乖離性フラットアーサー

小宮地千々

天地轟き

「――先輩、ウチVTuberで食べていこうと思うんすよ」

 人の声と食器の立てる音が賑々しい昼休みの学食で、不意にそんな言葉が平良たいら大地だいちの耳に飛びこんできた。

 返答に、少し悩む。

 ひとまず水に手を伸ばしながら考えた。

 ――笑うところかな?

 ネタ振りならば黙っていてはスベった空気にさせてしまうし、真剣に言っているのなら笑うのは失礼だ。

「ほう」

 なので何とでも取れる相槌を一つ入れて、その間に本気の度合いを図ろうと後輩を観察することにした。

 目の前にいるのは、一目でそれとわかる典型的な女オタである。

 前髪をぱっつんにした黒のツインテはインナーと前髪のメッシュにピンクが入っており、メイクは目元と唇の赤が目を引く病み系。

 ピンクを基調としたブラウスは黒いフリルマシマシで、今は机の下に隠れているスカートは太めのプリーツとフリルでやたらに飾られてボリューミーだ。

 黒地に白いクモの巣が書かれたオーバーニーソックスで絶対領域を演出し、それにあわせた丸っこい黒い靴は見ていて不安になるほど底が厚い。

 そんな上から下までをばっちり地雷系ファッションで固めておいて、口調はなぜか「~っす」系の女子。

 それが高校からの付き合いである合歓垣ねむがき寧々ねねという後輩だった。

 なお三流私大、もしくはもっと直接的に「Fラン」と世間一般で評される本学の学生らしく大地ともども頭の出来は大したものではない。

 取柄と言えば愛嬌のある性格(大地評)に十人並みの顔(元友人評)と、そんなに胸があるわけでもないのにやたらシコく見えるボディ(友人評)。

 そして文句なしに可愛らしく聞き取りやすい声くらいだ。

 つまり適性を考えれば本気で言いだしていてもなんらおかしくはない。

「――マジで?」

「マジっす」

「マジかぁ」

 IQ低めのやりとりで確認をすませたところで本題に意識を移す。

 VTuberの説明はもはや不要だろう。

 界隈のレッドオーシャンっぷりも含めて。

 その数は星ほどに、そうしてそれぞれの名前を知られているのがごくごく一部に限られるのも星とおんなじだ。

 それも一般にではなくオタク層にさえである。

 だから寧々の言葉に反対するのはたやすい。

 説得材料はそれこそ無限にそろっている。

 だがそうすることは果たして正しいのだろうか?

 他人の夢を否定する。

 それは「大卒ではある」以上になりえない最終学歴を武器に、きっと何者にもなれないとわかっていながら社会の荒波に向けて漕ぎ出していかねばならぬ我が身から出た羨望、嫉妬――ルサンチマンが動機ではなかろうか。

 我が身の卑小さを思えば、そうそう否定はできなかった。

 ――心までFランになるな。

 過剰なまでの自意識を有する誇り高き童貞である大地は自分にそう言い聞かせて、ここは後輩へエールを送ることにした。

「そうか。大変だと思うけど、頑張れよ」

 無責任に煽るのではなく、かといって否定をするのでもない、応援の気持ちを前面に出して言う。

「うっす、あざっす」

 寧々の返事はしかし拍子抜けするほど軽かった。

 ちょっと鼻白んだ気持ちでいると、慌てたように彼女は続ける。

「いや、今まで先輩には言えなかったんすけど、配信自体は前からやってて、それなりに登録者もいるんすよ」

「へえ、内容は? ゲーム系? 歌系?」

「いやメインはASMRっすね。定番の耳かきとか、あとはシチュボとか」

「あー」

 なるほど寧々の声は間違いなく魅力がある。

 それでもまぁライバルは多いだろうし、演技力のほどは知らないが、自分の魅力を理解した活動を行っている点で本気度もうかがえる。

「サムネとかは有償で頼んだイラスト使ってるんすけど、やっぱVのガワがあるともっとウケそうじゃないすか」

「なるほど、よく考えてると思うわ。頑張ってんだな合歓垣」

「ぶへへ、どもっす」

 照れ方が完全にキモ豚のそれなのはどうにかしたほうがいいとおもうが。

「――それで、こっから本題なんすけど。そのウチのVのガワのデザイン、先輩にお願いできないっすか?」

「なん……だと……?」


 §


 オタク趣味が高じた大地が自分でも絵を描くようになったのは高校一年のころだった。

 初めは模写、それからソシャゲやアニメを中心に、その時々の流行を追いかけては気に入ったキャラを描いてきた。

 好きこそものの上手なれの言葉通り、好んで描くのも得意なのも女キャラ。

 オッサンと動物と手と人物が右を向いた構図は苦手――そんなどこにでもいるレベルのお絵描きオタクだ。

 自室のPC前で椅子の上にあぐらをかいてゆらゆらと揺れながら大地は天井を見上げる。

 正直、寧々の誘いに気乗りはしていなかった。

 上達しはじめの子供じみた万能感はとっくに消え失せて、いまや日々現れるネット上の神絵師に「ドウシテワレハ、アアジャナイ」と羨望まじりの暗い嫉妬を感じる段階に至っていたからだ。

 イラスト用のSNSのアカウントは作っているし、フォロワー数はそれなりだ。

 新作を上げれば最低二桁程度の反応は来るし、コミッションサイトで小銭を稼いだこともある。

 けれどその程度ならVTuber以上にどこにでもいる、ありふれた存在なのだ。

 ましてキャラデザともなれば我流もいいところ、それで食べていこうとしている人間の力になれる自信はなかった。

 一方で足を引っ張るのでは、という思いは確信に近い。

 その正直な気持ちを伝えたときの寧々の返事を思い出す。

『――とにかく、一度ウチのチャンネル見て欲しいっす。あとでURLをDMしとくんで』

 ――見るだけ、見ておくか。

 もしこれで人気が凄ければそれはそれできっぱり不相応だと諦めもつく。

 あるいはワンチャン、チャンネルの方向性から天啓のようにアイデアが下りてくることもあるかもしれない。

 そう考えてPCに向きなおった。

 チャットアプリのログからURLをクリックする、ブラウザの新しいタブで動画サイトが立ち上がる。

 チャンネルのホーム画面で確認できる登録者は四桁に乗っていた。

 動画数はまだ二桁だから、これはおそらく上々の部類だろう。

 自動再生枠の動画のサムネではピンク髪の美少女メイドが笑っていた。

 はっきり言って大地よりも圧倒的に上手い。

 すでに心が折れそうになりながらも、ひとまず長くて省略されている動画タイトルにカーソルを移す。

 ポップアップで表示されたそのタイトル全文に呼吸を忘れた。


【メイド/耳かき】あまあまボイスのメイドさんが貴方にだけそっとささやく世界の真実【シチュボ/ASMR】

 18514回視聴・一週間前 に配信済み


 ――思想が強ぇ配信者なのか??

「ネタ、だよな……?」

 半分以上自分に言い聞かせるために声を出しながら、そっとページを移して他の動画タイトルも確かめてみる。

 勿論、ダメだった。

 全滅だった。

 色んな意味で背筋が震える。

 耳かきやマッサージやシャンプーなどシチュエーション差は多少あれども、おおむねささやかれていたのは世界の真実だった。

 こえーよ。

 むしろこんなに話すことある? どれだけ世界には隠された真実があるの?

 そしてそれを知るゆるふわメイドさんはいったい何者なの? 最近とかほぼ毎晩ささやかれてるじゃん……。

 大地は震えながらも動画の一つを再生した、すでに泣きたい気持ちでいっぱいだった。どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 そうしてもちろん動画を見て更に、後悔することになった。


『ふー……ふー……はい、きれいになりました。

 お耳、すっきりしましたねー♡

 ――ところで、ご主人様、知ってますかぁ?

 地球って本当はー、平らなんですよー……♡

 え、それだと端から海水がこぼれるんじゃないか?

 ふふ、それはですねー。

 南極の氷が壁のようにぐるっと世界を覆ってるから、大丈夫なんですよー。

 これで安心して、夜もぐっすり眠れますね♡

 それにぃ、地球が平らっていってもそのまま宇宙に浮かんでるんじゃなくてー。

 おーきな、おーきなドームの中に入ってるんです。

 月面到着はNA〇Aの嘘でー、夜に見えてる空はドームの内壁に描かれたつくりものなんですよー。

 きゃっ?

 もーお、ご主人様、お膝の上で急にごろごろしないでくださいー……。

 大丈夫ですよー、怖いことなんてないですから。

 これからも私がずっとずーっとお側でお世話いたしますからねー……♡』


 ――ガチっぽい……!

 仮にネタだとしてもこれを選ぶセンスがある意味でガチだった。

「おぉぉ……おぉ、おぉおおぉぉぉぉぉ……!」

 ある種の拷問のような時間が去ったあと、orzの姿勢で床に突っ伏して大地はいた。

 それはさながらオク〇ラ2のライ・〇イのごとき魂の慟哭だった。

 地球平面説……聞いたことがあります。

 一説ではこの現代で進化論とID論を並べて教えようとする勢力がいる陰謀論の本場を中心に、数百万人規模で支持者がいるアホな話だと。

「おぉぉぉー…………!」

 大地はしょせんFラン大学の学生である。

 地球が丸いことは疑っていないが、地球平面説支持者フラットアーサーを説き伏せるだけの科学的知識と論理的な筋道を立てた説明力には欠けており、ググればいいという判断もとっさにできない程度の判断力しか持ち合わせてなかった。

「地平線を、地平線をなんだと思ってるんだよ……!」

 ゆえに、哭くしかなかったのである。

 三年をつきあった可愛い後輩(複数の意味で)と、強めの思想ゆえに距離を取らねばならないときが来るかもしれない悲しい事実を前に。


 §


 ――翌日、メイドさんが寝かしつけながら世界の真実を教えてくれる動画の効果もなく眠れぬ夜を過ごした(残当)大地は、寝不足の頭で寧々を呼び出した。

 無論、先の依頼に断りを入れるためだった。

「合歓垣、昨日の話だけどさ。ゴメン、やっぱりおれには無理だわ」

「えー……そっすか、残念っすねー……」

 寧々の割といつも能天気な表情が曇る。

 ちくりと胸が痛んだ。

 ――でもコイツ世界の真実を毎晩ささやいてくるメイドさんなんだよな……。

 虚構と現実をごっちゃにするあたり、大地の情緒は寝不足もあってぐちゃぐちゃだった。

「ちな無理って、やっぱ納期とか報酬とかの面っすか?」

「いやー、キャラデザ自体の話かな……」

「えっと、ある程度ならアイデア出るまで待ちますけど。そも先輩がそういう経験のためにもって話だったじゃないすか」

 食い下がる寧々のために、ここはきっぱりと話をしたほうがいいだろうと大地は覚悟を決めた。

 もとよりもう知らぬふりはできないのだ。

「――でもさ、イチャイチャからシームレスで強めの思想につなげるメイドさんの引き出しは俺にはないよ……」

「へ? メイドっすか?」

「え?」

 なにその反応。

「あれ、ウチが頼んだのヤンデレ彼女キャラなんすけど……」

「でもDMのURLから飛んだんだけどな……」

「ちょ、ちょっと確認しますね――あー……、スミマセン。これアドレス間違えて、違う垢の方送っちゃってるっす。また貼りなおしますんで、そっちが本当に依頼したかった方っす」

「お、おう?」

 そうして送られてきたURLで表示されたチャンネルはメンヘラ一色だった。

 輝く目が印象的な暗い色合いのサムネに、閉じこめるとか出られないとか身動きできないとか、動画タイトルに並ぶ言葉の圧がやはり強い。

 ――でもいいか。世界の真実をささやきながらでろでろに甘やかしてくる俺だけのメイドさんに比べればちょっと愛が重いくらい全然普通だもんな(錯乱)。

「あー、じゃあちょっとこっちのチャンネルの動画見てからまた返事するわ」

「っす、おねしゃっす」

「でもまぁ、そんなに期待はしないでくれよな。昨日も言ったけど、あんまり自信があるわけじゃないからさ」

「先輩なら大丈夫っすよ。そんじゃ良い返事をお待ちしてるっす」

「聞けって、期待すんなって言ってんのに」

「うっすっす。じゃあウチ次のコマ遠いんで、そろそろ」

「おう、おつかれ」

 苦笑いする大地にひらひらと手を振って、寧々は転びそうな足取りで去っていく。

 ――良かった、思想の強い後輩はいなかったんだ。

 そう考えた寝不足の大地の頭に、つい先の寧々の言葉がよみがえる。

『――アドレス間違えて、違う垢の方送っちゃったみたいっす』

「あぁ、あぁぁぁぁー……!」


 §


「――……ぶへへ、これは第一の条件はクリアしたんじゃないすか……?」

 大地がいましも「これ結局真実ささやきメイドが合歓垣のチャンネルであることに変わりはないじゃねえか……!」と残酷な世界の真実に気づいて、泣き崩れているのも知らず、寧々は緩んだ顔で笑みを浮かべた。

 ぶへへと鳴く地雷女の周囲からそっと人が離れていくが、当人はまったく気にせずに自分の世界へと没入していく。

「これで今年の夏こそ作ってみせるっすよ、先輩との素敵な思い出……!」

 ――合歓垣寧々は実質ストーカーである。

 その地雷系ファッションに恥じない、内面もまた立派な地雷女だった。

 思い立ったら一直線、高校での出会いからひたすら大地を狙って密かなアプローチを重ねてきた過去がある。

 そして同時にどうしようもないヘタレであり、また努力の方向音痴でもあった。

 本来、大地の攻略に必要なのは「好きっす」、ただこの一言のみだ。

 だがその神聖四字が寧々の口から発せられたことはなく、RTA動画なら出オチ枠になるはずのイージーな恋愛頭脳戦は三年目に突入しいよいよ混迷を深めていた。

 彼のイラストSNSでの強烈なファンアピールから始まり(匿名)、あまたの(ピー)凸画像にぎゃーぎゃー悲鳴をあげながらの裏垢女子としてのあたシコムーブ(匿名)、大地の部屋への自作のデリヘルチラシ投函(未利用)に次ぐ最新最強の攻略オリチャー、それが「おもしれー女……ルート」だった。

 VTuberになりたいなどという夢見がちな発言のジャブで庇護欲を刺激し、ついで思想強めのキワモノをチラ見せするストレートで不安にしてぐらつかせ、最終的に垢伝え間違いからの安心感でヤンデレを受容させつつKOする――

 これにより大地の心と頭を寧々のことでいっぱいにしつつ夢に向かってともに協力することで絆が深まるんだ。尊いんだ。となる完璧なガバチャーだ。

 もしもこれがダメなら、いよいよ部屋に連れ込んでの夜通しオタ談義中にアルコールに頼ってこと・・に及ぶ(※不同意性交等罪、五年以上の懲役)ほかないという不退転の覚悟での決死の策だった。

 つまり寧々は賭けたのだ。

 ガスの充満する部屋に「コイツ俺がいないとダメじゃね?」と心配した大地が窓を割って駆け付けてくれる可能性に――

「さぁ、そのためにも今晩もがんばって世界の真実を広めるっすよー!」

 その結末が果たしてどうなるのか、それはまだ誰にもわからなかった。

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乖離性フラットアーサー 小宮地千々 @chiji-Komiyaji

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