


 彼女の提案を理解し、私はおもいっきり首をよこにふる。

「なぜだ、いつも千瀬にやらせているだろう?」

 たしかに、千瀬さんに入浴をてつだってもらっている。

 ぁが、ブリッツにやってもらうとなると、ものすごくはずかしいし、顔が赤くなる。

 けれども、ブリッツはそんなおもいもしらないようで。


「ほら、朋輩に遠慮はナシだ」

 タオルにボディーソープをつけて、泡だてている。

「ちょっと、まって……」


 へっ……、


 あっ……♡


「アァッー!」


 このあとめっちゃキレイにあらわれた。



「もうお嫁にいけない……」

 私は湯船につかりながら、顔をかくすように、うつむいていた。


「まったく、なにをいっているのやら」

 となりにいたブリッツが天井をあおいでいる。

 しばらく、沈黙がながれる。

 ブリッツがなにも話題をふってこなかったこともあるが――私自身、はずかしさと緊張のあまりなにもはなせなかったのだ。


 うぅ……どんなにブリッツの裸体を見ようとも、慣れる自信がない。


「なぁ、春姫」

 声がひそやかにひびく。


「おぼえておるか、我がカフェでそなたにいったことば?」

「なんでしたっけ?」

 すこし間をおいて、ブリッツがいった。

「なんで、剣道をやめたのかと……」


 ……あぁ、そういえば、そんなこといわれたような。


「わかっておる。手がつかえぬ以上、剣をにぎることはかなわん……」

「じゃあ、なんできいたんだし……」

 私はおもわず、顔をあげた。


「……我はずっとそなたにあこがれていたんだ」

 えっ、はっ……一瞬、いわれたことが理解できず、目と口をパクパクさせてしまう。

「我は特殊な環境でそだてられてな。日々、文字どおり命がけで、心身をけずって、いきていた。娯楽といえば、週一回見ることができる新聞や雑誌だった」


 そ、そんな環境でそだってきたのか?

 だが、よくかんがえてみれば、彼女は剣においてプロレベルの実力をもち、なおかつ人をためらいなく殺せる。私たちと生育環境がちがっているのは一目瞭然だった。


「その雑誌のなかに、仁禮春姫がでていたのだ」

「……」

 それはきっと、私が中学だったころにかかれた記事だ。


 当時の私は師匠の期待にこたえるため、さまざまな場所で結果をのこしてきた。

 そのことで、世間から『天才剣道少女』ともてはやされていたのだ。

 いまとなっては、おもいだしたくもない記憶だ。


「同年代ながら、なんといさましき奮闘。まるで、鳥獣の王たる獅子のごとし。我は毎週、そなたの記事を見るのがたのしみになった。とくに印象にのこった記事はな……」


 いまのブリッツの姿はヒーローとか魔法少女とかに目をかがやかせる子どものようだった。まるで、自分のことのように私のことをかたっている。


 だが、かたりおわると同時に、もとのブリッツにもどってしまう。

「しかし、あの日からそなたは姿を消してしまった。いつのまにか、新聞や雑誌からもそなたのおもかげを見ることができなくなってしまった」


 胸がしめつけられるようだった。

 初恋も才能も栄光もうしなった、あの場面をおもいだしてしまって――


「そこで、おもったのだ。なんで、そなたは我のまえから姿を消したのだと。それが、まとはずれでまちがえていることは重々承知していた。だが、どうしてもつたえたかった」

「それで、あの台詞でてきたってわけ?」


 ――『なんで剣道をやめたんだ?』


「……あぁ、そうだ。本当は直球で『なぜ我のまえからいなくなった』といいたかったんだがな。いざとなると、ためらってしまって、まったくちがうものになってしまった」


 ブリッツはなんだか、はずかしそうだった。その顔には安心感と恐怖感がいりみだれた表情がうかんでいる。このはなしはブリッツにとって、決死の告白だったのかもしれない。


 そう、決死の告白。


「……」

 またもや、沈黙がながれる。私もブリッツもだまりこくったまんまだ。

 しばらくして。


「……そっか」


 さきに口をひらいたのは、私だった。


「私が剣道をやめたのはね、師匠のためなの」


 決死の告白には、決死の告白でかえさねば不作法というもの。

 私のありのままを告白することにした。


「いままで、師匠のために剣をにぎってきた。獅子のような奮闘とやらも、誰かにあこがれてもらうとか、誰かにたのしんでもらうとかのためじゃなくて、ぜんぶ師匠のためだったの」


 そう、『師匠』、上曾洋のため。


「私の手がこうなったのも師匠のため。師匠が私をきにいらなかったから、私の手はこうなったの」

 私がいう『師匠のため』という言葉は『師匠のせい』という言葉と同義なんだとおもう。


「は、春姫……!」


 ブリッツが、さみしげな表情になった。

「だからさ、あなたのまえから私が姿をけしたのも師匠のためなの」


 ギュッと私の手がにぎられる。手をにぎりかえせない私にとって、それは意味のないことだったが……。


「しばらくにぎらせてくれ……」


 彼女――ブリッツ・ホーホゴットの体温はたしかにつたわってきた。

「……ありがとう」

 せつないほどにあたたかい、彼女のキモチをかんじながら、瞳をとじた。

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