四話 食堂と噂話①

 日暮れどきにたどり着いたクルグスの町は、小ぶりながらもなかなか活気があった。


「カウンター席でもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないよ」


 若い女給に頷いたリフィーリアに続いて、アルチェも奥に向かう。宿屋に付属しているこの食堂はほぼ満席で、かなりの賑わいを見せていた。見たところ、旅人だけでなく地元民の姿も多い。これなら味も値段の適正さも間違いないだろう。立ち込める夕食どきのいい匂いに、空腹感がいっそう強くなった。


「何にする? アルチェ」

「お腹ぺこぺこだから、がっつりしたものがいいなぁ」

「今日もよく歩いたものな。私も肉の気分だ」


 カウンター席に並んで腰を下ろし、メニューを眺める。アルチェは貴族の友人の巻き添えで外国語をいくつか叩き込まれたため、ルギオラの文字もある程度読むことができた。とはいえ、名称を見ただけでは一体なにが出てくるのかわからないものも多い。異国にいることを噛みしめながら、アルチェはルレとかポルとかギャテのルギオラ文字の入っている料理を探した。


「それなら当店自慢の〝カルツ豚たらふくプレート〟はどうですかな?お嬢さんがた」


 カウンターの向こうで料理を盛り付けていた小太りの料理人が、人の良さそうな笑みを浮かべて口を開く。


「うちで仕入れているのは、妻の従兄弟いとこがカルツ平原で手塩にかけて育てた豚でしてね。旨味が強くてとてもジューシー。肉汁溢れるぶ厚い肉と、ぷりっぷりのソーセージが両方堪能できる上、そこの牧場の濃厚チーズをたっぷり練り込んだパンもついてくる欲張り仕様です」

「「それください!」」


 彼の誘い文句は、二人の空きっ腹を見事に打ち抜いた。


「お飲み物はどうします? 地酒なら特に〝女神の恵み〟がおすすめですね。あの肉の脂と実によく合うんですよ。あとは自家製カムスベリージュース。うちのは酸味は柔らかめで、後味が爽やかな感じです」


 視線を向けたリフィーリアにアルチェは頷く。カムスベリーなるものは初めて聞いたが、母国にないものを味わうのも旅ならではだろう。どこまでも不本意な始まりではあったが、こうなった以上、知らないものをとことん体験して帰るつもりだ。


「じゃ、それをひとつずつ」

「かしこまりました。では先にお飲み物をお出ししますね」


 彼は長く厨房に立ち続けてきたことがうかがえる無駄のない動きで酒とジュースを用意し、カウンターの向こうから渡してくれた。


「では、今日も無事に歩き通せたことに感謝して、乾杯」

「かんぱーい!」


 リフィーリアと笑みを交わし、グラスをかちりと触れ合わせる。乾杯の時にグラスを鳴らしてはいけない国もあるが、リヴァルトやルギオラでは鳴らすのが一般的だ。アルチェはなみなみとがれている透き通った黄金こがね色を見つめ、グラスから漂う嗅いだことのない香りをしっかりと吸い込んだ。軽く口に含んでみれば、予想よりはっきりとした酸味と寄り添うような甘みが鼻を抜け、後味に微かにミントのような清涼感が残る。


「おいしい! 歩き続けた体に染み渡る……!」

「気に入ったならよかった。この辺りではカムスベリーは定番でね。各家庭や店でそれぞれの味がある。……ああ、この酒もすごく旨いな」


 リフィーリアが満足そうな吐息をついた。


「それって軽酒?」

「いや、これはたぶん蒸留酒だから重酒じゃないだろうか。なにか果物の味はするが」

「そうです。そちらルペルの実を使った混成酒なので、重酒の扱いになりますね」


 通りがかった女給が愛想良く教えてくれる。


 アルチェは十六歳になったため、リヴァルト王国であればアルコール度数の低い軽酒なら飲むことができる。しかしルギオラ帝国では、飲酒も含め成人は十八歳だ。この場合、異邦人であるアルチェにはどちらが適応されるのだろうと、二人は出会った日に首を傾げることになった。


 話し合いの結果、念のため十八になるまではやめておこうということで合意している。アルチェは酒にさほど興味がなかったのと、うっかりすると同行者が未成年者の監督責任を問われかねなかったからだ。世話になっている相手が咎められるのは、さすがに心苦しい。ちなみに蒸留酒などのアルコール度数が高い重酒は、リヴァルトでもルギオラでも二十歳を過ぎてからになる。


「ねぇねぇ、リフィー。また騎士団の話を聞かせてよ」


 七日ほど旅路を共にするうちに、二人はすっかり打ち解けていた。本来であれば、子爵であり領主でもあるリフィーリアに対して、庶民のアルチェがこんな口の利き方をするのは言語道断だ。


 しかし建前上は出身階級が関係ないとされる帝国騎士団に所属していたせいか、彼女は気さくの極みだった。最初は恩人ということもあって丁寧に接していたが、〝親戚のお姉さんのところに遊びに来たつもりで気楽に〟と早々に懇願され、結局この形に落ち着いたのである。


 ———まぁグランダル卿やザンに敬語を使おうものなら、『怖気おぞけが走るからやめろ!』って言われて不敬が通常仕様だったし、私としては構わないけど……


 果たして新領主の威厳としては大丈夫だろうか、ということが少しばかり気にかかる。そうでなくとも状況が状況だけに、乗っ取り叔父様がリフィーリアにとって不利益ななにかを残していてもおかしくなかった。万が一にも恩人が舐められる原因にはなりたくないので、その時は何かしらの手を打つつもりだ。


「うん? そうだな……ああ、ファガン荒野で荒地蜥蜴バッキオ・リザードの巣の掃討をした話はしたんだったか?」


 リフィーリアは酒のグラスを揺らしながらあっけらかんと言ったが、アルチェは絶句する。


「……荒地蜥蜴バッキオ・リザード!? しかも巣!?」


 荒地蜥蜴バッキオ・リザードというのは、荒野に棲まう悪食あくじきの大蜥蜴だ。リヴァルト王国には生息しておらずアルチェは実物を見たことはないが、小さな頃に愛読していた『大陸危険生物図鑑』によると成体の全長は三メートルほど。人間でも動物でも同族でもなんでも食べる、攻撃的で異様に頑丈な大蜥蜴であるらしい。大陸各地の荒野に生息する指定危険種で、単体で遭遇しても危険度は五つ星。すなわち〝認識した瞬間に荷を捨てて全速力で逃げよ〟なのに、それが複数体存在する巣となれば到底計り知れなかった。


 そんなものを相手取るとは、大陸に轟くルギオラ帝国騎士団の名は伊達だてではないらしい。


「しかも、あの時は囮役でな。先発隊で巣に突っ込む羽目になって大変だったんだ」

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