二十三話 ニレナとリフィーリア
廊下を早足で歩きながら、リフィーリアはグラムスから医者の見立てを聞いた。ニレナはもはや、今日明日で限界を迎えるだろうということらしい。
リフィーリアがエブローテに戻ってきて、初めて会った時から彼女はひどくやつれていた。ニレナ付きのメイドはそのままの配置にして手厚く看護させていたが、一向に生気が戻る様子はなく、もはや回復は望めないのではないかとうっすら思ってはいたのだ。
騎士団にいた頃に、風前の
———本人もそれはわかっていたのだろうな……だからこそ、残される子の行く末を危ぶんで、あのような凶行に及んだのだろうし……
リフィーリア自身の気が進まなかったのも事実だが、ニレナにとってもリフィーリアと直接関わることは精神的な負担が大きいだろうと、彼女についてはグラムスに一任して報告を受けるだけにしていた。
だからナイフを向けられたあの日以来、一度も顔を突き合わせていない。
グラムスがこうしてリフィーリアを呼びにきたのは、話せるうちに話しておきたいという、ニレナたっての願いだった。
「……」
リフィーは部屋の前で大きく息をつき、扉を柔らかくノックする。
「どうぞ」
掠れた声がそう答えた。
「ごめんなさいね、お仕事中に呼びつけてしまって。最後にどうしてもお話しがしたかったものだから」
寝台に横になっていたニレナは起きあがろうともがいていたが、もはや身を起こす力も残っていないようだ。リフィーリアは慌てて枕元に歩み寄り、制止する。
「大丈夫ですので、どうかご無理をなさらずそのままで」
思うようにならない身体に、ニレナは困ったように笑った。ただ、彼女は眼前に迫る死を既に受け入れているようで、とても静かな目をしている。本当は聡明な女性なのかもしれないと、今さらのようにリフィーリアは思った。
「リフィーリア様、あの時は本当に申し訳ありませんでした。良くしてくださったあなたにあんなものを向けるなんて、わたくしどうかしていたわ」
彼女はそう謝罪をすると、なんとか頭を下げるような仕草をした。体裁至上主義で、謝ったら負け、というような空気感のあるルギオラ貴族において、それはかなり
「……いえ、思わぬ災難ばかり起これば混乱するものです。大切な夫と娘さんを亡くして、その上病の身ともなれば、苦悩は計り知れませんから」
驚いて反射的に首を振ったリフィーリアの言葉に、ニレナは唇の端に微かに笑みを浮かべる。
「……わたくしもね、まさかこんな風に大切な夫になるなんて思いもよらなかったわ。結婚したばかりの頃はね。……家のための選択、家のための振る舞い、家のための結婚……すべては初めから寸分の狂いもなく決められた、お芝居の台本のよう……伯爵令嬢なんて随分とつまらない身分に生まれついて、わたくしって本当に運がないわって思っていたのよ」
やつれこそすれ、まさしく貴族という雰囲気の人だったから、そんなことを思っていたとは意外だった。
「笑われてしまうかもしれないけれど……わたくしね、ここに嫁いで来てあの人を見て……ようやく自分がただただ文句しか言ってなかったことに気づいたの。与えられたものを着て、与えられたものを食べて、与えられた部屋で過ごして、その与えられたものが気に入らないって不平不満を言って……そのくせ、自分ではなにもしようとしなかった。なんにもよ。自分になにかができるとさえ思っていなかったの。今思うと、我ながら信じがたいわ」
ニレナはそう苦笑する。
「でもここに来て、ディフィーの生き方を間近で見るうちに……この人と一緒に、わたくしもここで生き直そうって思ったの。伯爵令嬢ではなく、ただのニレナとしてね。たとえささやかではあっても、できることは必ずあるはずだって……わたくしがわたくし自身を見限って絶望するばかりでは、あまりにもこの生がもったいないって……不思議と生きる気力のようなものが湧いてきたのよ」
彼女は窓越しに揺れる梢をしばらく見つめ、それからリフィーに向き直った。
「追い出されたと思ったら呼び戻されて……散々振り回されたあなたには、本当に申し訳ないことで……許してほしいなんて、とても言えないけれど……それでもあの人はずっと、あなたのことを気にかけていたの。どうかそれだけは知っておいてほしくて」
思いが
「……知っています。あの人が、私も含めてどれだけ人々のことを思っていたか……どれだけ自分のすべてを、人々の笑顔のために注いでいたか……きっと今は、誰よりも私が一番わかっていると思います。私はディフィ叔父様が築いてくれたものを、なにひとつ無駄にする気はありません。その意志はこの先も、私とリュフィで継いでいきます」
リフィーリアが真っ直ぐに告げると、ニレナは花の
「ありがとう、リフィーリア様。人生の最後にあなたに出会えて、わたくしはとても幸せでした。どうぞあの子を……よろしくお願いします」
母の顔をした彼女は、不自由な身体をおして再び頭を下げる。もっと早くに腹を割って言葉を交わしていれば、また二人の関係性は違うものになっていたかもしれないと、リフィーリアは内心で悔やんでいた。それでも、すれ違ったまま終わりにならなかったことだけは救いかもしれない。
「家族と思う叔父の家族なら、彼ももう私の家族です。心配は無用ですよ」
ニレナの部屋を後にしたリフィーリアはグラムスに声をかけ、彼女に残された最後の時間を少しずつ元気になってきたリュフィゾイ少年と二人きりで過ごせるよう計らっておいた。
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