十四話 入らずの日

 その後、浄水講義は何事もなく終わり、アルチェとリフィーリアは水の司の館を後にする。

  

 仕事のためにエブローティノの館に戻るリフィーリアと別れ、アルチェは一人町へと出た。途中で市場に寄って昼食代わりに焼きチーズを食べてから、町を東に抜け、目的のレグピオン山へと向かう。

  

 空を見上げれば、少しばかり黒みがかった雲が西の方から流れてきていた。気温はほどよく歩くにはもってこいだが、朝より風が強くなってきていることを考えると、少し急いだ方がいいかもしれない。騒めく気持ちを抱え、草木が生い茂る中を急ぎ足で通り過ぎてゆくアルチェを、まるでなだめるように野花が風に揺れていた。

  

「……あれかな」

  

 町の人に聞いた通りに、ふもとから山道に入って割とすぐのあたりで、丸太造りのどっしりとした小屋が見えてくる。

  

 見回りに出ている可能性もあったが、運よく小屋の側で作業をしている人を見つけた。恐らく彼が山守りに違いない。

  

「あの、すみません。あなたが山守りさんでしょうか」

「……ああ、そうだが」

  

 振り返った灰色の髪をした男は、思いのほか若かった。アルチェよりも何歳か年上というくらいだろう。どこか朴訥ぼくとつとした雰囲気をした青年だ。

  

「初めまして。私はアルチェ・ヴィンスカーと申します。隣のリヴァルト王国から遊学に来た者で、今はエブローティノのお屋敷でお世話になっています。実はお願いがありまして」

「ああ、エブローティノの……俺は山守りのヴァスティン・ユーレスです。それでお願いとはなんでしょう?」

  

 領主の客だと認識した彼の口調が改まる。

  

「ジャルト鉱が生えているという、この山の洞窟に入りたいんです。それでもし、防毒用の装備をお持ちでしたら貸していただけないかと……」

  

 アルチェの申し出に、ヴァスティンの目が丸くなった。

  

「……いつですか?」

「できれば今日」

  

 その返答に、彼は眉根を寄せて首を振る。

  

「今日は絶対に駄目です。洞窟に近づくことはもちろん、これ以上登ることさえ許可できません」

  

 厳しい表情でそう言い切った。

  

「……なぜですか?」

「今日は新月、入らずの日です。うかつに洞窟に近づけば死にますから」

  

 物騒な言に怪訝けげんな顔になったアルチェに、ヴァスティンは説明する。

  

「隣国からいらしたならご存じなくても無理はありませんが……新月の夜はジャルト鉱が急成長します。それに伴って洞窟の入り口付近には毒煙が広がり、あの辺りは常とは比べものにならないほど危険になるんです」

「え!? そうなんですか? それは初めて聞きました……」

  

 アルチェは内心で首を傾げた。祖父からジャルト鉱についてはいくらか知識を授けられていたが、そんなことは聞いたことがなかったからだ。

  

「あまりにも危ないので、この入らずの日は俺たち山守りでさえ、昼以降はこの小屋より先には入らないことになっているんです。……一応、止むを得ない場合に洞窟内に入るための装備は確かにありますが、先代に聞いた限りではさすがに新月の日の濃度には耐えられないと……だから、今日は駄目です」

「そうですか……では、明日なら?領主様から、興味がある場所は全て見て回っていいと許可は得ているんです」

  

 そう食い下がったアルチェを、ヴァスティンは不思議そうに見つめた。

  

「……そんなに見たいものですか?宝石ではなく、毒の結晶ですよ?」

「ええ、見たいです。見て、どうしても調べなくてはならないことがあるんです」

  

 アルチェがきっぱり言い切ると、彼はややあってから頷いた。

  

「明日の昼以降であれば。ただし、俺の同行は必須です。それから洞窟内では必ず指示に従ってください」

「わかりました。どうぞよろしくお願いします、ヴァスティンさん。では、また明日」

  

 頷き返したアルチェはそう頭を下げてから、いよいよ強くなってきた風と雨雲に追い立てられるようにしてレグピオン山を後にした。

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