第12話「侵入者排除と祝祭の焚き火」

風が吹いた。

 冷たい湿気を帯びた風が森を撫で、木の葉をざわめかせる。

 それだけで、俺には気づけた。


「……人間だ」


 声は低く、静かで、怒りも焦りもなく落ち着いていた。

 しかしその目は鋭く光り、獣よりも正確に標的を捕えていた。


 この森に、また侵入者が来た。


 冒険者だろう。

 あるいは捜索隊か、王国の残党か。

 誰でも同じ。


 “俺たちの世界を壊しに来た異物”だ。



 焚き火の向こう。

 仲間の影は今日も揺れている。


「また来たのか」

「しつこいな」

「排除したほうがいい」

「私たちを守って」


 幻覚の声は穏やかで優しいのに、内容は残酷だ。

 俺はそれを当然のように受け入れる。


「そうだな。あいつら、ここを乱すのはよくないよな」


 “ここ”は森。

 “乱す”とは、俺に関わること。


 それだけで“敵”と認識される。


 俺は剣を持って立ち上がる。

 ゆっくりと、焚き火の光に背を向けながら。


「すぐ戻るよ。みんなの晩餐の時間までには片づける」


 声は人間そのもの。

 だが、意味は完全に人間ではなかった。


 影たちの声が重なる。


「がんばって」

「楽しんできて」

「あなたなら大丈夫」

「待ってるから」


 まるで家族に見送られて仕事へ向かう男のように、俺は歩き出した。



 獲物――いや、“侵入者”――の位置は正確に分かる。

 血の匂いではなく、魔力と足跡と呼吸の音で。


 二人。

 若い冒険者。

 恐怖の息遣い。

 彼らは迷っている。

 俺を探しているつもりはない。

 森の異常に怯えて道を求めている。


 昔の俺なら助けただろう。

 昔の俺なら声をかけただろう。


 今の俺は――違う。


「悪いな。今日は……帰ってもらう」


 低い声を発した瞬間、地面を踏み込む。


 視界が伸び、音が鮮明になり、筋肉が熱くなる。

 皮膚が硬質化し、骨が強張り、爪がわずかに伸びる。


 “変形”が起こる。


 今回は――戻らない。


 数秒経っても、皮膚は金属めいた光沢を保ち、骨の軋みが止まらない。


 それでも痛くない。

 むしろ心地よい。


「いいな……もっと変わっていく」


 そう呟いたとき、冒険者が俺を見つけた。


「ひ、人だ……! 何を――」


「大丈夫だ。すぐ終わる」


 落ち着いた声で言いながら、刃を横に掃く。


 返り血が舞う。

 それは炎の光を浴びて――美しかった。


「助けて――ッ」


「心配しなくていい。すぐに痛みは無くなる」


 優しい声で、優しい顔で、喉を裂く。


 もう一人は恐怖で腰を抜かし、這って逃げようとする。


「逃げなくていいよ。俺は怒ってない」


 言葉の意味は優しさなのに、行動は殺戮そのもの。


 刃が肉を割き、骨を断ち、森が静かになった。



 死体を前に、俺は思考する。


「人間って……やっぱり脆いな。

 すぐ壊れるし、すぐ逃げるし、すぐ死ぬ」


 その言葉には嫌悪も嘆きもない。

 ただの“観察記録”のようだった。


「魔物の方が、よっぽど仲間に向いてる」


 この発言は、森に入ってから初めて“はっきり”口に出た。


 否定の感情は湧かない。

 むしろ正しさの確信があった。


 仲間の幻覚の声が返す。


「正しいよ」

「その考えでいい」

「世界を選びなよ」

「人間より、強い側に」


 その肯定が脳へ直接注ぎ込まれ、陶酔が走る。



 焚き火の元へ戻る。

 影たちが待っている。


「おかえり」

「よくやった」

「ありがとう」

「大好きだよ」


 それらの声に包まれながら、俺は死体を解体する。

 丁寧に、綺麗に、それは美術作品のような手際で。


 骨から肉を剥ぎ、脂肪を切り分け、臓器を取捨選択する。


 魔物と違い、人間の肉はここでは“食わない”。

 ただ燃やす。


 ――焚き火への“供物”。


 火にくべ、灰へと変える。


「俺たちの世界を守ってくれて……ありがとう」


 言葉は死者に向けられている。

 内容は、謝意ではなく“排除の正当化”だ。



 儀式のような焚き火の時間が始まる。


 魔物の肉が焼ける。

 黒鉄狼の骨が装飾のように焚き火の周りに並ぶ。

 火の周囲には仲間4人の“席」があり、そのさらに外側に魔物の“席”が増えている。


 人間ではなく、魔物を仲間の外郭として扱い始めている。


 俺は肉を切り分け、席へ置く。


「今日はみんなで祝おう。

 俺が変われた記念だ」


 楽しげで、平和な声。

 中身は狂気そのもの。


「もっと変わっていいんだよな?」


 幻覚の声が返す。


「もちろん」

「変化は進化だ」

「強くなれ」

「世界を守れ」


 守る“世界”とは――

 森と、焚き火と、仲間の影と、魔物と、狩りと、殺戮、幸福。


 それ以外の全部が“敵”。



「終わらない旅を続けよう」


 俺は肉を噛みしめながら言った。


 手はまだ変形の名残で硬質化し、爪の形も人間ではない。

 しかし俺は気にしない。

 いや――むしろ誇らしい。


「変われば変わるほど、俺はみんなを守れる。

 だから変わり続ける」


 仲間の影が微笑む。

 魔物の影が寄り添う。

 焚き火が祝祭の灯火のように揺れる。


「外の奴らに邪魔はさせない。

 ここは俺たちだけの世界だ」


 その宣言は、もはや誓いだった。


 世界を敵に回す覚悟ではなく、

 世界を“排除対象”と見なす思想。



 火が小さくなり、影が薄れ、夜が深くなる。


 眠る直前、俺は誰に向けるでもなく呟いた。


「次はどんな身体になれるだろうな……」


 期待に震えた声。

 まるで成長を楽しみにする子どものように。


 人間の言語で、

 人外の感情で、

幸福な狂気で。


 森の夜は静かに、穏やかに――壊れていく。

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