二十話 隠されたもの③

 リフィーリアは思わず眉根を寄せ、試しに記録簿を飛ばし飛ばし読んでみた。そう長くかからず、先代によって導入成功したものが古い時代には発育不全や枯れたため断念、発芽せず、などと記されているのを見つける。


 ———試験導入で使用した土地が違うからか……?いや、だが先代の時の土壌調査書によれば、エブローテ近郊はどこも似たり寄ったりの土の状態で各所にそこまで大きな違いは見られなかったはず……


 混乱しながらリフィーリアが帳面をめくっていると、アルチェが机の上に積まれた冊子に視線を向けた。


「これって執務記録?」

「ああ、そうだ。これは叔父のもので、そちらは父のものだな」

「何かおかしなところはなかった?」


 なにか糸口になるものがあるかもしれないと、リフィーリアは懸命に記憶を思い返す。


「……取り立てておかしなところはなかったと思うが……ああ、そうだ。唯一不審な点があると言えば、出納記録上では去年かなり大きな金額が動いているんだが……叔父は逐一記録を几帳面に残しているのに、それだけは計二点購入とあるばかりで項目名がなくて……一体何を購入したのかよくわからなくてな」


 アルチェは少し考えてから、


「貴重なものなら、金庫の中に入っているんじゃない?」


 そう小首を傾げる。


「私もそう思って見てみたんだが、それらしいものは入っていなくてな……一応、見てみるかい?」

「……ねぇリフィー、私は危害を加える気はまったくないからいいけど、他の人にそういうことを簡単に許しちゃ駄目だよ? たとえ仲の良い使用人とか、ルーオンさんとかでもだよ? 世の中にはそういう大事なものを狙ってくる人もいるんだからね?」


 心配そうな表情を浮かべた彼女に諭されてしまった。互いの年齢を思えばまるであべこべだな、と内心おかしくなる。


「他のやつなんかに見せたりはしないさ。なにせ用心に関しては、騎士団で隊長に散々叩き込まれたからな。君だからこそ見せるんだ」


 リフィーリアはそう笑い飛ばすと、特殊な鍵を使って金庫の錠を開けた。しばらくその前でごそごそと中を見ていたアルチェだったが、ややあって頷きながら立ち上がる。


「……確かにそれっぽいものはないね」


 金庫の鍵をかけ直していると、背後で彼女がぶつぶつ呟きながら部屋の中を歩き回っている気配がした。


「だとすると……そうだなぁ……こういうとことか……後は……棚の向こうの壁とかにあったら、棚をずらさないといけないけど……」


 どうやら他にも隠し場所がないか探しているらしい。


「ちょっとめくるね」


 執務机側の角から暗赤色の絨毯を持ち上げて床を覗き込んでいたアルチェが、リフィーリアを手招いた。


「……あったよ」


 見れば床板が一部外れるようになっていて、その下が隠し収納になっている。


 中から出てきたのは、本が数冊。そのうちの一冊を手に取り開いてみれば、見覚えのある字が連なっている。


「……どうやら先代の日記みたいだな」


 日誌の字と同じだったからすぐにわかった。


「あ、これはダミーかな。厚みの割に軽い」


 アルチェがそう呟いて赤い一冊を開く。一見するとただの本だが、中の一部分がくり抜かれていて、物が入れられるようになっていた。


 そこに入っていたのは、手のひら大の薬入れのような小さな金属容器だ。飾りは一切なく、実用性に寄ったつくりをしている。


「……開かないな」

「これ、小さいけど錠がついてるね。たぶん、かなり小ぶりな鍵じゃないかと思うけど……」

「鍵はいくつか受け継いでいるが、そこに入るようなサイズのものはなかったと思うぞ?」


 所持している鍵をすべて出してみたが、やはりその小さな錠とはどれも合わなかった。


 リフィーリアの手元を覗き込んでいたアルチェは、ふいに何かに気づいたように顔を上げ、急ぎ足で執務室から出ていく。ややあって隣の部屋の扉が開く音がした。どうやら壁越しに聞き耳を立てている人間がいないか、確かめにいったらしい。


 ———こういうところも、少し普通とは違うよなぁ……彼女の祖父殿は一体どういうつもりで、あのような教育をしたのだか……


 戻ってきたアルチェは扉の内鍵をかけると、リフィーリアからその容器を受け取り、耳元でそっと振った。カサカサというごく軽い音が、微かに聞こえる。もしかしたら貴重な宝石か何かだろうかと考えていたリフィーリアだったが、どうやら石ではなさそうだ。


「……もしかしたら……もしかしたらねぇ……ただまぁ、開けてちゃんと確認しないことにはなんとも言えないんだけど……」


 珍しくかなり歯切れの悪い調子でアルチェは呟いている。


「入っているものに、何か心当たりが?」

「……推測に過ぎないことだから、まだちょっと口にするのは躊躇ためらわれるんだけど……でも、もし本当にそうなら……きっとリフィーの叔父さんは、ずっと先のエブローテのことまで想っていたんだね。時間はかかるかもしれないけど、もしそれが成功すればここは変わるよ。もちろんかなり長期的なものになるから、今までみたいな積極的な領地経営と両軸で、という形になるとは思うけど」


 アルチェはそこでしばらく黙った後、リフィーリアを見上げて言った。


「でも、それはあくまでも叔父さんの意志なんだよね。……リフィーは? リフィーはこの領地をどうしたい? ここでこの先なにを味わって、どんな風に生きていきたいと思っているの?」


 鮮烈な夕焼けが、真っ直ぐに問いかけてくる。


「……それは」


 リフィーリアは思わず言葉に詰まった。


「……それは、君が朝も早くから動いていたことに関係するのかい?……危険を知らせていたのに、わざわざ洞窟に入ったのも……さっき記録簿で見た、同じ作物に生じている矛盾も」


 ———私もそうだが……アルチェも何かに迷っている……?


 交錯した視線で、リフィーリアはなんとなくそれを察した。迷いをたたえた二人は、やがてどちらともなく目を逸らす。


「……リフィー、少しだけ時間をくれる?私もちょっと、考えを整理する時間がほしい」


 そう囁いたアルチェは鍵のかかった容器と本を元の場所に戻し、静かに執務室を出て行く。


 取り残されたリフィーリアの中では、少女からかけられた問いかけがずっと回り続けていた。

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