2.盾使いの少女

 あれから何日か歩き続け、私は朝日が昇る頃に漸く小さな村に辿り着いた。



 父の形見であるマントについたフードを深く被り、頭に生えたツノを隠して村の中を歩く。


 村では新しく綺麗な服を買い、久しぶりのまともな食事にありついた。


 城を出る時に持ち出していた金貨は幸い取られずに済み、多少の生活ができそうなぐらいはある。


 暫し休息を取っている間に気付いたが、この村の人々はどこか表情が暗い。

 服屋の店主も、酒場の店員と客も、皆普通だが少し元気がないのだ。


 何があったのかと気にしていると、近くにいた村人達の話し声が聞こえてきた。


「なぁ、そろそろ生贄を捧げないとまずいよ……」

「んなことは分かっているが、村の若い娘はもう殆ど外へ出てしまっているし、今はヤコとララぐらいしか……」

「あの子達はまだ10歳にもなっていないじゃないか! ああ、どうすれば良いのだ……きっと大蜘蛛様はもうお怒りでいらっしゃるはず。このままでは村に災いが……」


 どうやら、この村は大蜘蛛という存在に憑かれているらしい。


 魔物が村に憑き、その土地を守る見返りに生贄を要求するのは、昔からよくあることだ。

 しかしその殆どの場合が、魔物自身が私腹を肥やす為の行いであり、村を守る気など更々無い。


 話を聞く限り、今回もその手のやり口だろう。


 とは言え、私には関係のない話だ。

 さっさと村を出て———


「そのお話、詳しく聞かせてもらえませんか!?」


 村人達に突然声を掛けたのは、いかにも冒険者といった風貌の少女。


 何やら全体的にきらきらしており、盾使いのようで背中には大きな盾を背負っている。

 なお、盾もきらきらしている。


「お嬢さん、旅人かい? いいけど……倒すなんて無茶は言わないでおくれよ。これはこの村の問題だから、お嬢さんが気にする必要は……」

「アタシ、倒します! 生贄を捧げないと災いが降りかかるなんて、そんなの許せません! だってその大蜘蛛って人、ぜったい私欲にまみれてますよ!」


 大蜘蛛は人じゃない。

 恐らく巨大な蜘蛛の魔物だ。


 見たところ、彼女の持つ盾は非常に良いものだ。

 あれほど大きな盾を扱うには、それなりの力も必要だろう。

 あの少女、冒険者としてはなかなかの実力があるかもしれない。


 だが今回は相手が悪い。

 大蜘蛛は村人達に生贄の要求を出来るだけの知性がある。

 知性を持った魔物は非常に強力で、恐らく彼女の力では敵わない。

 敵わないのだが、彼女はまだ倒すつもりでいる。


「アタシ結構強いので大丈夫です! それで、大蜘蛛って人はどこにいるんですか?」


 だから人ではなく魔物だ。


 どうやら彼女は脳みそまで筋肉で出来ているような人間らしい。

 もし本当に彼女が一人で行くようならば、私もついて行くべきかもしれない。


 正直なところ、将来有望な冒険者を見殺しにするのは気が引ける。

 行く途中で引き留めて、そのまま逃げればいいのだ。


 賑やかさが気になりやってきた村の長が、やる気に満ち溢れた少女に大蜘蛛の詳細を話し始めた。


 村長によれば、大蜘蛛はホーンスパイダーという魔物であり、頭に牛のような角が生えた巨大な蜘蛛の姿をしているらしい。

 ホーンスパイダーは、このベガ村の程近くにある森の中に居座っており、生贄を捧げなければ村に災いを齎すという約束との事。


 そういえば村の名前を気にしていなかったけれど、ここがベガ村という事は、気付かないうちにアストラ王国へと来ていたようだ。


 アストラ王国であれば、もうアイテールの兵士に怯える必要は無いだろう。


「お嬢さん、本当に平気かい? 無理はしなくてもいいんだよ?」

「大丈夫です! こんな悪いこと、早く終わらせなきゃ!」


 正義感の強い子だ。

 どこか昔の自分に似ていて、少しだけ痛々しく感じてしまう。


「それでは、行ってきます!」


 少女はそう言うと、森の方向に向かってすたすたと歩き始めた。

 仕方がない。一先ず私もついて行こう。


 村の外れまでやって来た頃、少女はずっと後をついて来る私の存在に気付き、少し困ったような顔をした。


「君は~……どうしたのかな? 迷子?」

「あなたが心配だから、ついてきた。大蜘蛛の討伐はやめた方がいいよ」


 私の忠告を理解したのかしていないのか、彼女は「う~ん」と唸ってから苦笑する。


「もしかして、君も旅人さんなのかな? 小さいのに偉いね! でも、君は村に戻ってたほうがいいよ。あ……それとも、まさか君が生贄に……!?」

「イヤ、ならないよ。まだ死にたくないし」


 当然だけど、やっぱり私は彼女からかなり年下に見られているようだ。


 こう見えて彼女よりは幾らか長生きしているのだが、何せ私は背が低い。


 この少女の背格好は、ちょうどサーナと同じぐらいだろうか。

 サーナのようにスタイルが良く、笑顔が素敵だ。


 サーナ……彼女は無事だろうか。


「あの~……聞いてるかな?」

「あ、ごめん。考え事してた。それなら、私もついてくよ。魔物退治は、一人より二人いた方がいいでしょ?」


 私の提案に一瞬驚いた少女だったが、それから少し考えると笑顔で頷いた。


「そうだね! 人数多いほうが力も増えるし、いざとなったら盾使いのアタシが守ってあげる!」


 彼女の盾、見れば見るほど綺麗な盾だ。

 どこで手に入れたのだろうか?

 少し気になるけれど、それを聞けるほどの仲ではない。


 私が討伐に参加することで納得した少女は、一瞬歩き出そうとした足を止めてこちらを振り返る。


「そういえば、自己紹介まだだったね。アタシはシャーロット・ヒル。気軽にシャロって呼んでね! 君は?」

「ベリィ」

「ベリィちゃん……! フード被ってるの可愛いね。これ猫耳?」

「にゃーん」


 ツノの存在を知られるのはまずいので、咄嗟に猫耳ということで誤魔化したけれど、にゃーんとか言うものではなかった。


 少し恥ずかしい。


 それから少し歩き、ホーンスパイダーが棲む森へとやってきた。


 森の中は風に揺れる木々の葉が擦れる音で、より一層不気味さを増している。


 魔物のせいで、森の動物達葉逃げてしまったのだろう。

 虫も、鳥も、何の鳴き声も聞こえない。

 生命の気配が無い空間で、私は少し空恐ろしくなった。


 ふと横を歩くシャロのほうを見ると、彼女は特に恐れる様子もなく、魔物を探すように周囲に気を配りながら歩いていた。


 もっと怖がると思っていたけれど、凄い精神力だ。


 むしろ今は、私のほうが恐れている。

 私は恐怖心を誤魔化すように父のマントを握り、小さく深呼吸をした。


 次の瞬間、何かに足を取られた私の身体は前のめりに倒れた。


「ベリィちゃん!」


 咄嗟に受け身をとったが、身体は一瞬にして身動きが取れなくなる。


 どうやら蜘蛛の糸に拘束されたようだ。

 この一瞬で私の動きを封じるなんて、やっぱりシャロでは勝てない。


 私を拘束した魔物は近くに身を潜めていたらしく、茂みからゆっくりとその姿を現した。


 牛のような二本のツノが生えた巨大な蜘蛛の魔物、間違いなくホーンスパイダーである。


「オレの森ニ入ったナ。女、おまえガ生贄トナレ」


 片言で話す魔物に、シャロは攻撃の態勢を取る。


「待っててベリィちゃん! 直ぐに助けるから!」


 そんな必要は無い。

 私達は、さっき知り合ったばかりの他人同士。

 あの強力な魔物を前にして逃げないのはどうかしている。


 魔物は私を狙い前脚を振り下ろすが、その攻撃はシャロの盾によって防がれた。


 助ける必要は無いのに。


「シャロ、逃げたほうがいいよ」


 彼女を逃した後に、私がアレを倒せばいい。

 こんな糸の拘束ぐらい直ぐに解けるし、あの魔物も簡単に狩れる。


「逃げないよ! 友達を置いて逃げるわけないじゃん!」

「私たち友達じゃないよ。さっき知り合ったばかりだし」

「もう友達だよ! ベリィちゃん、アタシのこと心配して着いてきてくれたんでしょ? それなら、今はアタシがベリィちゃんを守らなきゃなんだよ!」


 ああ、彼女は本当に優しい子なんだ。

 知り合ったばかりで素性も分からない私なんかを、命懸けで助けようとしてくれている。


 次々と襲い来る魔物の脚、その全てをシャロは防げておらず、所々に傷を負い始めていた。


「お願い、陽光ようこうアイネクレスト!」


 シャロがそう叫んだ途端、彼女の盾は目映まばゆい光を放ち、一瞬だけ魔物の動きを封じた。


 その隙に大きな盾を力強く振い、魔物の前脚に一撃を与える。


 彼女が魔物の攻撃を避けなかったのは、この瞬間を狙っていたからだろう。


 しかし、与えた攻撃は一発のみだ。


 直ぐに魔物は動き出し、攻撃された事に怒った様子で人語ではない何かを叫んでいる。


「今ここで逃げたら、ベリィちゃんも村の人達も酷い目に遭っちゃう! だからアタシが、アタシが守るんだ!」


 恐らく、彼女の奥の手はこの隙を狙った攻撃だけだった。

 それでも尚逃げない理由は、私と村人を守る為……その正義感を、私はずっと忘れていた。


 そうだ、私は勇者になりたかった。


 幼い頃、お父様と話したことを思い出す。


「勇者、良いじゃないか。ベリィは元気いっぱいだから、沢山の人を守れる立派な勇者になれるぞ!」


 お父様は、私の勇者になりたいという夢を応援してくれていた。

 今思えば、偉大な魔王であるお父様の前で、すごく失礼な事を言っていたのだと思う。


「えへへ! でも、私がゆうしゃになったら、おとうさまと戦わなきゃいけないよね? それはいやだな~」


「大丈夫、何も勇者になったら、魔王と戦わなければならないという事はないんだ。大切な人やものを守れるなら、誰であろうと勇者になれるんだよ」


 何も、別に今更勇者になりたいわけではない。

 でも、もしも今ここでシャロと村人達を助けなかったら、きっとお父様は悲しむだろう。


「もし困っている人がいたら、ちゃんと助けてあげるんだ。それを積み重ねていけば、ベリィはきっと凄い勇者になれるぞ!」


 それなら、今やるべき事はただ一つ。


 私は糸の拘束を解くと深く被っていたフードを脱ぎ、シャロに襲い掛かる魔物を強く睨んだ。


 その瞬間、魔物は私のツノに恐れをなして硬直する。


 私はシャロの横を通り過ぎ、至近距離で魔物と対面した。


「シャロ、あなたは強いね。でも、あとは私に任せて」

「ベリィ……ちゃん?」


 私は背負っていたロードカリバーを鞘から抜き、魔物に向けて構える。


「統べろ、覇黒剣はこくけんロードカリバー!」


 お父様がやっていたように、私はロードカリバーの名を叫び、聖剣の持つ魔力を解放した。


 ロードカリバーの黒い刀身は光を放ち、直後に私の魔力と剣の魔力が繋がる感覚があった。

 聖剣の魔力は私へ、私の魔力は聖剣へと流れ、剣と身体で魔力が循環しているのが分かる。


 魔物は身の危険を察したのか、私から距離を取るように素早く後退してから糸を吐き出した。


 私は次々と向かい来る糸を剣で斬り裂き、一瞬で魔物との距離を詰める。


「アビシアス!」


 ロードカリバーは私の詠唱に応え、その刀身に深い闇を纏う。


 最後の抵抗と言わんばかりに、狂ったような叫び声を上げて暴れる魔物へ向け、私はロードカリバーを頭部から胴体にかけて斜めに突き刺した。


 魔物は直ぐに大人しくなり、その場に倒れ込む。

 剣を抜いた時、既に魔物は息絶えていた。


 それから暫く、私は自分の倒した魔物の姿を見つめていた。


 きっとシャロは、私の正体に恐れて声も出せないでいる。


 魔物は倒した。


 あとは彼女には村に戻ってもらい、それを村人達へと伝えてもらわなければならない。

 私は、もう村には戻れないから。


「ホーンスパイダーの糸、良い素材になるから、報告ついでに村に持ち帰ってあげれば?」


 シャロの返事は無い。

 それもそうか。


 魔族やこの魔物でさえ私のツノに恐怖するのだから、人族のシャロが恐れないはずがないのだ。


「私、行くね」

「待って! ベリィちゃん!」


 漸く聞こえたシャロの言葉は、私を引き止める言葉だった。

 立ち去ろうとした私は、その声に思わず踏み止まる。


「ベリィちゃん、一緒に帰ろう!」


 彼女の言葉に暫く何も返せないまま立ち止まっていた私の手を、不意にシャロが優しく握ってくる。


「糸、たくさん持ち帰らないとね!」


 その後、私達は魔物の糸を集め、二人でベガ村に戻った。

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