逃げるということ

@hidemanz

第1話

逃げるということ


 またアルバイトを辞めた。

今度は数日で辞めるというスピード退社だった。

ただ、それは良い判断だったと思う。

 今の人間関係が最悪なら、今後も良くなることはほぼないからだ。

 人間は自分の見解に合った人間とだけ付き合ったり、いっしょに仕事をやることを決め、それに外れた人間は拒否するというプログラミングの中でしか生きていないわけで、そういう意味からすると、自分は相手のメガネに叶わなかったわけだ。

 自分を機械か何かのようにして、ただ金稼ぎのために働くこともできただろう。ただ、それをしたところでどんな意味があるだろう?

 自分は割と感受性が強いので、そのうち心も折れてしまうだろう。自分で自分を無理やり籠の中に押し込めて、そのうち死にたくなるかもしれない。そんなオチのために生きているわけではないのだ。


 「自分が必要とされてないな」と感じた時、私は自分からその場を潔く去ることにしている。それは自分を守るためであると同時に、相手への思いやりだとも思っている。陳腐な言い回しでいうなら「互いに不幸にならないため」だ。

人間は初対面の相手を一秒もしないうちに判断すると言われている。一秒もしないうちに今後の相手との付き合い方を決めるわけだ。

そういう意味で、自分はしばしば相手の期待から外れる人間としてその憂き目に遭ってきたわけだが…。


 ただ、仏教を学び出してわかったことだが、相手が不遜な態度をしたり無視をしたりする原因は、実は自分の側にもあるということなのだ。それが「業(ごう)」と言われるものだ。

例えば喧嘩ばかりしていた両親が、子供が産まれたのを機にすごく仲睦まじくなったりする。これは、その子のもつ業によるところが大きいというのだ。そういう意味で自分は両親に何の幸福ももたらせなかったわけだ。もちろん両親にも何の足しにもならないばかりか、迷惑しかかけない子供をもうけるという地獄のような業があったことも確かだろう。


 「自分が必要とされてないな」という感覚…。

その感覚はすでに子どもの頃からあった。おそらくだが、悲しいことに自分は親にさえ必要とされてなかった。生まれた手前、育てなくてはならないという義務感が親にはあったと思う。自分は居心地の悪さから自然と自殺を肯定する気持ちにまでなっていた。


無力だった自分が成長するにつれ、私は死なずに済むかもしれないと思うようになった。勉強さえすれば親から独立できるばかりか親を見返すこともできるのではないかと思い始めるようになった。


ただ、私の学力はそれほど伸びることもなかった。必死で勉強しているようでいて、どこか気が抜けてたんだと思う。自分に甘かったんだと思う。自分に厳しくすることが、今もそうだが、極めて苦手な人間なのだ。


 ところで、仕事を始めるということは、同じ籠の中に未知の人間と同居を始めるようなものなのではないか?


例えば、先住鳥のいる鳥籠の中に「今日からいっしょに入ってなさい」と放り込まれたとする。私を見た先住鳥は1秒もしないうちに判断し、「こういう鳥とは仲良くしたくない、潰してやる!」と思われて攻撃されたらどうだろう。

あるいは、まったく仲良くしてもらえなかったらどうだろう。私は籠が開いた隙に意を決して逃げ出さないといけないのだ。自由になるが、何日もエサが食えずにそのまま野垂れ死にするかもしれない。しかし、小さな籠の中で先住鳥の攻撃をくらいながら生きながらえるよりはよほどマシだと思う。


自由とは、すでに生死を超えていると思う。生にしがみついているなら、自由は捨てたも同然だと思う。

あくまでも自由がベースにある。生きている時もあるし、死んでいる時もある。そのような営為が、自分には合っていると思う。

もちろん自由に執着するという話ではない。


私は仕事を失った。しかし、自由を守ったのだ。

生きているか死んでいるか、それさえもたいした問題ではない。

もちろん先住鳥を批判するつもりはさらさらないし、むしろ、自分の持つ不徳な業のせいでまた迷惑をかけてしまったと思う。


だから鳥籠の開いた隙に、逃げるしかなかった。


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