……おはよ、リール


 

 夢の中は、色彩で満ち溢れている。


 光を失った私への当てつけだろうか、なんて思ってしまう。夢なんて、ただ記憶を継ぎ接ぎで映しているだけだ。そう理解しているけど、それさえも苦しみに変わるほど、私の精神はすり減っていた。


「……今、何時だろう」


 目覚めはいつも、泥濘から闇へ落ちていく感覚だった。朝日を失った私にとって、起きている間のほうが暗い。


 それでも気丈に振る舞うのは、負けたくなかったから。魔女に瞳を奪われたことで塞ぎ込んでしまったら、私の心をも折られた証左になる。


 周囲にそう思われるのだけは、耐え難かった。


 私がベッドから身体を起こすと、飼い猫のリールが飛び乗ってくる。もぞもぞと背中をつたい、柔らかな腹を頭頂部にでんと乗せてくる。成長したせいでかなり重いけど、この重量感が心地よくもあった。


「……おはよ、リール」


 そう呟き、リールの鼻先を撫でた瞬間。


「え?」


 私の世界に、淡く光が差し込んだ。


 カーテンから差し込む朝の日差しに、飾りっけのない無機質な部屋。お母さんが天気のいい日に洗ってくれるシーツは、新品のように真っ白だ。


「な、なんで……?」


 鮮明ではない。むしろ霞んでいる。こんなにも世界は白黒だったっけ、と疑問を抱くほど色を感じられない。


 でも、それでも、見えている。飾りでしかなかった義眼がたしかに、目の前に広がる光景を捉えている。


「治った、の? いや、そんなはずは……」


 自問が口からこぼれる。

 けれど、すぐに違うと理解する。


 頭のなかで、ぼんやりとランタンの明かりが灯る。街を見下ろせる丘から、無数の橙が登っていく。そこで私は泣いていて、隣に誰かが居た。


 その瞬間、一人の女性の顔が浮かび上がる。背が低く、どこかあどけなさが残っていて、それでいて暖かい。今にもずり落ちそうな帽子と真っ黒なローブが印象的だった。


 この人は誰なんだろう。


 そう考えた途端、一筋の涙が頬を伝う。記憶のひとつひとつが洪水のように押し寄せて、脳内に溢れかえる。


「……ロアさん」


 私は立ち上がり、リールを乗せたまま外へと駆け出した。


 昨夜、布団の中で鐘の音を聞いた。それ以降、記憶に靄がかかったような感覚だった。思い出した、というよりも失ったものを取り戻した感覚。いやきっと、実際に奪われていたのだろう。


 そう思えたのは、彼女が魔女であることも思い出したからだ。


 外の景色は相変わらずモノクロに近く、本来の色を思い出すには至れない。けれど、もう自分で歩けるし、見えない何かに躓くこともない。私は一歩、また一歩と踏み出して、大空を見上げる。


 その瞬間、ふたつの影が朝を駆け抜けていった。追いかけるようにして首を巡らすと、黒いローブを纏った少女が箒で浮かんでいた。


 大好きな友人の名前が、喉まで出かかる。

 けれど、ぐっと堪える。


 彼女は何かしらの理由があって、を魔法で消す選択をしたのだ。


 でも、彼女はどこか抜けた人だから、リールの存在なんて忘れていたのかもしれない。彼女が残した魔法で、と私は繋がっているというのに。


「……素敵な魔女が居たこと、私はちゃんと覚えてますから」 


 私はリールの頭を撫でながら、魔女の背中をいつまでも見つめ続ける。

 白い朝を駆け抜けるふたつの影は、夢の中ならどう見えるのだろう。


 そんな些細なことでさえ、心の中で楽しみに変わっていった。

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