暗殺者をやめた理由はラブコメでした

真夜ルル

出会い

 ナターシャ。

 彼女は都内の有名私立、八九寺高校に通う高校一年生の女子。小柄な身長だが、風に靡けば鷹が羽を広げたかのように大きく見えるロングの銀髪に、とても綺麗な紅色の瞳を持つ。

 外国人かもしくはハーフかは今のところまだわからないが、純日本人ではない。

 しかし現段階の調査では日本語は日本人以上に上手いことから、日本育ちだと言うことが分かる。

 容姿端麗で文武両道。

 いわゆる優等生。

 表上はそういう風になっている。

 だが、彼女の本性は暗殺者。

 いや、元暗殺者。

 日常に上手く溶け込んでいるが、かつては組織の命令に従いその身体能力と知識で様々な人間を欺いてきたと聞く。

 なにせ彼女は史上最年少の凄腕暗殺者としてまだ僕が暗殺者としての教育を受けていたころから話題になっていた。

 僕の所属する暗殺組織、詳しくは何をしているのか理解していないが、そこまで深く考える必要はないと思っている。

 ただ指示された任務をこなせばそれでいい。

 それだけを行っていれば今日も平穏に生きていけるのだから。

 僕は久保田レン、十五歳。

 暗殺者だ。

 しかも史上最年少。

 かつてはナターシャがそう呼ばれていたが、彼女は二年、いや三年まえか、そんくらいに暗殺組織を抜けて、それ以来消息が分からなくなっていた。

 だから今は僕が史上最年少の暗殺者と呼ばれている。

 凄腕と言われないのが悔しいが、まあ、そういうのはいずれ実力で示せばいい。

 それこそ今回の任務、ナターシャの暗殺依頼をこなせば僕は史上最年少の凄腕暗殺者を超えた暗殺者として尊敬されるに違いない。

 さてと、今日もナターシャの調査を進めよう——と僕は意気込んでいた。

 しっかりと計画的に暗殺プランを練るんだ。

 現役を引退したとしてもナターシャは凄腕の暗殺者だったんだから。

 そう思って朝七時に電柱の後ろに隠れ、肌寒い風に吹かれながらも、ナターシャが登校してくるのを待ち構えている時に事件は起きた。


 ナターシャの小柄な身長を補っていたはずの羽のような長い銀髪が一夜にして切り落とされていたのである。

 以前は背中を覆っていたはずの後ろ髪は、首元のうなじが少し見える程度までしか伸びていない。

 どういうことだ。

 人違いでもしたのだろうか。

 いやいや、間違えるわけないって。

 あんな特徴的な髪色をしたお隣さんなんているわけないし。

 あ、兄弟か?

 いや、今までの調査で兄弟はいないって知っているし、ないない。

「……」

 僕は電柱の後ろで変わり果てたナターシャのその後ろ姿をぼーっと見ていた。

 すると、ナターシャがくるりとこちらに振り向いた。

 その瞬間に目が合ってしまった。

 普段ならこんな失態、絶対にしないのに。

 しかし、そのおかげでナターシャの顔を見た。

 さらさらとした前髪はそこまで変化がなかった。しかし以前はもっと胸元まで伸びていた横髪は顔の輪郭に沿って綺麗に切り整えられていた。

 ナターシャは僕のことをちらりと見たのち、特に気にする素振りを見せる間もなくそのまま歩いて行ってしまった。

 その後ろ姿を僕は眺めていた。

 ただぼーっと。

 進みゆくナターシャの背中に、可愛い! 可愛い! 可愛い! ——と心の中で何度も呪文のように唱えていた。

 寒さすらも忘れてしまって。

 それからの記憶は割と曖昧になっている。

 だから、とりあえず今の自分の立場というか、何をしているのかを説明しておく。

 どういうわけか、僕は彼女——ナターシャと同じ学校に通い始め、しかも同じクラスにいたのだった。



 浅田コハシ。

 転校生としてそう名乗った。

 あの後のことを振り返ってみると僕はナターシャを見張っていた朝の時に組織に一本の電話をしていた。

 内容はいまいち覚えていないのだが、ターゲットを暗殺するためには八九寺高校に通う必要があると言っていたのは覚えている。

 ただ熱弁していたらしく十分ほど記録されていた。

 そうして次の日には高校に通えるように組織がいろいろと準備をしてくれていた。通うための住居や教材、学校の情報も本当にいろいろと。

 まるであたかも僕が事前に転校してくるのが決められていたかのような迅速な速さに改めて組織の強大さを思い知った。

 浅田コハシ。

 組織から連絡されたのは、学校では浅田コハシと名乗れとのことだった。

 しかし、今、僕は非常に後悔している。

 どうして私情に振り回されてしまったんだ!

 まるでこんなのあほな男子高校生じゃないか!

 僕は暗殺者の中でいえば身体能力が乏しいほうだから、できるだけ作戦を立てて隠密に済ませると言うのがポリシーだったというのに。

 ターゲットに目視されただけでなく転校生として同じ高校のしかも同じクラスに。

 こんなのどう考えても欲情に流され、自分で自分の首を絞めてしまった馬鹿な暗殺者だよ。

 これ以上ナターシャとは関わらないようにできるだけ目立たないでいよう。

 僕は黒板の前でそう決意した。

 それから先生からは開いている席に座ってくれと言われた。

 僕の知る先生というのはもっと鬼のような形相を常にしているような怖いやつだったり、逆に常に笑顔で人を殺すような人の心のないようなやつしか知らない。

 だからここまで優しい先生をこんなに近くで体験したのは初めてだ。

 暗殺を教わるのならこういう先生に教わりたかった。絶対共感してくれるはずだし。

 そんなことを考えながら空席をパッと探した。


 ——が。

「まじか……」

 外が見える窓側の列の後ろの方に空席はあった。

 そこは全然いい。

 そこはいいんだけど。

 僕は眉唾を飲み込みたくなるほど心の中では動揺したが、なるべく表面には出さずに席に着いた。

 そして、顔は振り向かないように眼だけでちらりと右を見る。

 銀色のショートヘアの女の子——ナターシャが隣に座っていた。

 あの先生、絶対にいい人だと思ったのに!

 一体何を考えたらこんな意味不明なことをするんだ。

 いや、もしかしたら前の電話の時に僕が余計なことを言ったりしたのか?

 くそう。わからない。

 覚えていないってのがこんなにも面倒事を引き寄せるなんて。

 ……ていうか、なんかさっきからこっち見ているし。

 これって見たほうがいいのか?

 いや、もしもこの前、電柱の裏から見てたことを覚えていられたらまずい。あまり顔を合わせないほうがいい。

 僕はカバンから教科書を取り出すふりをして、とりあえずその場を凌ごうとした。


 その時、彼女の方から獣ににらまれるかのような鋭い眼光を感じた。

 生殺与奪の権利をはく奪されたような感覚。

 今も昔もよく感じるこの感覚は。

 そう、殺気だ。

 ——もしかして僕が暗殺者として狙っていることがばれてしまったのではないか?

 そうだとしたらやばい。

 背筋から冷汗が流れるのを感じた。

 恐る恐る彼女の方を見た。

 すると——

 目の前からいきなり鋭利な物が飛んできた。

 おでこにチョンと当たっただけで痛みは感じない。

 それもそのはずだ。

 ナターシャの指がおでこにあたっているだけだから。

「なんだと思った?」

 ナターシャは無表情で言う。

「……いや、分からなかったかな?」

 どんな意図があったのかはわからない。しかし殺気を感じた僕が思ったのは——

「もしかして、ナイフだと思ったり?」

「……そんなわけないじゃん?」

「だよね」

 ニコリとも笑うことなくナターシャは言った。

 彼女の指が離れると同時に緊張が少し和らいだ。

 すると、次第に胸に何かふつふつと湧き上がってきた。

 今、僕はナターシャの顔を目の前で見た。

 そして会話をした。

 やばい。

 僕は昔から感情を表に出さないように気を付けているのだが、どういうわけかにやけが止まらなくなってしまい、思わず咳をする素振りを見せて口を隠した。

 こいつは殺さなくちゃならないターゲットなんだ。

 だから、こんなことを考えて言いわけないだろ。

「ふふ、ナズナちゃん。いきなり転校生にちょっかい出してる」

 近くの席の誰かがでそう言っているのが聞こえた。

 ナズナ。

 ナターシャの別の名前か?

 ナターシャは暗殺組織から逃げ出して追われている身だし、僕と同じように別の名前を作っていてもおかしくはない。

 試しに訊いてみるか。

 僕は再びナターシャの方を見ようとした。

 したのだが。

 どういうわけか、首が動こうとしなかった。

 いやさっきまで動いていたのにおかしいでしょ。

 僕は硬直して動けなくなってしまった。

 こんなんで果たしてターゲットを殺すことができるのか?

 僕はそう思うのだった。

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