「鶏の朝。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「鶏の朝。」~10代から20代に書いた詩

「鶏の朝。」

ニワトリさん、君が鳴いても私は起きないよ、

   君は鳴いても、その次にまた寝るんだろう。


「不敗。」

独り身がこれ程心をくもらすとは、朝起きるのも辛い程見捨てられた思いにかられる。今していることは、わからず、しなきゃいけないと思い込んでくり返している。忍耐の訓練らしく、しかしその本番をいつするのかがわからない。汚れはほんの一部という。人のこどうには欲望がある、その上で一部とは言い難い。人の気持ちとは一場面ごとに違う。時に急変することもある。その危なさで欲が刺激を欲しがらないわけがない。何度か死のうと思ったが、この生活のくり返しと親を思うと、できない。このくり返しの中に、私の信じる神がいる。私の母さんと父さんが言う、“死ぬことは神を裏切ることだ”と。そして私はまた頼りなく無責任な祈りをする。“明日 良い日になーれ”と。


「裏切りジャック。」

あの女は俺を裏切った。金銭面でも、精神面でも俺は援助したのに、あの女は俺を裏切った。口では何度でもだませる。俺がつかれて、甘えようとした瞬間、消えたのだ。独りが寂しかったから甘えただけなのに、あの女は俺に恐怖し、立ち去った。俺の本音を知れば男でも女でも構わず立ち去る。それまでどれだけ俺が愛しても。俺が何度愛しても、友人、恋人は何の気なく俺を裏切れるんだ。まったく意味のない友達.恋人さ。俺が心をありのまま見せているのに、そいつらは決して見せようとはしない。やはりどこかで遠慮するのだ。そしてそれがお互いを遠慮させる。俺の明け渡す勇気は一瞬なのだ。しかし、他人より考える。そう思っているだけなのだ。


「my life, in this day.」

私から欲を完全に取り去ってほしい。“Stay dream.”なんて響きがひびくように、私の欲という欲を完全に取り去ってほしい。人を愛するという欲をも取り去ってほしい。そうすれば、生きることのみを満足し、友達だけを満足し、また自分を満足する。異性を思うと、面倒で嫌になる。運命というのがあるならば、その運命の人以外とは誰とも出会いたくない。一生一緒にいる人以外と会っても無意味だ。ただ寂しくなるだけで、何が得になる。結局は別れるのだ。私はそんな儚い愛情なんかいらない。そんなものない方がいい。そういうのが好きな連中は私のところから遠くはなれている。それ故に、この世間をこの上なく呪ったのだ。それが無意味だと知りながら、私は完全にその輩と別れようとした。だけど、それは存在しない。もし存在させることができたなら、私はもうここにいない筈だ。死んでいるだろう。今の世間にどんななぐさめより“さよなら”を言いたいこの思いは、やはり私一人にしかわからない。この文句が誰にもとどかないように、私はこうして人生を書き続ける。“汚れ”を見て、その輩を避けることは逃げることだと勝手に思い込んで、その内途方に暮れる。その汚れに対向するつもりが、自分もいっしょに汚れてしまってるのだ。それを好んでしまってる。“異性がいなければ”そんな悩みも一切なかったのに。どちらかひとつでいいのに、神がもう少し都合のいい方法をとれば良かったのだ。こうなって世間が汚れてゆくのを神はこの世を創られた時から知っていた筈だ。この汚れに耐えられなくてこの世界から出ていく者もいる。それでもこの世界をいい世界と言えるか。神がなんと言おうと、同じ人間から見れば10徐年で幕を閉じることは、意味なく生まれてきたというしかない。同じように痛みを感じるその子の人生は?その子の耐えた間の代償は?その人生の弁償は?誰も何も払わないのと一緒だ。その子にとってみれば生まれてこなかった方がいいと思うのも当然だ。耐えなくてもいい苦しさに耐えさせられるのだから。そのこととうらはらに男女は楽しんでいる。私もその一人にすぎない。まともに結婚してまともに愛し合って、人は決して兄弟なんかじゃない。皆他人だ。女とは一体何か?男とは一体何だね?(笑)今の男と女をあきらめて、私は何になろう(笑)なるものなんかない。この世の全てが嫌になったんだ。….そうして、人は死んでゆくのだ。


「プリズン.in the sun.」

 男はかもくを守った。どこか孤独な場所で、空を見たことを思い出していた。太陽のとどかないこの監獄の中には、もはや人の形でいっぱいだった。あらゆる欲望がかっとうし、その結末に死者も出る。いつかまた、この地を去って別の場所にいることを思い、男は眠った。その間、ずっと監視の足音は続く……。この監獄の中に太陽を。


「独創。」

 助けてくれる人が一人もいやしない。あとから“ああ、そうだったのか”なんてのは嫌だ。今わかるかたちで欲しいんだ。でなけりゃ、いても意味がない。何のために生まれたのか。生きていて、何かいいことでもあるのなら、生きていて楽しく、恵みだとも思う。しかし、生き続けてみれば文句の言い続けで、すぐに不幸をまねく。哲学への一線をひとつ切っただけでたったひとりになる。何故なのか。“人類は皆兄弟”なんてほざいてたのは何億年前か、本当にわけがわからない。どうだと言うんだ。神が言うことが本当なのか、その神が言うことも人間が言っているのか、深く考えれば考える程わからないのだ。私はただ生まれてきた以上、幸福がほしいんだ。それも何億回呟いたか。ささやかな願いだろう。何故に哲学などが存在する?不要ではないか。あれはただ生きにくくなるだけ、どこがいいのだ。それを存在させたのは大元をたどれば神である。そう考えられるよう人間を創ったのだ。まさに哲学など不要である。おち込むことも不要である。本当は悪魔も不要なのに。


「顔のない乗客。」

 ネタ捜しも楽じゃない。考え方を180°変えなければならないのだから。


「損・得と罪。」

神が決めた定めごと、人が決めた定めごと、どちらが正しいのか。人は謙遜して神の方だと言う。その言葉にも、もはや裏・表が隠されている。その謙遜さの裏には、自分の器を見てくれ、といわんばかりの主張があり、損・得が考えられている。そして人は流行を見る。流行をつくることをひとつの文化といわんばかりに。その流行には様々な難事がある。神の言うこと、人の言うことが違っているのだ。しかし、人はこの世に生きている故、結果を知りたがる。目に見えぬものが、この世の強者である故、目に見えるものを好むのである。神は姿が見えない。安売りなどはできない、と言う。人は勝手な喚をする。その喚をつくるのは人で、その喚を信じる、信じないも人間だ。その喚が自分にとって利益だと思えばすばやく心からそれを信じて、損をするのなら、すばやくそれをつき離すのだ。今の世の中に“これは罪か?”と問うても、ムダなこと。結局多数決になるのだから。(笑)


「現実≧理想。」

 今までいろんな理想を絵にしてきた。でも、“その幼稚さに…”と見てしまった。その時が長く続くのだ。何も描けない時間は今も続く。下手なりにも夢があったのに、何も描けない。やはり経験してみたいというのが先にたつ。そうでなければ生きている意味がない、と。でも、そこに描いていた絵(理想)には、悪いことも描いていたのだ。


「愛情。」

何故生きるのに、愛が必要なのか。男は女が必要で、その逆もしかり。人がすることは同じくり返し。何も言わなければそのまま時は何もなく過ぎる。愛とはそれほどまで大事なものなのか。生きることが愛の有無でこれ程までに生き方がかわるとは。本当に言いたいことが言えない。自称スーパースターで閉鎖的に生きるとは。そしてわかった。男・女でその間を壊すものは愛であり、異性の愛である。包むものとは愛だという。私はそれをわからなければならない。それが本当の道だという。本当の道、と、それを理解できないままなら、どうすればいい。こんな男が生まれて生かされている。ただ自然に生きていることを恵みだと感謝できればいいのに、どうしても恋だの愛だのが未来へのはしごとなる。そのはしごがなければ明るい未来はない。男と女、私はその男に生まれたのだ。


「唯創誕論。」

今更、この私は格好なんかつけようがない。愛に飢えているのか、と問えば日々の生活に嫌気がさす。何にもできなくては生きてはゆけないのである。身長も一番ひくくて唄も下手で、格好の悪い私にはマイナス思考は命とりだ。他人はこの私のことを“幸福”だという。だが、私もその対比している君と同じ個人なのだ。私は私でしか生きられない。多くの文学はそこから出発している。自分一人の悩みこそがその人、人間であるが故の、平等の悩みなのだ。だがそれには限度がある。人はその結果を見る。

そのレベルの差に不平を言うのはあたり前のことである。どれだけ何を言おうが、やはり他人(ひと)にはなれない。それならばと自分で生きる道を見つけるしかない。そこで“神のいる道”というのと、“いない道”というのに別れてしまうのだ。人はそういう角を何度か通りすぎている。“後をふりかえることは先に立たず”と、同じ人間の先輩方はこう語る。それなのに、“今更….”などと言っていていいのか。ある女の子が言った。“寂しく、空しくなる時がなくなれば、その幸せに気付けない..”と。

だが、それで命をおとす者も多くいるのである。事実は事実だ。実にあたり前のことである。人生を楽しむことを一歩間違えると、人間がかわる。その輩の善・悪がかわってしまう。人は年頃になって自論を持って生きてゆくものである。その自論を崩されては、生きてゆくのは困難になる。

その崩そうとする人達を敵とみなす程の覚悟がなければ、負けることがある。時に生きていくことは一人の時があるのだ。自分の心を見て、部屋の中を見渡し、そしていつもの顔ぶれが電車の中にあふれかえる。この流行を見た。この私は今更格好のつけようがなかった。

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「鶏の朝。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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