浮遊病

黄金かむい

第1章

第1話 ハンディキャップ社会

 空を飛んでいる。

 おそらく空を飛んでいる。


 そこは見渡すかぎりが水色で、そういう色の丸いカプセルの中に閉じこめられたようだ。下を見ても地面はおろか雲ひとつ見つけることはできない。太陽はどこにも見えないが、昼間のようにあたたかい光が僕をつつんでいる。


 ふいに下から大きな風が吹いて、僕の身体は帆を張ったように風に乗る。風の力によって、ぐんぐん上へと昇っていく。景色はいっさい変わらない。身体が何かに押し上げられているという感触だけが、僕の感じられるすべてだ。


 ◇ ◇ ◇


 始業のチャイムが鳴って、僕はゆっくりと目を開いた。急いで教室にかけこんでくる生徒の足音が、まどろんでいる僕の耳に入ってくる。みな急いで駆け込んでくるので、入口の近くにある僕の席にぶつかりそうになる。一人の生徒がとうとう僕のいすにぶつかって、悪態をつきながら自分の席へ帰っていった。


 やがて全員が席についた。ある者は教科書をひらき、ある者は昼寝の続きを楽しみながら、先生を待った。しかしなかなか先生は現れない。


 生徒たちが待ちかねて談笑をはじめたころ、世界史の青木あおきは髪を乱して教室に入ってきた。手にいっぱいのプリントをかかえている。


 「今日は期末試験の答案を返します」


 青木は宣言し、生徒たちはぶうぶう文句を言った。


「はい文句言わない。結果はもう出てるんだからね。あきらめて腹をくくりなさい」


 生徒たちはなおも文句を言う。文句を言いながら、出席番号順に列になって答案を受け取りにいく。答案を受け取ったとたん、天を仰ぐ人がいた。いっさい表情をかえずに自分の席に戻っていく人もいた。


 「はい、奥村おくむらくん。もう少しがんばって」


 青木が教室のいちばん後ろの席までわざわざ僕の答案を届けにきてくれた。答案には赤ペンで「55点」と書かれていた。


 「今回の最高点は95点です。おめでとう凛堂りんどうさん」


 青木が最高点をとった生徒を発表すると、僕のななめ前に座っている少女が机の下で小さくガッツポーズをした。彼女の名前は凛堂若菜。入学以来学年トップを維持し続けている秀才である。


 「さて、試験の解説をします。今回の試験範囲は21世紀から22世紀にかけての『ハンディキャップ社会のなりたち』についての問題でした。


 少し解説をすると、2018年、世界で初めて出産前の受精卵に対して遺伝子操作医療が実施され、史上初の『デザイナー・ベビー』が誕生しました。


 2020年、国連で『ヒト受精卵に対する遺伝子操作』を倫理的に問題のない医療行為と認める国際条約が採択され、わが国もその条約を批准ひじゅんしました。


 以降、わが国では先天性疾患の予防のみならず、当時流行していた新型感染症の免疫獲得などの目的で、積極的な遺伝子操作医療が実施されるようになりました。


 さらに一部の高所得者層のあいだでは、容姿や体格、運動能力の向上などの目的のために遺伝子操作医療を用いるようになりました。


 問題が発覚したのは2050年頃、『デザイナー・ベビー』として生まれた人たちが大人になって、その子どもが産まれる頃でした。


 出生した乳児のうち、身体的障がいをもつ乳児の割合が極端に高かったのです。


 多くの乳児が手や足などが欠損した状態で産まれました。また先天的な内臓疾患をもつ乳児の数も増加していました。


 さらにその次の世代になると、障がいをもって産まれてくる子どもの割合が全体の50%を占めていることがわかりました。


 その次、さらにその次の世代でもその傾向は変わらず、君たちの世代にはわが国の全人口の90%が身体に何らかの障がいをもつようになり、『ハンディキャップ社会』と呼ばれるようになりました。


 このような現象が起こった原因について、まず遺伝子操作医療が問題になりました。


 遺伝子操作によって遺伝子が致命的な傷を負って劣化する、という説がとなえられました。


 しかし、遺伝子の劣化がたった数世代で進行するとは考えにくく、そもそもなぜ『デザイナー・ベビー』の子どもに障がいが集中しているのか、専門家にも説明ができませんでした。

 

 一部の人々の間では、地球のオゾン層の破壊と2050年ごろに起こった大規模な太陽フレアの発生を関連づけて、『太陽フレアにより放出された未知の宇宙放射線が、オゾン層を通り抜けて胎児たちに影響を及ぼした』という説がまことしやかにささやかれました。


 現在この説を唱える学者は少ないですが、宇宙放射線が人体にどういう影響を及ぼすかは未知数であり、各国の保有する地球の衛星軌道上ステーションで調査が進められています」


 青木の解説は長かった。僕はうとうとしながら話を聞いていた。歴史の授業は苦手だ。教科書にびっしりと書かれた文字はちっとも頭に入ってこない。授業開始から10分後には僕は完全に寝てしまった。


 終業を告げるチャイムの音がして、僕は目を覚ました。青木は「ちゃんと復習しておいてね」と言い残して職員室へ去っていった。昼休みの時間になったので、何人かの生徒が机の上に弁当を出し始めた。それ以外の生徒は食堂へ向かった。


 僕はあくびをひとつして、食堂へ向かうため電動車いすのボタンを押した。


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