泉井夏風ファンタジー掌編集

泉井夏風

帰還の剣

統一歴、八六三年。風の月。

鉱掘人の鍛冶工房に鎚音が響く。

鋼は鍛えられ、刃となった。


都市の細工師の工房に運ばれた新たな刃。

金と銀とで柄に精緻な白鷺が刻まれる。

大鴉の国は湖沼の伯爵家の紋章だ。


御用商人が伯爵家の城館へ納品に現れる。

「ご注文品の出来栄えは最高にございます」

鞘から抜いた伯爵は満足げに笑った。


殊更立派な長剣は嫡子の成人祝の品だった。

貴族の青年は喜び、剣術稽古にも熱が入る。

もうじき初陣だ、馬上で輝くことだろう。


統一歴、八六三年。花の月。

予期されていた通りの隣国との小さな戦。

青年は意気揚々と小部隊の指揮を執る。


大鴉の国は敗北、とはいえ所詮小競り合い。

大した被害もなく双方軍を退く。

初陣を勝利で飾れず、青年は唇を噛んだ。


統一歴、八六四年。葡萄の月。

湖沼の伯爵領近くで大きな会戦があった。

此度の戦、負けるわけにはいかない。


具足を纏った青年は騎馬分隊の長を拝命。

見事な剣を抜き放ち、騎士たちを激励。

崩れた敵陣の一角目掛けて突撃する精鋭。


嵌まる陥穽、上がる歓声。

誘い込まれた騎馬隊は包囲され足を止めた。

狡猾な傭兵隊長のお手柄と言える。


「さすがお貴族様の佩刀は違いますな」

人質の青年は自慢の剣を奪われた。

結局一度も人を斬ることはなく。


統一歴、八六五年。霜の月。

傭兵隊長は苦い表情で剣の鞘を撫でた。

白鷺の紋章は一部が削り取られている。


「その悪魔はそんなにヤバいんですかい?」

青褪める部下に対して舌打ちをひとつ。

何が星夜の悪魔だ仰々しい。


そんな二つ名を持つ傭兵がいるそうだ。

傭兵団同士の紳士協定あっての傭兵稼業。

仁義通さず殺し過ぎる狂犬はお呼びでない。


「悪魔だ! 星夜の悪魔が出たぞ!!」

押し通る戦場、哀れな傭兵死屍累々。

我先にと逃げ出す金で雇われた兵士たち。


命あっての物種、金の分だけ働けば良し。

命を賭けて戦うほどの気概は彼らには無い。

命乞いをする傭兵隊長に無慈悲な斧が迫る。


月の光が白々照らすは屍が原。

埋葬もせず、軍は双方速やかに後退。

明日の戦に備え、死者は野晒し。


こんな夜は都会の鼠の稼ぎ時。

貧民窟の孤児たちが遠出してやってくる。

死体から金目のものを剥ぎ取るために。


悪魔の暴れた跡は宝の山と言う他ない。

鎧兜に武器に盾、よりどりみどりの大収穫。

すべては持ち帰れぬほどの大騒ぎ。


死者の濁った瞳は恨みを湛える。

少年たちの瞳は欲望に煌めく。

それを見下ろす夜空の星月。


傭兵隊長の立派な兜、首がごとり。

少年の目は剣の柄に釘付けとなる。

月光に輝く無上のお宝。


伯爵家の長剣は孤児の手に渡った。

紛れもなく今日一番の財宝がそれだ。

他の少年たちの羨望の眼差しが注がれる。


翌朝一番、孤児たちは商家の戸を叩く。

太った男が笑顔で少年たちを出迎えた。

相場を知らぬ子供から安く買い叩くために。


統一歴、八六五年。雨の月。

冒険者は街の武器屋で掘り出し物に出会う。

細工の立派な鋼の長剣がお手頃価格。


研ぎ過ぎて摩耗した相棒とはここでお別れ。

新たな相棒は新品同然の斬れ味。

お偉いさんの腰で抜かれず終いと見た。


使ってやることこそ道具の幸せ。

前の相棒もとことん使い尽くした。

この立派な長剣も喜ばせてやらないと。


冒険者の仕事は護衛に討伐、迷宮探索。

人に魔物と斬るべき敵には事欠かない。

しっかり働いてもらうとしよう。


統一歴、八六八年。草の月。

迷宮の奥で複数の命が尽きようとしていた。

冒険者の一行が竜を相手に全滅寸前。


射手は弾切れ、魔法使いも魔力切れ。

前衛の体力も底が見え、皆、火傷まみれ。

次放たれる竜の息吹には耐えられまい。


果たして、運命は覆ることなく。

残念、彼らの冒険はここで終わり。

竜は鋼に目もくれず立ち去る。


光届かぬ暗き地下迷宮は奥の底。

挑む勇者は稀も稀、辿り着くかも解らない。

由緒正しい長剣は長きの眠りへ落ちていく。


統一歴、八九一年。霜の月。

ついに現れし迷宮踏破者、栄誉の凱旋。

数々の財宝携えて、冒険者は夢を叶える。


道中拾った鋼の剣は良いものだ。

使い込まれた名刀の類い。

しかし、魔法の武器とは比べるべくもない。


柄の金銀飾りも削られた中古品。

最高峰冒険者の彼らには無用の品。

財宝のついでに商人の手へ。


鑑定士は眼鏡を外して首を傾げた。

削られているが、意匠に特徴がある。

刀身も名のある職人の手に違いない。


人伝に特徴を尋ね続けて工房が判明する。

国内随一の腕を持つ鉱掘人の作であった。

これは金儲けの匂いがするぞとほくそ笑む。


工房を訪ねた鑑定士、鉱掘人にどやされる。

「手入れを怠りすぎだ馬鹿たれが!」

迷宮帰りという説明も聞きはしない。


綺麗に研がれて輝く刃を持たされる。

曰く、どこそこの細工師のもとへ行け。

修繕費を払っていては赤字かもしれない。


身銭切る覚悟を決めた鑑定士。

指示の通りの工房へ剣を持ち込む。

老細工師は表情を曇らせた。


「儂の仕事が台無しじゃわい」

ここでも小言を小一時間。

自分のせいではないというのに。


金と銀とで蘇る美しく気高き白鷺の紋章。

これは大鴉の国は湖沼の伯爵のもの。

届ければ少なくとも元は取れるはず。


統一歴、八九一年。雪の月。

伯爵家の門を叩くは一介の鑑定士。

門前払いに途方に暮れる。


そこに当主の馬車の帰還。

声を張り上げ剣を掲げ、見覚えはと叫ぶ。

窓から顔出す伯爵の目が見開かれた。


成人祝の長剣との再会。

立派な当主となった今こそ持つに相応しい。

帰ってきたのだなと涙ぐむ。


褒美は十分、黒字に喜ぶ鑑定士。

若き日の失態、清算されたと喜ぶ伯爵。

剣は無事に本来の持ち主の手へ。


伯爵は、帰還の剣と銘を刻む。

剣は湖沼の伯爵家の宝となった。

子へ孫へ、受け継がれていく名刀。


いつしか付け加えられた伝説がある。

曰く、戦場から必ず生きて帰る剣、と。

傭兵隊長と冒険者は冥府で苦笑しただろう。

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