三話 リフィーリアの事情②

 向こうの都合で追い出したくせに、ようやく騎士として身を立てた矢先に、今度は帰って来いとくる。いくらなんでも理不尽にもほどがあるといきどおったが、状況が状況だけに断ることもできなかった。


 そうして今、リフィーリアはここにいるのだ。


「そんなわけで帰郷中なんだが……どうにも気詰まりでね。長く帝都にいたから、領内がどうなっているのかよくわからないし……今さら領主になれと言われても、正直戸惑うしかない……いや、すまないね。初対面だというのに、長ったらしい愚痴ぐちを聞かせてしまって」


 リフィーリアは謝罪して話をしめたが、聞いてもらえたおかげか、いくらか気分は良くなっていた。


「いえ、とても興味深いお話でした。正直私だったら、手紙が届かなかったことにして知らん顔をしちゃうかもしれません」


 アルチェがしれっとそんなことを言ったため、思わず笑う。領民のことさえなければ、リフィーリアもそうしたいところだった。


「あの、ご実家は直系継承だと仰ってましたけど……乗っ取り叔父様にはお子様はいらっしゃらなかったんですか?リフィーリア様を追い出したくらいですから、てっきり自分の子に継がせる気満々なのかと思っていたんですが」


 叔父を不名誉かつ的確に呼んだ彼女は、そう首をかしげている。


「いや、私が領を出た後に伯爵令嬢と結婚して、子も二人もうけたらしい。ただ、詳しいことはよくわからないんだが、どうも一人は先日亡くなって、もう一人も病でかなり弱っているようなんだ。残っている子の方はまだ九歳だとかで、そうなると最低限後見人が必要になるしな」

「流行り病かなにかですかね……」


 アルチェの呟きに、リフィーリアは頷く。


「可能性はあるな。叔父は万が一自分になにかあった時のことを考えて、私が放棄した継承権を再取得できる条項を遺言に入れていたらしくて……そんなこんなで、貴族院から爵位継承許可が下りてしまったんだ。普段は審議にやたらめったら時間をかけるくせに、私の都合が悪い時だけ妙に素早くなるのは本当になぜなんだろう」


 恨めしさを隠さずに言うと、アルチェが笑い出した。


「どこの国も似たようなものなんですね。うちの国の役所も〝申請は芋虫、督促とくそくは矢のごとし〟なんて言われて、税の催促の時だけやたら早いって揶揄やゆされまくってますよ。……あ、ちなみに先代の奥様はご健在なんですか?」

「継承の諸々には関係ないから、手紙では特に触れられていなかったんだが……まぁ恐らくご存命だろうな」


 それも気が重い理由のひとつなんだが、とリフィーリアは肩をすくめる。


「正直、今さら良家の人間らしく振る舞える自信がまるでないんだ。なにしろ故郷も家ももうないと思って、ただの一兵卒として野郎どもに混じってきたからな」

「同性の方の品定めって、ひっそり厳しかったりしますもんねぇ」


 なにか思い当たるところがあるのか、アルチェもしみじみとそう頷いた。


 そもそも子爵家の娘として生きていた頃から〝お転婆てんばリフィー〟と呼ばれていた少女が、荒事の多い組織に長く在籍すればどうなるか。そんなものは火を見るより明らかだろう。貴族令嬢としてのたしなみや感性は、とっくの昔にどこかへ逃走している自覚があった。


 いつだったか上位貴族の家に護衛に入った時に、ご令嬢が一度に靴を十足ほど買い求めたのを見て、


百足ムカデか」


 と、思ってしまったくらいだ。幼い頃は活発ではあっても一応はまだで、新しい服の一着、靴の一足にも喜んだ覚えがあったが、今となっては昔の話である。正直ドレスやハイヒールより、頑丈で動きやすい靴や名のある剣の方がよほど嬉しい。


「まぁお屋敷に戻れば、おいおい感覚は戻ってくるかもしれませんし……」


 アルチェはそう慰めるように言って、話題を変えた。


「エブローテの町でしたら……ここから徒歩で七、八日くらい、ですか?」


 自国以外に興味はないと言っていた割に、近隣の地図はある程度頭に入っているらしい。


「そうだな。それくらいあれば十分だろう。サファイやクルグスの町に立ち寄るかどうかで、多少は変わってくるだろうがね」

「なるほど。あの、エブローテは領地としてはどのような感じなのでしょうか?」


 鮮やかな夕焼けの目が、興味津々でリフィーリアを見ていた。どうやら彼女は好奇心が強いようだ。


「地方の領地によくあるような、平和でのどかな田舎だよ。まぁ産業的な意味合いで言うなら、間違っても豊かな方ではないな。あまり大っぴらにはなっていないが……死の鉱脈が近くの山のひとつにある土地柄でね。作物だったら黒麦とかロロ芋とか、あとはそうだな……牧畜はそれなりに盛んで、チーズなんかの乳製品がうまい」

「……死の鉱脈って……ジャルト鉱ですか?」


 アルチェが戸惑ったような顔で聞き返す。


「そうだ。よく知っているな」


 ジャルト鉱についてはこの国では一般的な知識ではないのだが、リヴァルト王国では普通に教わるのだろうか、とリフィーリアは内心で感心した。あるいは変わり者らしい祖父殿の、教育の賜物たまものなのかもしれないが。


「うちの家がエブローテで幅をきかせるようになったのは、ジャルト鉱で汚染された水を浄化する技術を発展させ、人が住めなかった土地を住めるようにしたから、なんていう昔話も残っているくらいでね」

「……そうだったんですか」


 そう呟いて、何かを考えるように視線を床に落としたアルチェに、リフィーリアは問いかけた。


「なぁアルチェ、君に目的地がないのなら、よかったら一緒に来るかい?この国の言葉は問題なく話せるようだが、君にとっては慣れない異国の地だし……旅が初めてなら、支度したくの仕方もよくわからないだろう?私なら手慣れているから一揃い用意してあげられるし、同行してくれれば食事も宿も提供できる。エブローテまで行けば、路銀を稼ぐための仕事も何か融通できるかもしれない。これでも一応、領主だからね」


 アルチェは目をまん丸にして、こちらを見つめている。


「それは……とてもありがたいですけど……その、正直、私にしか利がないんですが……」


 そう遠慮がちに口にする彼女に、リフィーリアは首を振った。


「もちろん私にも利はあるさ。それも大いにね。何しろこの状況だから、一人で黙って歩いているといらないことばかり考えてしまうんだ。暗きに思考を浸せば、やがて人生を闇に連れ込む、なんて言うだろう?だから、道中の話し相手が欲しくてしかたなかったのさ」


 理由づけではあったが、紛れもない事実でもある。


 なんにせよ、いきなり見ず知らずの土地に放り出されてしまった彼女を、このまま放ってはおくつもりはなかった。ある意味、遺言に振り回されている同志だ。もはや他人事ひとごととは思えない。


「別に恩に思う必要はないよ。私も先人から受けた親切を、次に渡しているに過ぎない。でももし君がこの出会いを喜んでくれるのなら、いつか困っている誰かと出会った時に、無理のない範囲で助けてあげてくれ」


 アルチェのまばゆい目が真っ直ぐにリフィーリアを見つめ、ややあって彼女は頭を下げた。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、ご厄介になります」

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