第7話「幻覚の団欒、そして欠落の幸福」

夜の森は静かだった。


 風が葉を揺らす音も、魔物の唸り声も、遠くで鳴く鳥の声も――

 今夜だけは何もない。

 世界が沈黙しているかのようだった。


 焚き火が爆ぜる音だけが鼓膜を刺激する。


 炎が頬を照らす。心地よい熱。

 その前に座る俺は、膝を抱えながら穏やかな表情を浮かべていた。


 ひとりのはずなのに、ひとりじゃない。


「……今日は、みんな来てくれてありがとう」


 何に感謝しているのか、自分でも曖昧。

 だが自然とその言葉が口からこぼれた。


 焚き火の向かい側には、焦げた丸太が等間隔で並んでいる。

 仲間たちが座っていた位置に――。



「カイン、座れよ。いつも通り、真ん中な」


 首がないはずの勇者カインが、影のようにそこへ腰を下ろした“気がした”。


「バロウ、お前は相変わらずでかいな。火の近くに座りすぎだ」


 半身を失った戦士バロウが豪快に笑っている“気がした”。


「リュミエル、お前はまたデザートだけ盗むのかよ。焚き火の前でやるな」


 頭のないはずの魔法使いリュミエルが眼鏡を直す仕草をする“気がした”。


「エリス、祈りの言葉はいいから、まず食え。お前胃袋だけは強いんだから」


 握り潰された聖女エリスが幸せそうに笑っている“気がした”。


 どの影も輪郭が曖昧で、実体はなく、声もない。

 だが俺の脳ははっきりと“そこにいる”と認識している。


 幻想ではない。

 幻覚でもない。

 錯覚でもない。


 ――俺にとっては現実だ。



「今日の食事は……狼だ。黒鉄狼。森の王。美味かったぞ」


 仲間たちに報告するように、俺は楽しげに語った。


「なぁカイン、覚えてるか? 俺たち、旅の初日にさ……

 “勇者パーティなんだから、最初の獲物くらい豪華な肉がいいだろ!”って言って

 野犬を狩りに行って、結局ひどい味だったよな」


 焚き火越しに、カインの影が笑った気がする。


 俺は続ける。


「だから、今日はリベンジだ。

 安い獣の肉じゃなくて、立派なやつを食べよう。

 俺たち……強くなったよな」


 肉を焼きながら、言葉が自然に流れる。


「カインは最初は何もできなかったけど、すぐにみんなを引っ張る勇者になった。

 バロウは喧嘩ばっかりだったのに、仲間思いの盾になった。

 リュミエルは皮肉屋だったけど、本当は優しくて努力家だった。

 エリスは泣き虫なのに、誰よりも人を助けようとした。」


 言いながら、俺は気づいていた。


 本当は――


 全員、もういない。



 それでも語り続けた。


「俺もさ……変わったよ」


 その言葉に、影たちが耳を傾けている気配を感じた。


「俺は今、すごく強くなってる。

 前より速いし、前より鋭いし、前より頭が冴えてる。

 もう、誰にも負けない。

 もう、誰も失わない。

 いや――“失わされない”って言うべきかな」


 穏やかな笑み。

 優しい声。

 冷たすぎる内容。


「みんなは死んだ。でも……俺の中にいる。

 だから俺は強くなれる。

 だから俺は……壊れていいんだ」


 その瞬間、影たちの表情が優しく歪んだ“ような気がした”。



 風が吹いて焚き火が揺れる。

 炎が歪み、伸び、影が揺れた。


 カインが肩を叩いた気がする。

 バロウが肉を食いちぎった気がする。

 リュミエルがため息をついた気がする。

 エリスが涙を流した気がする。


 すべて“気がする”なのに、俺の心は満たされた。


「……一緒にいるって、いいな」


 声が震えた。

 泣いているわけでも、笑っているわけでもない。

 ただ、感情が溢れて声が揺れた。


「俺さ……死んだ時より、今の方が幸せかもしれない」


 完全に狂った言葉。

 しかし、口調は静かで優しい。


「だって、みんなと……まだ旅ができてるんだから」


 焚き火が消えかける。

 影が薄れていく。

 仲間たちは沈むように消えていく。


 俺だけが、そこに取り残される。



 闇の中で、俺は独り笑った。


 誰もいない。

 誰もいなかった。


 でも俺は、言葉を落ち着いた声で漏らす。


「また明日も集まろうな。

 ずっと一緒だ。

 誰も奪わせない。

 奪われたら……俺が世界ごと殺す。」


 言葉は人間のもの。

 中身は、絶望と幸福と狂気の混ざり物。


「おやすみ、みんな」


 そう言って目を閉じる。


 ――静寂。

 ――孤独。

 ――幸福。


 その三つが矛盾なく混ざり合う夜が、ゆっくりと更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る