第11話「旅の地図が歪んでいく」
焚き火の火はまだ弱く暖かかった。
朝の森は静寂に満ちている。
霧が立ちこめ、木々が影絵のように並び、湿った土の匂いが満ちている。
俺は目を開け、背伸びをした。
「今日もいい日になりそうだ」
口調はいつも通り穏やかで柔らかい。
しかしその言葉は“ここに留まり続ける意思”そのものだった。
◆
焚き火の向かいに、仲間たちの影が揺れている。
その姿は曖昧でぼやけているのに、声は鮮明だ。
「今日は北へ進もう。山の方に強いやつがいる」
――カイン
「南の川沿いにも、一度戻りたいな。新しい肉が食えるぞ」
――バロウ
「魔力の濃い地点を回りたいわ。あなたの身体がもっと変化するはず」
――リュミエル
「オアシスの近くは、穏やかで……幸せだったよね。また行きたい」
――エリス
幻覚たちは“狩りルート”を提案してくる。
まるで旅を続けているかのように。
「今日は……どのルートにしようか」
俺は焚き火の前で地面に棒を走らせ、地図のような線を描いた。
森の地図なんて存在しないのに、線はどんどん複雑化し、網目になって広がっていく。
その線のひとつをなぞって、俺は笑った。
「これだな。今日はここを通る。
強い魔物がいるし、肉も美味しそうだ」
“旅の目的”が完全に歪んでいるのに、口調は平和そのもの。
◆
森の奥へ向かう途中、違和感が走った。
足跡。
冒険者のもの。
革靴の跡。
そして魔力感知の痕跡。
――人間が、この森に入ってきた。
過去の自分なら、救助に向かっただろう。
それどころか、保護し、共に帰還しようとした。
だが今の俺は、思考が違った。
「人間か……邪魔だな」
その言葉は淡々として、冷たく、感情がなかった。
「今は忙しいから、会うつもりはない」
声は穏やか。
言っている内容は、完全に“排除の思考”。
人間は“会うべき対象”ではなく
“旅 ―― 幻覚の世界 ―― 幸せを壊す可能性のある異物”へと変わった。
そこで仲間の声が重なる。
「気にするな。行こう」
「無視でいい」
「君の世界に関係ない人たちだ」
「私たちを守って。外の人は……敵じゃないけど邪魔だよ」
声が優しい。
だから疑わない。
「……あぁ。行こう」
人間の痕跡を完全に意識から切り捨てて、森の奥へ進んだ。
◆
魔物との戦闘は、もはや日常だった。
今日は
その尾が振り下ろされた瞬間、俺の身体は“勝手に”変化した。
腕がわずかに伸びる。
指が鋭くなる。
関節が逆に曲がる。
そしてすぐ戻る。
皮膚が硬質化し、骨が伸び、筋肉がねじ曲がって――
瞬きの間に“元の人間の姿”に戻っていた。
変形していた証拠はどこにもない。
だが感覚は確かに残っている。
「……たまらないな。
身体が勝手に答えてくれるって……最高だ」
狂気の言葉。
しかし声は、柔らかく幸福に満ちている。
魔物を解体し、肉を仕分ける。
筋肉、脂肪、臓器、骨――丁寧で正確な手際。
「ここの肉、最近のお気に入りだ」
仲間の声が返す。
「いいね」
「早く食べよう」
「あなたの変化につながる」
「今日も、幸せにしようね」
◆
焚き火の前に肉を並べ、仲間4人の席を整える。
「さぁ、食べよう」
その瞬間、森の奥から人間の悲鳴が聞こえた。
冒険者が魔物に襲われている。
助けに行ける距離。
走れば間に合う。
でも俺は、一口目を噛みしめながら呟いた。
「……大丈夫、俺が行かなくても“誰か”が助けるだろ」
声は人間のもの。
思想はもう人間ではない。
仲間の影が嬉しそうに揺れる。
「そうだよ」
「気にしなくていい」
「ここが君の世界だ」
「私たちを守って」
温かな肯定が心地よく全身を包む。
冒険者の悲鳴は遠のき、森は再び静かになる。
◆
焚き火の炎が揺れ、仲間の影が踊る。
俺は安心したように笑った。
「終わらない旅は楽しいな」
仲間の声が、重なる。
「終わらせないで」
「ずっと一緒に」
「変わり続けて」
「人がやめられなくても、人をやめても……どっちでもいいよ」
俺は答える。
「全部守る。それが、俺の幸せだから」
人間の言語で。
人間離れした価値観で。
優しく、狂って。
森の夜は静かに深まり、
終わらない旅は、さらに深みへ沈んでいった。
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