第12話「侵入者排除と祝祭の焚き火」
風が吹いた。
冷たい湿気を帯びた風が森を撫で、木の葉をざわめかせる。
それだけで、俺には気づけた。
「……人間だ」
声は低く、静かで、怒りも焦りもなく落ち着いていた。
しかしその目は鋭く光り、獣よりも正確に標的を捕えていた。
この森に、また侵入者が来た。
冒険者だろう。
あるいは捜索隊か、王国の残党か。
誰でも同じ。
“俺たちの世界を壊しに来た異物”だ。
◆
焚き火の向こう。
仲間の影は今日も揺れている。
「また来たのか」
「しつこいな」
「排除したほうがいい」
「私たちを守って」
幻覚の声は穏やかで優しいのに、内容は残酷だ。
俺はそれを当然のように受け入れる。
「そうだな。あいつら、ここを乱すのはよくないよな」
“ここ”は森。
“乱す”とは、俺に関わること。
それだけで“敵”と認識される。
俺は剣を持って立ち上がる。
ゆっくりと、焚き火の光に背を向けながら。
「すぐ戻るよ。みんなの晩餐の時間までには片づける」
声は人間そのもの。
だが、意味は完全に人間ではなかった。
影たちの声が重なる。
「がんばって」
「楽しんできて」
「あなたなら大丈夫」
「待ってるから」
まるで家族に見送られて仕事へ向かう男のように、俺は歩き出した。
◆
獲物――いや、“侵入者”――の位置は正確に分かる。
血の匂いではなく、魔力と足跡と呼吸の音で。
二人。
若い冒険者。
恐怖の息遣い。
彼らは迷っている。
俺を探しているつもりはない。
森の異常に怯えて道を求めている。
昔の俺なら助けただろう。
昔の俺なら声をかけただろう。
今の俺は――違う。
「悪いな。今日は……帰ってもらう」
低い声を発した瞬間、地面を踏み込む。
視界が伸び、音が鮮明になり、筋肉が熱くなる。
皮膚が硬質化し、骨が強張り、爪がわずかに伸びる。
“変形”が起こる。
今回は――戻らない。
数秒経っても、皮膚は金属めいた光沢を保ち、骨の軋みが止まらない。
それでも痛くない。
むしろ心地よい。
「いいな……もっと変わっていく」
そう呟いたとき、冒険者が俺を見つけた。
「ひ、人だ……! 何を――」
「大丈夫だ。すぐ終わる」
落ち着いた声で言いながら、刃を横に掃く。
返り血が舞う。
それは炎の光を浴びて――美しかった。
「助けて――ッ」
「心配しなくていい。すぐに痛みは無くなる」
優しい声で、優しい顔で、喉を裂く。
もう一人は恐怖で腰を抜かし、這って逃げようとする。
「逃げなくていいよ。俺は怒ってない」
言葉の意味は優しさなのに、行動は殺戮そのもの。
刃が肉を割き、骨を断ち、森が静かになった。
◆
死体を前に、俺は思考する。
「人間って……やっぱり脆いな。
すぐ壊れるし、すぐ逃げるし、すぐ死ぬ」
その言葉には嫌悪も嘆きもない。
ただの“観察記録”のようだった。
「魔物の方が、よっぽど仲間に向いてる」
この発言は、森に入ってから初めて“はっきり”口に出た。
否定の感情は湧かない。
むしろ正しさの確信があった。
仲間の幻覚の声が返す。
「正しいよ」
「その考えでいい」
「世界を選びなよ」
「人間より、強い側に」
その肯定が脳へ直接注ぎ込まれ、陶酔が走る。
◆
焚き火の元へ戻る。
影たちが待っている。
「おかえり」
「よくやった」
「ありがとう」
「大好きだよ」
それらの声に包まれながら、俺は死体を解体する。
丁寧に、綺麗に、それは美術作品のような手際で。
骨から肉を剥ぎ、脂肪を切り分け、臓器を取捨選択する。
魔物と違い、人間の肉はここでは“食わない”。
ただ燃やす。
――焚き火への“供物”。
火にくべ、灰へと変える。
「俺たちの世界を守ってくれて……ありがとう」
言葉は死者に向けられている。
内容は、謝意ではなく“排除の正当化”だ。
◆
儀式のような焚き火の時間が始まる。
魔物の肉が焼ける。
黒鉄狼の骨が装飾のように焚き火の周りに並ぶ。
火の周囲には仲間4人の“席」があり、そのさらに外側に魔物の“席”が増えている。
人間ではなく、魔物を仲間の外郭として扱い始めている。
俺は肉を切り分け、席へ置く。
「今日はみんなで祝おう。
俺が変われた記念だ」
楽しげで、平和な声。
中身は狂気そのもの。
「もっと変わっていいんだよな?」
幻覚の声が返す。
「もちろん」
「変化は進化だ」
「強くなれ」
「世界を守れ」
守る“世界”とは――
森と、焚き火と、仲間の影と、魔物と、狩りと、殺戮、幸福。
それ以外の全部が“敵”。
◆
「終わらない旅を続けよう」
俺は肉を噛みしめながら言った。
手はまだ変形の名残で硬質化し、爪の形も人間ではない。
しかし俺は気にしない。
いや――むしろ誇らしい。
「変われば変わるほど、俺はみんなを守れる。
だから変わり続ける」
仲間の影が微笑む。
魔物の影が寄り添う。
焚き火が祝祭の灯火のように揺れる。
「外の奴らに邪魔はさせない。
ここは俺たちだけの世界だ」
その宣言は、もはや誓いだった。
世界を敵に回す覚悟ではなく、
世界を“排除対象”と見なす思想。
◆
火が小さくなり、影が薄れ、夜が深くなる。
眠る直前、俺は誰に向けるでもなく呟いた。
「次はどんな身体になれるだろうな……」
期待に震えた声。
まるで成長を楽しみにする子どものように。
人間の言語で、
人外の感情で、
幸福な狂気で。
森の夜は静かに、穏やかに――壊れていく。
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