第9話 迫り来る闇


 あれから一週間が経過した。


 ルナの件は実際どうなるかと思ったが、正式あの契約は破棄され、彼女の家庭は平穏を取り戻したらしい。


 そして現在、俺はルナの両親に挨拶をするために彼女の生まれ故郷の村に向かっている。


 俺は気にしなくていいと言ったが、ルナだけではなく彼女の両親もどうしても直接会ってお礼がしたいとのことらしい。


 無碍むげにするのも悪いので、俺はそれを承諾して今に至る。


「すみません。父がまだ満足に動けなくて」

「いや、構わない。それにこうして王国の外に出るのも、悪くはない」


 王国はかなり栄えているが、こうして少し離れてみると案外俺が元いた場所に近い風景が広がっていた。


 草木に満ち溢れ、空からは太陽の光が降り注ぐ。


 どの世界でもあって、この光景に変わりはないのだな。


「そういえば、契約は破棄されたらしいが、あの魔術契約というものは絶対的な効力があるのか?」

「はい。あれは絶対遵守の契約です。互いに了承すれば、契約は絶対に履行されます」

「呪いに近いものか」


 それほど強い拘束力があるのは、もはや呪いに等しい。


 呪術などは俺の世界にもあってが、限りなく近いものだな。


「そうですね。呪いは一方的にかけることができますけどね」

「なるほどな」


 そんな話をしているうちに、俺たちは村にたどり着いた。


 王国ほど賑わっているわけではないが、それなりに人はいる。それにどこか活気付いているような感じだ。


 俺はこののどかな雰囲気が好きだった。


「アヤメさん。私の家はこちらです」

「あぁ」


 ルナの後をついていくと、大きめの家がそこにはあった。


 ここがルナの実家か。思ったよりも広いな。


「ただいまーっ! お父さん、お母さん! 帰ってきたよーっ!」

「失礼する」


 ルナが大きな声を発すると、室内からは母君と思われる人物が現れた。


「ルナ、おかえりなさい!」

「ただいま!」

「えっと……こちらの方が」


 母君は俺のことを不思議そうに見つめていた。


「アヤメだ。ルナには世話になっている」

「あなたがアヤメさんですか。この度は本当にありがとうございました」


 母君は深く丁寧に頭を下げて感謝を述べた。


「気にすることはない。当然のことをしたまで」

「なんて謙虚なお方なんでしょう。それにしてもルナってば、もしかして……?」


 彼女は俺とルナの顔を交互に見つめる。


「ちょ、ちょっとまだそんなんじゃないから!」

「?」


 そのやりとりの意味が俺には分らなかった。


 そして室内に通されると、痩せ細っている父君の姿が見えた。けれど、顔色は決して悪くはない。


 今回の件で、相当消耗したのだろう。心中お察しする。


「あなたが、今回の件を解決してくださった……?」

「アヤメだ。ルナの父君だろうか」

「そうです。この度は、本当になんとお礼を言っていいのか」

「義に従ったまでだ。それにルナには世話になっている。その礼だと思ってほしい」

「本当に、本当にありがとうございます」


 ぎゅっと俺の手を包み込んで、深く頭を下げる父君。微かに体は震えていた。


 これほど感謝されるとは思っていなかったが、やはりそれほど心労になっていたのだろうな。


「こちら、少ないですが謝礼になります」


 父君は皮袋に包んだ金を俺に渡そうとしていた。一応受け取って中身を確認すると、そこには数枚の金貨が入っていた。


 この世界の金銭の価値は知らないが、この一枚の金貨は相当価値が高そうだった。


「多すぎではないのか」

「いえ。あなたにはそれ以上のことをしていただきました。ぜひ、受け取ってください」

「そう言うのなら、頂戴しておこう。感謝する」


 あまり遠慮をしては向こうの気持ちも晴れないだろう。俺は素直に受け取ることにして、今後の生活の資金にさせてもらおう。


 その後、ぜひ食事をして行ってほしいという話になった。


 ちょうど腹も減っていたので、その提案を了承することに。


「う、美味い……!?」


 驚愕の美味さだった。この肉料理──とてつもない美味さだぞっ!?


 分厚い肉には何やらドロッとした汁がかかっている。甘さ、塩加減、そして酸味。それらが完全に調和を取っている。


 文明が違えば食文化も異なるが、まさか食もこれほどの水準なのか!?


 ここ数日はろくに飲み食いしていたなかったので、体全体に染み渡るかのようだった。


「ふふ。お口に召したのなら、良かったです」

「母君は料理の天才だ!」

「そんなに褒めてもなにも出ませんよ。ふふ」


 ルナも夢中になって食事を取っている。


 良い家庭だな。この両親あってこそ、ルナはここまで真っ直ぐ育ったのだろう。


「でね、アヤメさんはぎゅーん! って言ってシュッて斬ったの! 本当の本当に、凄かったんだから!」

「なるほど。しかし、貴族に決闘で勝つ剣士なんて、アヤメさんの剣は本当に凄まじいんだろうね。それこそ、みたいだ」

「剣聖?」


 ルナが俺の武勲を褒めちぎっている最中、俺はその『剣聖』という言葉が気になった。


「あぁ。アヤメさんは東から来たので、剣聖様を知らないかもしれませんね」

「詳しく教えて欲しい」


 父君は俺に剣聖について教えてくれる。


「剣聖とは剣を極めた剣士のことですよ」

「なんと! この世界であっても、剣に優れた人物が残っていると?」

「えぇ。魔術至上主義の世界ではありますが、剣士が絶滅したわけではありませんから」

「して、その剣聖とやらは何処に?」

「確かアルカディア大森林の奥で道場を開いているらしいですが」

「良し。では自分はそちらに向かうことにしよう」


 俺は意気揚々と立ち上がって、その剣聖とやらに会いにいくことにした。


 この魔術至上世界で生き残っている剣術。おそらく、かなりの実力者であることは変わりない。


 俺も過去は剣豪と呼ばれていたが、自分と同格の剣士がいるかもしれないと思うだけで、心が躍る。


「食事、本当に美味だった」

「いえいえ。アヤメさん、この度はありがとうございました」

「改めて、本当にありがとうございました。アヤメさんのおかげで私たちは救われました」


 ルナの両親が改めて感謝を伝えてくるが、悪い気分ではなかった。自分の剣で救える人がこの世界にもいて良かった。


「サムライとして当然のことだ。ルナも今までありがとう。ここまで非常に助かった」


 俺は扉を開けて出て行こうとすると、ルナが俺の腕を軽く掴んでくる。


「あ、あのっ!」

「どうした?」


 ルナの瞳には強い覚悟が宿っているような気がした。


「私もついて行ったらダメですかっ!?」

「別に構わないが、良いのか。ルナにはやるべきことがあるのではないか」

「それは……」


 チラッとルナは背後の両親に視線を送る。先ほどの食事の席で、両親の仕事を手伝うという話は聞いていたからだ。


「ルナ。行ってきなさい」

「アヤメさん。もしよければ、連れていってあげてくださいませんか」

「俺も困ることはないが、良いだろうのか」

「えぇ。若いうちは、色々なところへ旅に行くのも大切です。それにうちの娘は家事全般は基本的になんでもできます。使ってやってください」

「うむ。了承した」


 父君の目は本気だった。伊達や酔狂で大切な娘を預けるわけではない。


 旅は道連れ、世は情け。剣を極める道に、仲間がいることも悪くはない。


「では、失礼する」

「お父さん、お母さん。ありがとう! 行ってくるね!」


 そして俺たちは、剣聖とやらに会うためにアルカディア大森林へと向かうのだった。



 †



《三人称視点》


「カーター家の嫡子が剣士に敗北したとか」

「えぇ? 何よそれ」

「剣士に敗北……? そんなことがあって良いのか」

「剣聖か?」

「どうやら、東から来た剣士らしい」


 円卓に集う五人の魔術師たち。


 男性四名、女性一名。それぞれ非常に整った身なりをしており、全員が公爵家の当主である。


 それぞれ基本属性に特化した五つの公爵家のことをこう呼ぶ──魔術五属家エレメンツと。


「魔術師が剣士に負ける。魔術師の地位が揺らぎかねないわ」

「実際、かなりの問題だろう」

「その剣士、どうするの?」

「実力を測るべきだ」

「でも、魔術師団入り予定だったエリックを倒しているのよね。並みの魔術師じゃ、返り討ちに合うんじゃない?」


 その会話にある案が提示される。


「では、うちから精鋭を出しましょうか」


 メガネをかけた長髪の薄い青髪の男性──グレイス家の当主が口を開いた。


「あら。いいの?」

「えぇ。ちょうど実験的に試したいことありまして。実は娘もその精鋭たちに参加させようかなと」

「リアナちゃんね。彼女ほどの実力者がいれば、大丈夫そうね」

「では、また進捗があれば報告しましょう」


 魔術五属家エレメンツによる定例会議はここで打ち切られることになった。


 五人がそれぞれ帰路へとつく中、グレイス家当主の前に一人の男性が現れる。それは長男のグレア=グレイスである。背後にピッタリと寄り添いながら、歩みを進めていく。


「父上。お疲れ様です」

「カーター家の件、耳にしているな?」

「はい」

「このままでは貴族の立場が揺らぎかねない。氷霜隊ひょうそうたいを率いて、その剣士の実力の真偽を確かめろ」

「分かりました。その剣士──別にしまっても構わないでしょうか」

「もちろんだ。生死は問わない。魔術至上世界マギアヘイムを揺らがせるようなら、処分しろ」

「仰せのままに、父上」

「カーター家の息子の程度は知れている。無言魔術師フローレスとして、その剣士に上には上がいることを示せ」

「はい。もちろんです」


 恭しく頭を下げる息子だが、その表情かおいびつに笑っていた。まるでこれから始まる狩りを楽しみにしているかのように。


 魔術至上世界マギアヘイムに魔術師よりも優れた存在は必要ない。それはもはや、貴族にとって語るまでもない常識だった。

 

 魔術至上主義の中で生まれた深い闇が──アヤメに襲い掛かろうとしていた。


 

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