「色彩。」~10代から20代に書いた詩
天川裕司
「色彩。」~10代から20代に書いた詩
「或る生き方。」
芥川龍之介の、精神衰弱による生命破綻。何をかいても一人を逃れられず、多くの知人は土の下に潜んでいる。言葉を投げ掛けても本意が言えず、絶えず、苦笑を以ていなければ仕方のなかったその時代に、いっそ、自殺が見せてくれるその暗黙の光に、身を投げてみようと決意したのである。それは、衰弱ではなく、一つの勇気でもあった。未知の死地へと、学んだ文学の故に自ら足を踏み入れたのであるから。
「黒晶。(こくしょう)」
他人(ヒト)に流されてばかりの私。自分に自信が持てなかったか、焦燥に明け狂う。未来へとつなぐかけはしの一点に、ふかく、恐しい不安でおおわれた黒晶を見ていた。
「或る男の情景。」
どうも、女とは折合いがつかず、一生、それで暮した男が居た。又、或る男は、その男を一生、屹立とみた。
「希薄。」
希薄な故に他人の死が見えず、希薄でも個人である故、自分の死の恐怖におののき震える。皆がそうであったため、誰も注意する者はいなかった。流行は、希薄であった。
「わが国のかなしみ。」
議論では、何も生れぬ。その下で、ひたすらに遊び回っている子供達は、見知らぬ宇宙に放られた鉄の塊を、その時になって、興覚めて見なければならないのである。仕組まれた自由に踊らされた正義は、皆、それぞれの心の中で熱く燃えている。それが元で、自殺をした者も居る。しかし、生きていた方が良いとされるその尽きない常識の中で、ひたすら、生きてゆくその命は、やはり、その仕組まれた自由を見続けるしかなかった。“井の中のかわず”というのも又、当てはまる。議論は、議論でしかなかったのである。
「国。」
日本は酸欠である。それまでに、無駄に、官能など(ものごと)に息を遣い果してしまって、いざ、走るとなると、頭がぼうっとなってしまい、眩暈に足がおくれてしまうのだ。それでも、生活してゆくためには、人工の息を吸い続けるしかなかった。
「わが国。」
日本は平和な国だ。唯、遊んでいるだけしかないのだ。もう既に、国が、日本の人の姿を象徴している。問題が起きて始めて、皆、一方だけにのめり込むのだ。革命は、既に、起せないのである。
「あぶく。」
知識人が集まったって、無能人が集まったって、戦争というものが起きてしまえば、皆、それがなかったか、と錯覚する程に、消えてしまう。所詮、利益とは、….。
「色彩。」
自分の生き跡を残すのに、他人の批評が必要なものか。君は、他人(ヒト)の批評を怖がっているだけじゃないのか。本音をかくと宣言して、実際、他人の批評に沿おうとして労を使い果たしてしまい、その見えすいた疲労を嫌っているから、その真実の意図が歪曲してしまい、結局、疲れるだけに終ってしまう。結局、何にもかけずじまいで、その模範だけを見続けている。格言にもあるじゃないか。天才は、死んでからその才をかわれる、と。得てして、この世では貧しいものなのだ。先人たちの早死にが、何より真実を語っている。未だ、疲れは取れぬであろうが、もう一度、注意してその真実を改めるべきである。君の色は、君の色である。
「色彩。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji
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