第7話 ジーナ、初めて肉を喰う

 ジーナは今まで肉を口にしたことがない。だから咄嗟に眉をひそめて返答したのだが、マルコはそれを見て早とちりをした。自分たちが普段魔物の肉を食べている事を知っているものだとばかり思い込んだのだ。


「あー、安心しろよ。これは魔物の肉じゃなくて昨日締めた羊だから」

「まものの、肉……!?」


 愕然とし、後退りをしそうなジーナにマルコはしまったと思う。これは知らなかった方の反応か。清廉潔白をウリにしているらしい教会の人間から見れば衝撃的な話だろう。だが、自分にも遊牧民の誇りがある。ここで「魔物を喰うなんて冗談だ」と嘘をつけば自分達の生活を否定する事になる。それは絶対にできない。たとえ彼女に恐れられ、嫌われ、逃げられても。そんな事になったら少し辛いだろうけれど。


「……ああ、そうだ。俺達は荒野の民だ。動物も魔物も狩る。魔物の肉はちゃんと捌いて火にくべれば炎が“穢れ”を浄化してくれるから食べても何の問題も無い」

「……本当に?」

「本当だ。その証拠に、俺が“穢れ”にまみれているように見えるか?」


 ジーナは目を凝らし、そして思い出す。もう自分には微かな“穢れ”は見えないのだと――――



 彼女が「神などこの世にいない」と馬の背で強く思った瞬間、荒野のあちこちに見えていた小さな“穢れ”が途端に消えた。だが中くらいの大きさまで成長した“穢れ”は引き続き見えている。彼女は厳しい修行で手に入れた聖なる力さえも失ったと知り、更なる絶望に気を失ったのだった――――



 そして今、ジーナの眼には少なくとも“穢れ”は見えない。確信は出来ないが、もしも魔物の肉を食べ続けて“穢れ”の影響を受けるなら、彼の周りで“穢れ”は常人でも見えるほどに成長しそうなものだ。ジーナはマルコの言葉が正しいように思えた。


「……見えません」

「そうだろう? 炎で浄化ができるってのは、あんたらの国で信じてるやつは少ないようだけどな。俺達は強い魔物と戦う時には火矢も使うんだぜ」

「そう、なんですか……知らなかった」


 ジーナは俯く。彼女は今まで“穢れ”を浄化できるのは聖水だけだと信じていた。ひいては、その聖水を効率的に使えるのは自分しかいないのだから、国の命運を自分ひとりで背負わなければいけないのだとすら思っていた。


 だがよくよく思い出してみると、彼女を教育した司祭達は「聖水だけが私達の希望だ」と言っていた。それは「聖水だけが浄化ができる」と同じではない。彼らは嘘はついていない。……ただ、他の方法もあると教えてくれなかっただけだ。


 今まで己のいた世界がどれだけ狭く、そして偏っていたのかと突き付けられ、ジーナは沈んだ。そんな彼女の心を知る由もないマルコは、とにかく彼女を元気づけようとする。


「ほら、腹が減ってたら気分も沈むぜ。喰えよ。美味いぞ」

「え……でも」

「ホントに羊だから安心しろって」


 司祭や聖女は肉を喰わないと知らないマルコは、串焼きの肉を無理に勧めようとする。その彼の後ろにひとりの女性が立った。


「このバカモンがぁ!」

「あてっ、何すんだよオババ!」


 オババと呼ばれた老女は、その見た目に反してキビキビと動き、左手に持った椀の中身を溢さないようにしながらも右手で拳骨をつくりマルコの頭を殴ったのだ。


「何すんだじゃないよ! こんなにやつれて体調の悪そうな子に、いきなり脂の多い肉なんか喰わせたら身体が受け付けないじゃないか! これだから独り身の男はダメなんだ」

「俺が結婚してないのは関係ないだろ!?」


 オババはマルコを一瞥して言う。


「大有りだね。赤子の世話を一通りしてから、やっと男は一人前になるのさ。言葉もしゃべれない、か弱い生き物をずっと抱いて様子を眺め、何を食べるか食べないか確認し、おしめの具合を見てやり、命の灯火が消えないように体調を気遣うだなんてやった事ないだろう」

「くっ……山羊や羊や馬の仔の面倒は見た事があるぞ……」


 小さな声でぶつぶつ言うマルコの横を通りすぎ、オババはジーナのもとに来ると椀を差し出す。


あわの粥だ。これなら食べられるかい?」

「あ、ありがとうございます。おばあ……さま?」

「オババと皆呼んでるよ」

「はい、オババ様」


 薄く微笑むジーナにオババもにっこりする。そして付け足す。


「ああ、ちょっと羊の肉も入ってるけどね。嫌ならけてお食べ」

「え」

「よーく煮込んで脂も抜けてるし、食べた方が精はつくけどさ。無理はしなくていいんだよ」

「……」


 ジーナは椀の中身を見つめた。確かに小さな肉らしきものが黄色い粟の粥の中に幾つか混ざっている。今まで彼女は肉を口にすることは教えで禁じられていた。でも、自分は神を居ないと考え、そして神から力を剥奪された身だ。もうあの狭い世界の教えなど自分には価値がない。


 それよりも、見ず知らずの自分の身体を労って粥を作ってくれたオババの気持ちの方を汲みたい、とジーナは思った。


「いただきます」


 震える指で匙を持ち、肉ごと粥を掬う。思いきって一気にぱくりと口に匙を突っ込んだ。


「…………!!」


 銀の瞳が見開かれ、囲炉裏の炎を照り返してぴかりと輝く。そのままジーナは固まった。オババはどちらの意味で驚きの表情をしているのか図りかね、思わず問う。


「どうだい?」


 ジーナはゆっくり口から匙を外し、味わってからごくりと飲み込むと、オババに顔を向けて言った。


「美味しい、です」


 そして視線をまた椀の中に戻す。


「肉って、こんなに、美味しいものだったなんて……」


 そう言うと、そこからはもう無言だった。匙で粥を掬い、口に運ぶ。


「~~~~!!」


 ちょっぴり涙目になるほど粥の旨さに感激し、そしてまた食べる。ジーナは脇目も振らずただひたすらにそれを繰り返していった。オババとマルコは呆気に取られてその様子を眺めていたが、やがてぼそりと呟く。


「今までこの、何を食べて生きていたんだい?」

「さぁ……でもろくなもんじゃなかったんだろ」

「こんなに痩せて、可哀想に」


 ジーナにひどく同情したオババはお代わりを用意し、ジーナはお腹がはち切れそうなほどに粥を食べた。


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