二話 アルチェの受難③

「……とまぁそんなわけで、帰りにパン屋で昼食でも買おうと思っていた格好そのまま、旅立つ羽目になったんです」

  

 王城の絡みや、グランダル卿の肩書きなどは一応伏せて、アルチェは大まかな事情をリフィーリアに話し終えた。

  

「……いくらなんでも、たったこれだけの持ち物で国から出ろとは……ろくに食料も入ってないじゃないか」

  

 アルチェの鞄の中身を確認していた彼女は、思いきり顔をしかめている。

  

「あ、乾燥果物とか干し肉とか飴は、入国待ちをしていた異国の方々が哀れんで恵んでくださったものです。その水筒もですね。『もう門の外にいるし、出国した後に自分で手に入れたってことでいいだろ』って……なんの利益ももたらさない見ず知らずの他国の人間なのに、皆さん優しくしてくれてびっくりしました」

  

 アルチェが付け足した情報に、リフィーリアはいよいよ形容し難い表情を浮かべ、埃っぽい小屋の中にしばらく沈黙が満ちた。

  

「……旅支度どころか、金も食料も持たせない。正直、祖父殿の意図の理解に苦しむところだが……しかしそうか、君は今日が成人の誕生日なわけか」

「ええ。祖父から孫へ、これが最後の贈り物だそうです」

「……私は二十八年生きてきて、様々な変わった贈り物を耳にしてきたが、とんでもないものの筆頭が今塗り変わったぞ」

  

 リフィーリアの言いように、アルチェは思わず笑う。

  

「でしょうね。まぁ祖父は生前から、何かにつけて教育的指導という名の無茶振りをかましてくれていたので、私は慣れっこなんですが……でも、まさか亡くなった後もだなんてね……私、葬儀の時に言っちゃいましたよ?『もうじじ殿の無理難題に頭を悩ませることもないのかと思うと、とても寂しい』って。……まぁこれ以上、あの人らしいものもないので……たぶん今頃、草葉の陰でしてやったりって笑ってますよ、絶対」

  

 その笑みが目に浮かぶようだった。

  

「祖父殿とは仲が良かったのだな」

「そうですね。私は両親が早くに亡くなって、ほぼほぼ祖父に育ててもらったようなものなので」

  

 母は物心つく前に事故で亡くなり、もともと体があまり強くなかった父も早逝している。祖父は生涯引退せずに仕事を続けた上、アルチェのことも使用人任せにせずに、一緒に過ごす時間を確保してくれていた。正直、頭が上がらない。

  

「入国待ちをしていた人たちに聞いた限りでは、北のサジュスタンは情勢的に厳しいだろうということだったので、とにかくルギオラで旅支度たびじたくを整えようと思って出発したんですが……」

  

 関門の西にあるエゼッテ山を越えようとしたところ、サンダル履きの上、慣れない山道で足を踏み外しリフィーリアのところまで転がっていくことになった。

  

「こんなことになるとわかっていたら、大陸共通口座と決済板プレトを作って、資金を移しておくなり、換金できる石の一つや二つ身に仕込むようにしておいたんですが……まさしく後の祭りですね。まぁこれも祖父の教育的指導のひとつでしょうから……とりあえず手持ちの資金を作るために、近い町でなにか短期の仕事を探そうと思います」

  

 そう告げれば、リフィーリアは笑って頷いた。

  

「めそめそしたりせず、この先のことをもうしっかり考えているのだな。たくましくていいことだ」

  

 彼女はアルチェの鞄の中身をもとに戻しながら、ふいにぼそりと呟く。

  

「それにしても遺言か……これも何かの縁なのかもしれないな」

  

 その実感のこもった声に、アルチェは思わずリフィーリアを見上げる。話を聞いてもらっている時から、彼女からはいわゆる一般的な同情以上のものを感じていたのだが、やはりなにか事情があるらしい。

  

「もしかして、リフィーリア様も最近遺言を受け取られたのですか?」

  

 アルチェの問いに彼女は苦笑して頷くと、少し考えてからその形のいい唇を開いた。

  

「まったく運命というやつは、粋なんだか下衆げすなんだかわからんね。君は遺言に追い出されたようだが……私の方は遺言に呼び戻されて、今ここにいるのさ」

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