第3話 作者としての感想

 ようやく、長年の懸案だったテーマをひとつの物語として完成させることができました。現段階ではネットレベルでの公開にしておりますが、近く書籍としても発売に持って参りたいと思っております。


 どうしても自身の経験だけではなく実際に近しい位置にいた人物からの話を受けてのことでありますから、いくら間接話法で客観性を持たせようと試みても、話の内容のこともありまして、どうしても、厳しい書き方になってしまうのはある程度執筆前の段階では仕方ないものと思って、そこはまあしかし割り切ってやるしかないなと、そんな思いで書き始めました。

 ところが不思議なことに、物語を書いているうちに何かの回線が通じ始めたとでも言いたくなるような心境に至りましてね、確かに、対手に対して、ここでは増本さん宅の母親ということになりますけれども、彼女に対する批判的なというのを通り越して罵倒語ばかりが出てくるのかと思いきや、さほどでもなかった。まあ、批判的という言葉の範囲内にはしっかり収まっているくらいの表現は出ておりますけれども、この批判こそが最初は目的で書いていたような節もあったのですけど、気付けば、そうではなくなっていましたね。

 もちろん、それ故に温かみのある優しい文章にできているかと言うと、そんなこともないでしょう。かわいらし気なんてとんでもない。一見そう見えたとしても、それは表面ツラだけの話であることには変わりない。


 何だかんだで書いていくうちに、これは相手を攻撃するよりも、というか、主人公的な立場に立てば過去の損害に対する反撃という形になるわけですけれども、その実態はどうあれ「攻撃」目的でこの文章を書いていたはずなのに、気が付けば、そうでもなくなっていきましたね。それは、私自身の趣味人としての経験や取材対象者からの情報をもとにこの物語を執筆していく上での、私自身の変化と言ってもいい状況が発生しておりました。

 無論、私自身はそんなことを意図したわけもありませんけどね。気が付けば、親世代への批判になるはずが、適度な批判的精神をもって成長していく少年の物語へと昇華して落ち着いたように思えてなりません。


 その主人公が鉄道というツールを通して、自分自身の置かれ、また、与えられた偶然のチャンスを極限まで活かして成長していく姿。

 そこは、何とか描き切れたかなと思っております。


 増本さん宅に最後に行った場面で、大学の卒業式に行く理由を主人公の或作家が母親に対して述べた後、彼女の長男である上のお兄さんが、

「超現実主義」

という言葉を使って評価します。

 そのような言葉を出させた取材対象者も大したものですが、何と言ってもその言葉をここぞという時にビシッとそのお兄さんが出されたわけですわな。

 その前後に或作家氏と母親のやり取りがかれこれあって、彼女もまた「現実を考えなさい」とか何とか、わかりもしないでわかった口を利いていた大人のひとりであることを確認させられます。

 彼女の言う「現実」という言葉と、先ほどのお兄さんの言葉を並列して比較分析してみると、なるほど、主人公の成長というのは、とことん現実を超えて生きていく道であったのだと気づかされます。その母親は世間の狭い人間であったと度々記述が出て参りますが、その狭い、事実にももはや即さぬ「現実」もどきは言うに及ばず、彼自身が周囲からただただ与えられたものを後生大事にありがたがることなく、それで恩着せがましくも提示された「現実」さえも叩きのめして前に進む。

 そういう意味合いにおいて、そのお兄さんの述べた「超現実主義」というのは、芸術界で述べられているそれ、フランス語でいうシュールレアリズムの訳語としての意味とは必ずしも同義とは言えないが、ある意味、それと近い関係性を持った人生を、或作家というこの物語の主人公は送っていると言えましょう。

 それは言うなら、シュールというよりはむしろ「ネオリアリズム」と定義する方がよいかもしれません。ここはフランス語ではなく、英語で表記したほうがよろしいかもしれませんね。ま、この際英語かフランス語かは、さした問題ではないか。

 さすれば或作家というのは「ネオリアリスト」というべき人物である。

 それを再度日本語に還元してみれば、やはり「超現実主義」という言葉はいささか意訳感はあるものの、それ故、大いに当たっているように思われてなりません。


 孤児扱されたという少年が養護施設という場所に来て、そこで偶然担当された職員の機転によってもたらされたクサビは、その役割を予想を超えて果たし始めた。しかしながら彼の成長とともに「クビキ」のような役割も果たすようになった。ところがそれらを全体としてみたときに、それが実はクビキではなくやはり「クサビ」であったのだということに、最後に気付かされる。

 本人が寄って来た鉄道という梃子を使いつつもぎこちなく過去を回想し始める形で始まったた対談は、やがて対手への不信感を超えた怒りの発露へと変わる。

 それでも、最後は穏やかに終わる。

 ある意味予定調和の王道のような形で週末を迎えるわけですが、その行きついた先というのは、それぞれの登場人物たちにとってどんな場所だったのだろう。

 その問いには、書いた私自身今なお答えを出せておりません。


 この物語の主人公はじめ登場人物を通して、森川一郎さんと改めて時空を超えた最終戦争という名の対談に臨むことになりました。

 そもそもこれは最終戦争とは言うものの勝ち負けをどうこうするものではありませんが、気持ちとしては「勝ち」を勝ち取るべく闘って参ります。



 

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